聖徳太子は未来予言者だった? | 手相オーラで超開運【口伝大”和”易’】

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奈良県大和の国は
古くから歴史があり
その中でも政治経済の中心の都が
たくさんありました。
 
 
 
邪馬台国、飛鳥古墳、
大和朝廷 藤原京、
平城京、など
 
 
 
その中でも
斑鳩の里法隆寺
建立した聖徳太子
彼こそ日本初の
易学研究者でもありました。


 
人を採用するための人相学や
暦、方位、などを活用した
都づくりのために易を
研究されました。
 

さらに彼は
未来預言者でも
あったといわれています。

易学を深く学ぶと

最後は「予言の書」に

ぶつかります!!

 

 

 

そこで、聖徳太子は

『未来記』という
書物を残しました。


太子が
京都(宇治)に行った時に
 
 
私の死後二百年以内に、
一人の聖皇がここに都を作る。
そこはかってない壮麗な都になり、
戦乱を十回浴びてもそれを越えて栄え、
一千年の間、遷都はないだろう。 
だが一千年の時が満ちれば、
黒龍が来るため、都は東に移される。



という内容の予言を残します。
まさに平安京、江戸の話ですね。
 
さらに彼は自分のお墓にも
ある仕掛けをします。
 
 
それは、、、、
 
 
 
彼の未来書を学びに
天下分け目の戦いをする
武将の
楠木正成、徳川家康
この予言の書を
確認に来たくらいです。
 
 
 
時空を超越した思考術は
人生の気づきに役に
立ったのでしょう。
 
 
自分の人生を決めているのは
自分の意識や思考
脳の電気イオン活動ですが
すでに決まっている運命もあります。
 
 
そのシナプスの
接続範囲を拡大すると
今まで見えなかった部分が
見えてきます。
 
 
 
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