『江戸五色不動尊』めぐりも、あと残すは【目黄不動】一つとなりましたが…実は、この目黄不動尊は、台東区三ノ輪と、江戸川区平井の二箇所にあるのです
そもそも、江戸五色不動とは徳川三代将軍家光が、天海僧正の建言により、江戸府内から五箇所の不動尊を選び天下太平を祈願したことに由来するもの。
五色とは密教の陰陽五行説に由来し、重んじられた青・白・赤・黒・黄で、それぞれ五色は東・西・南・北・中央を表しています。
では、何故【目黄不動】が二つもあるのか元々は浅草にあった勝蔵院の「明暦不動」が元祖とのこと。その後消失。現在は三ノ輪と平井の二寺が継いだそうです。
【目黄不動尊】養光山永久寺
台東区三ノ輪。東京で最も交通量が多いといわれる昭和通りと 明治通り。 この二つの道路の交差する大関横丁の交差点のすぐそばに永久寺はあります。
創建は14世紀南北朝騒乱の頃。その後、僧月窓が日蓮宗に改め大乗坊蓮台寺と号していたところ、将軍の命により寺を天台宗養光山永久寺としたといいます。
不動堂の中には手前に護摩壇があり、奥にご本尊の不動明王が脇侍を従え、朱色の火焔光背を背にして堂々と立っています。
【目黄不動尊】牛宝山最勝寺
さて、江戸川区平井の最勝寺にやってきました。入り口には阿吽の仁王様(金剛力士像)。この左右の像の目もご本尊の不動明王に負けずと黄色ですね
平井にある最勝寺は、貞観二年(860年)、慈覚大師円仁により隅田川畔に草創され、元慶元年(877年)円仁の高弟 良本阿闍梨により開山されたといいます。
近世には、墨田区向島の牛島神社の別当寺を務めましたが、明治初年の神仏分離令により大日如来像が最勝寺に還座されました。
こちらの不動明王像は、天平年間(729~766年)に 良弁僧都が東国巡錫の折り、隅田川で不動明王を感得され、自らその御姿を刻まれたといわれています。
現在、観ることのできる木造不動明王坐像は、享保九年(1724年) 仏師松村理右衛門の作によるもの。光背並びの二童子は江戸初期の作ということです。
三ノ輪と平井、二つの【目黄不動】の御朱印はこちら
最後は恒例、目黒、目白、目青、目赤、目黄の五種六箇所の不動尊を一挙 大公開します 連日30℃、35℃が続く毎日、皆さんも体調管理にお気をつけ下さい。