2019年 6月、茨城県の石岡市周辺の古社を巡ってきました。

 

 常陸国総社宮 

(ひたちのくにそうしゃぐう)

 

 平安時代、国司は着任後、国内の有力神社を一之宮から順に巡拝しました。これを効率化するため、国府近くに総社を設け、各神社の祭神を一括祭祀するようになりました。当社は、常陸国の総社で、かつて国府が置かれた石岡市内に鎮座しております。

◇鎮座地:茨城県石岡市総社2-8-1

◇最寄駅:JR常磐線・石岡駅~1.3km

◇御祭神:①伊邪那岐命、②邇々藝命、③須佐之男命、④大國主命、⑤大宮比賣命、⑥布瑠大神 

※⑤=天皇守護の八神のうちの一柱である女神。とのことですが、「ふる」というと石上神宮の祭神を想起します。

◇御朱印:あり

◇社格等:県社

 

 

【参道】

◆旧・表参道

~この参道は、駅から最も遠く、低地から出発するため、上り石段が長くなります。

 

◆大鳥居

~社地は、小高い丘になっていて、こちらの参道はその南端に造られています。

 

 

◆覆いかぶさる巨木

~緑に囲まれた土の参道をゆっくりと歩く・・・。こうしたアプローチは、参拝者に少しずつ落ち着きを与えてくれます。

 

 

◆男坂

~短い石段の次は、長めの石段です。

 

 

◆石段を上ると・・・

~男坂を上ると、目の前に早くも拝殿が現れます。石段を上った先に拝殿がある。伊勢神宮・内宮を連想しました。

 

 

【疑問】

~石段を登ると、早くも拝殿が現れます。しかし、手水舎がありません。新参道に移転したと思われます。今は、新参道→手水舎→神門→拝殿という動線が作られています。よって、旧参道から入った場合、拝殿の前を横切って、いったん神門の外に出なければ手水を使えません。こうした、旧参道の変則的な状態を神社はどのように考えているのでしょう。

 

 

◆手水舎

~瓦屋根の重厚な手水舎です。

竹筒から流れ続ける清水。さあ、心身を浄化できたので、Uターンして拝殿に向かいます。

 

 

 

◆神門

~茅葺屋根の美しい隋神門です。1588年頃に付近で戦乱がありました。その折、当宮は一時的に石岡市内の他地区に遷座したと伝わっています。

~遷座先には、仮宮を建てました。戦乱が落ち着き、この地に戻ってきました。その際、先の仮宮を解体。その資材を用いて、こちらの神門を造営しました。

 

 

◆狛犬

~顔と体躯のバランスが絶妙!表情も素晴らしいです。

 

 

【社殿】

◆拝殿

~社伝によれば、聖武天皇の天平年間(729~749年)、勅令によって天神地祇の神々を合祀して、国家鎮護・皇室守護の神とした、とのこと。なので、社殿が西(=都の方角)を見つめるのかもしれません。

 

 

◆神額

~しかし、総社制度の確立は、平安時代末期です。よって、社伝の創建時期には疑問が残ります。 by「石岡市史」

~拝殿屋根は、ずっと茅葺きでした。しかし、1964年から銅板葺きとなりました。

 

 

 

 

◆拝殿・本殿

~本殿は、2016年に大規模な修復工事が終了しました。拝殿との新旧対比が際立ちます。

 

 

◆本殿

~現在は、6柱を祀っています。しかし、寛政3年(1791年)の『総社神宮祭礼評議』では、祭神は大己貴命(おほなむちのみこと:大国主尊に同じ)であり、「七体の木像にて、内六体は怪敷(あやしき)形」であるとしている。と、 wikipediaに書かれていました。つまり、唯一、オオナムチだけが、当神社の祭神?

 

~屋根頂上の箱棟はじめ、各所に十六弁菊花紋があしらわれています。

 

 

 

【境内点描1】

◆祈祷者用待合室

~授与所の左手に玄関があります。

 

上ったら、右に進みます。授与所と神楽殿の中間点に「祈祷者用水盤」が設置されています。

社務所玄関~授与所廊下~通路~神楽殿廊下~渡り廊下、そして拝殿へとつながります。

 

 

 

【聖なるもの】

①禊場

~2013年に整備されました。境内から「みたらし道」を使って、丘の下まで降りてゆきます。

社務所によれば、「小学校が隣接するため、事故リスクを考えて水を抜いておく」そうです。

 

