4月24日、茨城県と千葉県の神社を巡ってきました。

 2社だけでしたが、ともに『国史見在社』と呼ばれる古社です。

 今回は、常陸国の息栖神社です。

 

 

気になる神社なのに

  行きにくかった息栖神社

 息栖神社は、筆者にとって悩みの種となる神社でした。

 なぜなら、交通の便が良くないのです。最寄り駅は2駅。成田線・小見川駅から約6km、鹿島線・鹿島神宮駅から約12km。バス便がなく、徒歩では厳しい距離でした。

 しかし、2021年に思わぬ発見がありました!

 それは、神栖市・コミュニティバスの試験運用路線です。<小見川駅⇔鹿島神宮駅>を結んでいて、小見川駅から1つめ(=18分)が「息栖神社」バス停でした。現在は正規路線となり、今回ようやく訪れる機会を得ました。ただし、便数が極端に少ないので要注意です。

 

 

国史見在社

 息栖神社 (いきす)

 当社は、香取神宮・鹿島神宮とともに「東国三社」と並び称されます。

 また、鹿島神宮は息栖神社を「鹿島神宮の境外摂社」だとしています。

◇鎮座地:茨城県神栖市息栖2882

◇最寄駅:JR成田線・小見川駅~5.7km

◇バス便:「息栖神社」バス停~徒歩1分

 小見川駅発 コミュニティバス・鹿島神宮駅行

◇主祭神:久那土神(岐神)

◇相殿神:天鳥船神、住吉三神

◇御朱印:あり

 

 

 バス停を降りて、誘導路を進むと二之鳥居の前に出ます。筆者は、そのまま参道に入らず、一之鳥居に向かいました。

◆土手

 穏やかな河川は、常陸利根川。霞ケ浦を出発して利根川に合流します。

この土手下から振り返ると・・・

 

◆一之鳥居

 船溜まりの向こう側に、純白の一之鳥居を遠望できます。

 当社の一之鳥居でありつつ、鹿島神宮の「南の一之鳥居」として知られています。

*鹿島神宮は、本殿から東西南北の延長線上に4つの「一之鳥居」を持っています。

 

 

◆約1000年前の地勢

 平安時代の「香取海」周辺図です。

  霞ヶ浦、北浦、印旛沼、手賀沼、などがつながっていて、広大な内海を形成していたと想像されています。

=鹿島神宮、息栖神社、香取神宮、神崎神社

※図版は、公益財団法人「印旛沼環境基金」HP

 

 

◆二之鳥居

 二之鳥居から神門までの参道は、両側の社叢が閉された空間を作り上げていて、厳かな雰囲気です。

 

◆手水舎

「コロナ対応」の水盤ながら、水は元気よく流れています。

 

 

 

◆神門

 香取や鹿島の楼門と比べるべくもありません。しかし、神々しさは勝っているかも。

 当社は、『延喜式』の式内社ではありません。

 しかし、『国史見在社』として1,000年以上の歴史を誇ります。

 

国史見在社

(見在=けんざい or げんざい)

 当社は、『日本三代実録』に記録があることから、国史見在社と言われています。

 

 国史見在社とは「六国史」に記載のある神社のこと。

 六国史とは
 日本書紀(720年)、続日本紀(797年)、日本後紀(840年)、続日本後紀(869年)、日本文徳天皇実録(879年)、日本三代実録(901年) の総称です。

 このように、720年~901年に成立した6つの史書を『六国史』と呼びます。延喜式の成立が927年なので、国史見在社には式内社より古い神社も存在します。

 

 

 

 

【社殿】

◆拝殿

 

 

◆創始

 『三大実録』に書かれている「於岐都説(おきつせ)神社」が現在の息栖神社です。

 かつて、鹿島地方の南方で沖洲だった地が次第に陸続きとなっていきました。はじめ、当社はその沖洲に鎮祭されていました。

 大同2年(807)、平城天皇の勅命により、現在地に遷されたと伝わります。

*息栖は「おきつせ」が変化したものです。(諸説あり)

 沖洲(おきす」の沖=「息」→息長氏(おきなが)、洲=栖(どちらも「す」)

 

◆御祭神

 久那斗神、天鳥船神、住吉三神

共通するご神徳は、交通守護です。

 

久那斗神・岐の神(くなど)

◇「岐」とは、道の神

 →日本書紀では猿田彦神と同一視。

 →記紀「国譲り」では、香取神・鹿島神の東国平定において道案内を務めています。

 

◇「くなど」とは「来なと」

 悪霊邪気の侵入を防ぐ神

 →『道饗祭』(=都に邪気が入らぬよう路上に供物をする祭)の祝詞の中で、 禍を塞ぐ神として登場する久那土神(久那斗神)。

 

 

◆招霊(おがたま)の木

 記紀に出てくる樹木です。

 天照大神が天岩戸に隠れてしまった際、天鈿女命がオガタマの枝を手にして天岩戸の前で舞ったとされています。

 

 

◆本殿

 

 

鹿島神宮との関係

◇息栖神社サイド

鹿島神宮とは密接な関係と自認

境内案内板『息栖神社』

(神栖市教育委員会)

 鎌倉時代の鹿島神宮の社僧が記した「鹿島神宮列伝記」、室町時代の「鹿島宮年中行事」に、祭礼で鹿島神宮と密接な関係にあった。と。

 

◇鹿島神宮サイド

息栖神社を摂社と位置づけ

書籍『鹿島神宮』

著者=東実(学生社)

 鹿島神宮の元・宮司=東氏は著書において、鹿島神宮の摂社と明記しています。同書「摂社末社一覧」での並び順は4番目。

 摂社は全7社。①奥宮(境内)、②沼尾神社(境外)、③坂戸神社(境外)、④息栖神社(境外)、⑤高房神社(境内)、⑥三笠神社(境内)=地主神、⑦跡宮(境外)の順

 

