2023年9月26日、東京メトロと都営地下鉄を使って、中央区の神社を巡りました。第1回は標記。当社は、赤坂日枝神社の境外摂社です。
日本橋日枝神社
別名:山王御旅所 おたびしょ
◇鎮座地:東京都中央区茅場町1-6-16
◇最寄駅:茅場町駅・9番出口~90m
東京メトロ東西線or日比谷線
◇主祭神:大山咋神、国常立神、伊弉諾神、足仲彦尊(=仲哀天皇)たらしなかつひこのみこと
◇相殿神:菅原大神、稲荷大神、浅間大神
◇御朱印:あり
本記事は、日本橋日枝神社、赤坂日枝神社と同神社の新・参道(?)をご紹介します。
【社頭】
茅場町駅の9番出口から永代通りを西進し、兜町交差点を右折。平成通りを江戸橋方面に進みます。ビルの狭間に道幅が狭い参道があります。
◆大鳥居
驚いたことに、「山王鳥居」ではありません。明神鳥居です。
◆手水舎
当社への参拝は、前回が2017年なので6年ぶりとなりました。
◆狛犬
青紫色のマント?は珍しく、良い色です。
授与所の陳列テーブルや拝殿の紋幕と色彩的な統一性を感じました。
当社では「上向き狛犬」と呼んでいます。
関東大震災後、復興と運気が上向きになるように、との願いを込めて奉納されました。撫でるとよいそうです。
(参考)
赤坂日枝神社・西参道の狛犬
少しだけ似ているかのかな。
2019.4 筆者撮影
由緒
◇徳川家康が江戸城に入り、日枝大神を崇敬されて以来、御旅所のある「八丁堀北嶋(=鎧島)祓所」まで赤坂日枝神社の神輿が船で神幸されたことに始まります。
→筆者:よって、最も早くても1590年創建ということになります。
◇寛政十二年(1800)に発行された『江戸名所図会』巻二では、山王宮と山王権現の遥拝所が描かれています。
→筆者:遥拝所はもうないようです。
◇昭和3年に境内末社(北野神社・稲荷神社・浅間神社)が本殿に合祀されました。by当社パンフ
御祭神
大山咋神 おおやまくいのかみ
①「くい」は「杭」
「くい」は「杭」のことで、大山に杭を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神を意味し、山の地主神であり、また、農耕(治水)を司る神とされます。
②「くい」は「主」
「くい」は「主」という意味もあります。大山の主です。広く地主神として崇められ、山・水を司り大地を支配する神です。
当社の見解は②です。
◆双葉葵
『秦氏本系帳』に記載がある丹塗矢の神話によると、上賀茂神社(賀茂別雷神社)の賀茂別雷大神は松尾大社の祭神、すなわち、大山咋神とされています。
これを裏付けるかのように、当社&賀茂別雷神社の社紋は「双葉葵」で一致します。
御祭神
国常立尊くにのとこたちのみこと
『日本書紀』本文では、天地開闢の際に出現した最初の神としています。また、「純男」(陽気のみを受けて生まれた神で、陰気を受けない純粋な男性)」の神であると記しています。
伊勢神道は、天之御中主神、豊受大神とともに根源神としています。
吉田神道は、天之御中主神と同一神とし、大元尊神(宇宙の根源神)に位置づけます。
◆社号標
たいてい参道入口にあるのですが、当社は拝殿の横にありました。
『官幣大社 日枝神社 摂社日枝神社』と刻まれています。
御旅所(おたびしょ)
当社は赤坂日枝神社の 御旅所 です。
御旅所とは、神社の神幸祭において、神輿が巡幸の途中で休息または宿泊する場所、あるいは神幸祭の目的地を指します。byウイキ
◆幣殿
◆本殿
日枝神社の「山王祭」は、毎年6月に行われます。
「山王祭」は、特定の日に行われる1つの祭礼ではありません。毎年6月15日の例祭を中心に行われる、20以上もの祭典の総称です。
◆神幸祭
2年に1度の6月15日の山王祭・例祭では、皇居、東京駅周辺、日本橋や銀座を含む、23kmもの距離を神輿や山車が巡行します。
その中から、神輿三基を中心とした当社への神幸があります。
※巡幸写真は「いこうよとりっぷ」から拝借
◆明徳稲荷神社
御祭神:宇気母智神(うけもち)
合祀神:翁稲荷 祇園稲荷
この稲荷神社は、当社境内にありますが、境内社ではありません。独立した神社です。
→筆者は、これまでずっと境内社だと思い込んでいました。ちょっと、ビックリ。