◆寒中禊

~毎年12月29日に斎行される「寒中禊」の様子です。(常陸国総社宮HPより拝借)

 

 

②神武天皇遥拝所

~毎年 4月 3日の『神武祭』には奈良県橿原市の畝傍御稜(うねびごりょう)&橿原神宮に対して遥拝式を斎行しています。

 

 

③倭武天皇腰掛石

(やまとたける天皇)

~ヤマトタケルノミコトは、『常陸国風土記』の中で「倭武天皇」と記されています。つまり、常陸国にとって、特別な存在だと言えます。東征途中、この石に腰かけた、との伝承があります。総社宮を造営する際、この石の存在が建造地選定の決め手になったのだそうです。

 

 

④神木

~茨城県で最大の楠です。樹齢約600年、樹高約17m、樹周約4m。1964年の拝殿火災によって類焼しましたが、幹の周囲から次第に蘇生。現在も力強く生きています。

 

 

 

【境内社】

◆境内社集中エリア

~神門をくぐった右手に数社が並びます。神門寄りの覆い屋は、星宮社と香丸稲荷神社が入る寄せ宮です。

 

 

◆覆い屋2

~扉には、「愛宕神社 火防の神」、「厳島神社 水の神」との社号札。

 

 

◆覆い屋3

~左:松尾社、右:愛染社。こちらの覆い屋は、扉がないので本殿を直接見ることができます。

 

 

◆寄せ宮=「十二末社」

~こちらへ行くには、拝殿向かって右の石段を降ります。祭神は、武甕槌神、宇気母遅神、誉田別命、菅原道真神、少彦名命、木花咲耶媛命、大己貴命、経津主神、高龗神、猿田彦命、大山祇神、須佐之男命。錚々たる顔ぶれです!

 

 

 

【境内点描2】

◆相撲場

~境内に土俵を持つ神社は少なくありません。しかし、そこにお社まで鎮座させている神社は見たことがありません。祭神は不明です。

祭神は、相撲の神=野見宿禰かもしれません。また、野見宿禰は埴輪を考案し、首長が亡くなった際、人や馬を殉死させて墳墓に同葬する慣習を廃止しました。

 

 

◆旧社務所

~手水舎の裏手に建っています。

 

 

 

【参道】

◆新・表参道

~参道は、直線ではありません。写真の道は、突き当り、左折します。すなわち、西に進み、南に折れます。

 

 

◆新・女坂

~新・表参道の駐車場と拝殿をつなぐ坂道です。途中、寄せ宮=「十二末社」が鎮座します。

 

 

 

【例祭】 ~以下の写真は、2017年秋の例祭日に撮影しました。

◆神職の行進

 

 

◆祭囃子の奉納

 

 

 

【御朱印】

~左:2019年 6月、右:2018年10月、下:2017年 9月

 

◆右:例祭に登場した幟。「さんずい」に「合」という文字、IMEパッドでは出てきませんでした。

 

 

 

【参拝ルート】 2019年 6月 6日

◆高龗神と闇龗神に御挨拶に行く

START=JR常磐線「石岡駅」~徒歩~「石岡駅」西口・関鉄バス2番乗り場→グリーンバス・柿岡車庫行き→「村上バス停」~徒歩600m~①『村上・佐志能神社』~徒歩650m~②『染谷・佐志能神社』~徒歩1.0km~「村上バス停」→関鉄グリーンバス・石岡駅行→「八間道路バス停」~徒歩~500m~③『金刀比羅神社』~徒歩650m~ ④『常陸國總社宮』 ~徒歩1.3km~JR常磐線「石岡駅」=GOAL

 

 

 

【ひとこと】

◆社名の変遷

~創建時の社名は「国府の宮」でしたが、延喜年間(901年~923年)に天神地祇の6柱の神々を祀るようになって「六所の宮」と改称されました。その後、「総社」と改めました。

 

◆総社=六所宮

~総社は、祭神の種類から、2通りに分けられるかと思います。

①武蔵国のパターン

一之宮から六之宮の神を祀る

②常陸国や下総國のパターン

天神地祇・六柱の神を祀る。(鹿島や香取といった強大な一之宮の存在が関係あるかも)

 

◆関東三大祭

~常陸國總社宮の「例大祭」は、「石岡のおまつり」と呼ばれ、多くの観衆を集めます。川越氷川神社「川越氷川祭」、千葉県香取市「佐原の大祭」と共に関東三大祭りの1つです。 (了)