はいどうも、ケインです。

大地震で皆々様にご心配をお掛けしております。

一時はどうなることかと思いましたが、半日程度で停電も解消されて今は晩飯なに食べようか思案中です(笑)

でもこの地震で、店舗移転の予定が大きく狂いそうです・・・

 

さていろいろな意味でネット接続が限定されていて情報が手に入らなかったので、ならば逆転の発想でこちらから情報を発信することにしましたよ。地震発生から7時間後の北海道滝川市内の様子を動画にしたのでご覧ください!

全国の方にご心配をお掛けしていると思うので、この動画は拡散しちゃって結構です。

 

 

今年の方向性

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明けましておめでとうございます。

昨年夏の父の逝去に続き、昨日叔父が亡くなりました。

 

どちらも実家の整備工場を継いでおきながら、腕利きの職人だった祖父の技術をひとつも私に伝授してくれなかった残念さんでした(笑)

 

今年は若干見通しが明るくなる可能性も、もしかしたらあるかもしれないので今年の抱負とか進めべき方向性とか見通しとかあれこれ前向きなことを書こうかと思っていたのですが、一発目のブログからいきなり暗雲立ち込める展開です。

 

10年以上前にこの業界でスタートをするとき、真っ先に思い立ったのは亡くなった祖父が残した休眠整備工場の再利用でした。しかし一族のしがらみにより頓挫。そしてその頓挫からずっと進むべき方向性を失いここまで漂流してきたという側面があります。しかしいまさら廃工場に空きができたからと言って簡単にそこを利用するという事にもなりません。まず人が住めるような状況ではないし、すでに建物自体の倒壊の恐れも出てきています。誰か木造家屋の耐震診断とか補強やリフォームのやり方を教えてください。

 

 

予定では今年の春から、レストアラーへの道を進むべく一度板金や塗装、溶接を基礎から勉強しなおそうかと1年間修行的なものに行こうかと思っていたのですが、それもどうやら諸事情によりダメになりそうな雰囲気で、まったくどうなることやら。それにレストアを学ぶより先に大工に弟子入りをしなければならなさそうです。

 

私の人生、いったいどれだけ迷走するのでしょうか?

 

とりあえず明日は叔父の葬儀へ向かいます。

 

 

 

 

 

 

つい先ほど目の前で起きた交通事故(物損)がレアケースだったので紹介したいと思います。

 

 

図上右から左に走行していた軽自動車(赤)が180度方向転換のため、一旦一方通行路に右折(上方向)で進入。その後切り返してバックで再び交差点に進入したところ、左方向から来た普通自動車(青)に衝突。いわゆる逆突事故が発生しました。

 

まずこの事故とは関係なく、基本的な考え方から。

 

前を走っている車が急ブレーキを掛けて後続車が追突した場合基本100:0で追突した側の過失というのは皆さんご承知のとおり。

同様に、バックした車が後続車に衝突した場合は追突ではなく逆突となり、これも基本100:0でバックした側の過失。追突で自分や相手が動いていたかどうかが関係ないのと近いレベルで、逆突でも自分や相手が動いていたかは関係ないとされる。よく「双方が動いていたから一方的に過失ゼロとはならない」としたり顔で主張する加害者がいるが、そういうふざけた事をいう奴は死ねば良いと(!?)思う。

 

余談ですが駐車場内等、他車がバックしたりすることがあらかじめ予見できるような場所での逆突事故の場合、ぶつけられた側が回避しようとしたか否かが問われて90:10とかになったりする事もあるので注意。まあこれは100:0だとぶつけられた側の保険屋さんが交渉に介入できない決まりになっているので、過失を1割受け入れる代わりに示談交渉から何から保険屋さんに丸投げできるというメリットもあるので一概に損とは言えない。

 

さて今回の事故は逆突とはいえ交差点内での事故となります。個人的には交差点にバックで入ってくるような奴は死ねば良いと(!?)思うのだが(昔信号無視&交差点にバックしてきた大型タイヤショベルに殺されそうになった経験があるので)、どうも判例を調べてみると意外や意外。逆突の事実より交差点内での事故という要素を勘案した判決が出ていたりするのだ。それでもバックしている側にはより慎重な注意が求められるのは事実なので、過失としてはバック側が不利になることには違いが無い。

 

そして今回の事故の場合、一方通行道路にいったん進入した軽自動車がバックしてきて普通車に衝突しているわけで、普通車側からすれば一方通行の走行禁止側から車輌が来るのは想定外なので「逆走じゃないか!」と怒りたくなる気持ちは当然だろう。

 