元禄年間(1688~1704)には、現在の茅場町交差点に祀られていました。関東大震災後の区画整理で当社境内に遷座され、昭和5年に産千代稲荷神社が合祀されました。by当社パンフ
玉垣は東南と西南に開口部があります。
社殿は東南を向いています。
◆社務所&授与所
【御朱印】
初穂料:500円
次は、当社の本社となる赤坂日枝神社(10月に参拝)を簡単にご紹介します。
かつて存在した「星ヶ岡茶寮」跡付近にある、緑に覆われた新参道?を取り上げます。
赤坂日枝神社
◇主祭神:大山咋神
◇相殿神:国常立神、伊弉諾神、足仲彦尊(=仲哀天皇)たらしなかつひこのみこと
【表参道】
◆山王鳥居
◆男坂
◆神門
◆神猿
神門の内側に狛犬はおりません。拝殿の両サイドに神猿がいます。
向って右にオス。
浅沓を履いているように見えます。
※浅沓(あさくつ)
神職が履く靴。形状はスリッパのような感じ。素材は革や和紙でしたが、今は合成樹脂です。
一方、向って左にメス。
足袋を履いているようです。
◆拝殿
◆本殿
「山王茶寮」が6月で閉店。建物が取り壊されていたので、本殿がよく見えました。
◆神輿庫
銀座1丁目と2丁目に町内会があり、神輿まであるのです。驚きです。
2年に1度の本祭では、王朝装束をまとった総勢500人の祭礼行列と、華やかな宮神輿や山車が都心のビル街を練り歩きます。
◆山車庫
江戸時代、「天下祭」と謳われた山王祭の巡行は神輿と山車の巡行でした。
山車とは、祭礼時に山、鉾、人形、花等の代物を飾りつけて、牛が曳いたり人が担いだりする移動神座です。
江戸時代の山王祭では、45番もの山車が引き出され、その行列は江戸の町を埋め尽くさんばかりでした。
しかし、明治維新後諸事情により山車の巡行から神輿の渡御へと移り変わりました。by当社HP
【星ヶ岡茶寮】
日枝神社の境内に属した小高い丘は、星がよく見えたことから「星ヶ岡」と呼ばれていました。
非常に風光明媚な場所であったため、この地に茶寮を開いて要人達の会合の場とすることになり、明治14年(1881)に「星岡茶寮」が設立されました。
華族や政官財の要人に茶道を教授させ、あるいは茶会を開いたり、古式の食事を供するなど、上級階級の社交場としての体裁を整えたのでした。今はもうありません。(ウイキより抜粋)
◆新・参道?
星ヶ岡茶寮跡を出発する、最も新しい日枝神社への道です。この小径は散策路のような体裁です。
参道と呼べるのか分かりませんが、最終的に「女坂」に合流します。
下の写真付近は、「空中回廊」とでも呼びたくなる雰囲気で、緑に覆われた木道の小径です。
ここを道なりに進んでいくと、「女坂」の中ほどに出ます。
◆案内標「女坂」
→名称由来は、御成坂(おなり坂)を「おんな坂」と聞き違えたらしい
山王女坂は、正面の石段(男坂)に対し、その名が付けられています。また、別の名は御成坂(おなりざか)とも呼ばれています。
『新撰東京名所図会』には、「左緩(ゆる)やかに通ずる石階を女坂と呼ぶは非なり。昔時、将軍家御成りの節、峻坂を避け、此坂のみご通行遊ばされしにより、御成坂と申侍(もうしはべる)を女坂と聞き誤りしにはあらぬかと」
と、書かれています。
【御朱印】
初穂料=500円
御朱印は何種類か用意されています。
今回、拝受したのは大正時代に使われた御朱印。
陰影は「官幣大社日枝神社印」
【参拝ルート】
2023年9月26日
START= 東京メトロ茅場町駅(東西線or日比谷線)9番出口~90m~①日本橋日枝神社(=日枝神社山王御旅所) ~茅場町駅→日比谷線→門前仲町駅(乗り換え)門前仲町駅→大江戸線→月島駅~350m~②佃島住吉神社~月島駅→大江戸線→勝どき駅~400m~③住吉神社勝どき御旅所~900m~④住吉神社晴海分社~650m~勝どき駅→大江戸線→門前仲町駅=GOAL
※本記事後半の「赤坂日枝神社」への参拝は2023年10月5日
【編集後記】
◆御旅所
この日は、山王日枝神社と佃島住吉神社の「御旅所」を訪れることが主たる目的でした。
日本橋日枝神社 山王御旅所は、赤坂山王日枝神社の摂社です。祭神も本社と同じです。しかし、山王鳥居ではありませんし、境内に猿の像もありませんでした。境内の雰囲気も含め、本社とは微妙な違いを感じました。(了)