 

◆ご神木

 

 

 

【忍潮井】おしおい

 忍潮井は男瓶・女瓶と呼ばれる二つの井戸であり、神功皇后の三年(194年)に造られたものと云われ、あたり一面海水に覆われていたころ、真水淡水の水脈を発見。これを噴出させ、住民の生活の水としたもので、海水を押しのけて清水が湧出しているところから、忍潮井の名が付けられたと伝えられている。

by当社案内板

 

◆忍潮井男甕」おがめ

 甕の形状は、銚子の形。

とのことなのですが、確認できませんでした。

 

 

◆縁結び

 女瓶の水 を 男性が飲み

 男瓶の水 を 女性が飲む

 結果、  二人は結ばれる

との伝承から、縁結びのご利益があるとされています。

 

 (伝承をふまえて)忍潮井の水を飲もうとしても、現在は直接飲むことができません。しかし、境内 手水舎の奥にある湧き水は、忍潮井と同じ清水で、お水取りできます。(神栖市観光協会)

 

→手水舎付近を探しましたが、湧水ポイントは発見できませんでした。

【追記】2023.06.17

 ◇お水取り可能

ブロともさんから、コメント欄にて情報提供していただきました。

「手水舎裏に蛇口があってお水取りが出きるそうですよ。」

とのことです。

 

 

◆忍潮井「女瓶」めがめ

 甕の形状は土器の形。

 要するに、男瓶・女瓶の形は陰陽形状ということ。

 

 

 

 

【境内社】

◆稲荷神社

 二之鳥居の先、参道左手です。

雰囲気の良い稲荷神社です。

 

 

 

◆2つの合祀殿

 神門をくぐり直進。参道右手に同型社殿が2つ並びます。

◇右社殿:香取神社、手子后神社*、八龍神社、江神社、若宮

 

◇左社殿:鹿島神社、伊邪那岐神社、高房神社、奥宮

*神栖市波崎にある本社の分霊と思われます。

 

手子后神社(てごさきじんじゃ)

 茨城県神栖市波崎。鹿島神宮末社に属した時期は天宮社と呼ばれていた。創建は神護景雲年間(767~770)。御祭神は手子比売命。

 手子比売命=「(鹿島)大神の御女の神」説と「海上国の安是(あぜ)の嬢子(おとめ)」説があります。後者には、民間伝承も残っています。

byウィキペディア

 手子から、「真間の手児奈」が連想され、悲劇の乙女イメージが浮かびます。

 

◆息栖神社の古絵図

一之鳥居は、常陸利根川に屹立。

二之鳥居の先、参道右手に境内社が2つ見えます。

 手前:龍神社

 奥側:高房社

この2社は、現在も合祀殿の形で祀られています。社殿位置もほぼ同じ。

 息栖神社にも境内社=高房社があることが分かりました!

 香取神宮、鹿島神宮、息栖神社、神崎神社が相関的に強く結びついていると想像できます。

 東国における、これら天津神系神社は、縄文世界すなわち日高見国、天津甕星(天香香背男)、蝦夷などと最前線で対峙していた。そういう「歴史」を再確認しました。

 

◆葦原中国「東国の平定」

(古事記&日本書紀)

a:先導神ーb.副神ーc.主神ーd.派遣神

a=岐神、b.=天鳥船神

c=経津主神&武甕槌神

d.=建葉槌神

 

※息栖神社は、a~dの神々をすべて祀っています。

ちなみに

 b.=神崎神社の主祭神

 c.=香取神宮・鹿島神宮の主祭神

 d.=高房神社の主祭神

 

また、高房神社は

 鹿島神宮の摂社

 香取神宮の元摂社

 

 息栖神社は鹿島神宮の摂社

 神崎神社は香取神宮の元摂社

 

 

 

◆常夜燈

竿がなく、火袋だけの常夜燈

火袋がなく、竿だけの常夜燈

 

 

【御朱印】

初穂料500円

 

 

【参拝ルート】

STARTJR成田駅9:41→成田線→10:25小見川駅~50m~駅前バス停10:45→[神栖市コミュニティバス・鹿島神宮行]→11:03息栖神社バス停~20m~表参道入口~280m~①一之鳥居~140m~二之鳥居~50m~神門~息栖神社~200m~息栖の森駐車場→浜松タクシー(5.8km)→小見川駅12:39→成田線→13:03下総神崎~1.5km~神崎神社・大鳥居~表参道(200m)~②神崎神社~350m~神崎大橋~400m~八坂神社~1.5km~下総神崎駅15:03→成田線→JR成田駅GOAL

*バスの本数が少ないため、帰路はタクシーとなりました。有限会社・浜松タクシーを選んだ理由は「迎車料金」が無料だから。他社は有料でした。

 

 

【編集後記】

◆東国三社コンプリート記念品

 御朱印を拝受した際、香取神宮と鹿島神宮の御朱印を提示したところ「記念品」を頂戴しました。

金色に輝く御守です。タテ10cmくらいの小さなものです。

 当社は、香取神宮や鹿島神宮と並び称される神社です。社地面積や社殿規模は2社に遠く及びません。しかし、境内の空気は「東国三社」と呼ばれるに相応しい、清浄感がありました。

 

◆公共交通機関を使う神社ブロガーの皆さまへ

 息栖神社について、私と同じような思いを抱える方がいらっしゃると思います。コミュニティバス利用は「痒いところに手が届いた」感じでした。小見川駅はJR成田線・佐原駅から3つめです。首都圏在住の方でしたら、うまく調整できれば、1日で《東国三社の一気巡り》も可能かと思います。(了)