ところがこのような一方通行道路の場合でも、単純にバックするのがすべて違法になるとは言えないようだ。もちろんUターンして走行するのは当然違法だが、進行のため以外の後退(縦列駐車など)まで違反にするのは無理があると言われてしまうと、なるほどといわざるを得ない。そしてこの事故の場合バックした交差点の先(つまり下側)は確かに進入禁止の標識が提示されているが、このバックしてきた軽自動車はその手前で後退左折をしているので進入禁止の違反はしていない。つまり逆走にはならない可能性が僅かにではあるが残っている。

 

そうなると万が一バックしてきた軽自動車側があれこれと知恵をつけて後になってから「自分は衝突の直前に止まった」だの「相手は一時停止線を越えている」だのと言い出すと面倒なことになりかねない。そこで明確な点だけを挙げて過失修正を考えてみることにします。

 

まずこの場所が仮に一方通行路で無かったとして、見通しの悪い交差点では優先道路であろうとも右左折車双方に徐行義務があるので基本は60:40で一時停止側の普通車の過失が大。

 

次に衝突の位置関係。軽自動車の衝突時の進行方向、角度から考えると仮に普通車が停止線で停止していたとしても明らかにコースとしては衝突コースを走っている。なのでこれは交差点右折時の「早まわり右折」となり、軽自動車側に過失修正が+10となる。

 

同様に切り返しという行為を交差点で行う場合もあくまで右左折という行為の延長線にあるので、右でも左でもウインカーを点滅させないとならない。合図なしなので軽自動車側に過失修正+10.。

 

判例タイムズに記載はないのだが、保険屋さん同士で適用する「バック修正」(後退する側の過失)を適用して軽自動車側10

 

ここまでで軽自動車側70:普通車30の過失割合。しかしこの計算は「逆突ではない」「逆走でもない」と、軽自動車側にありとあらゆる有利な判定をした場合でさえこうなるというものであり、いくら一方通行側が優先道路だからといっても、この道路は図上で下から上方向への一方通行道路で、その状態で上から下、つまり普通車側からみて左方に存在する車輌が、何の前触れもなくバックしてくるという想定外の事象にまで注意義務を課すのはあまりに無理筋すぎるでしょう。

 

なので70:30の修正要素のどこかに「重過失」を加えて80:20。どんなに軽自動車側の任意保険会社に悪魔的才能があったとしても、これ以上軽自動車側に有利な判定は出せないと思います。

 

もちろんいうまでもなく、常識的に考えればこんな事故は100:0で軽自動車側の全過失ですよ。

 

事故現場で軽自動車を運転していたお兄ちゃんに、私は「どんなに頑張っても80:20、普通は100:0」だよと告げたのですがなにか不満そうだったので、あらためて整理して考察してみました。

 

ちなみにこの交差点は地域住民の間では「魔の交差点」と恐れられており、何故か一時停止を無視してフル加速で交差点を突破していく車輌が多いのです。

 

まあ対面通行二車線道路と交差する側が一車線の狭い道路なので、普通は二車線側が優先と思いたくなる気持ちもわかるのですが、この交差点に潜んでいる魔はそれだけではなさそうです。

 

去年も一時停止を完全無視して交差点に進入した地元おばちゃんの自転車が、一方通行路を普通に走行してきた自動車に轢かれて骨折する事故がありました。

 

その時私は救急車が到着するまでの間現場の交通整理をしつつ、おばちゃんに「左から車が来ていたの見えていたでしょ?どうして一時停止しなかったの?」と質問してみました。その時おばちゃんから返ってきた答えがあまりに秀逸すぎて、今でも忘れることができません。

 

「だって、いっつも車のほうが止まってくれるんだもん」

 

・・・当たり屋かよ!(笑)

 

東名事故、進路ふさいだ男逮捕=夫婦死亡、過失運転致死傷容疑-神奈川県警
 神奈川県大井町の東名高速道路で6月、追い越し車線で停車していた乗用車にトラックが追突し、夫婦が死..........≪続きを読む≫

 

 

 

 

「自動車とは、狂人を閉じ込めた走る檻である~Queny Volga qitanovic」

 

これは国連のUSSOCOM主任査察官であり、退任した今は評論家・ニュースコメンテーターとして活躍しているキューニー・ボルガ氏の言葉である。

 

私達はいつでも車を運転中に他車から常軌を逸した攻撃(あえて攻撃と呼ぶ)を受けた場合、自分や家族などを守るためには相手が狂人であるという前提で対処する心構えをしておかなければならないのだ。

 

今回はこの事故の分析も交えながら、どうすればこのような悲惨な結末を回避できたかを考察していくことにする。

 

まず車を運転するにあたって、トラブルに巻き込まれないようにするための大原則は「君子危うきに近寄らず」である。

 

今回の事件の場合、被害者がパーキングエリアで通路を狭めて停車していた加害者車輌の側方をすり抜けた際に、わざわざ窓を開けて「邪魔だ」と言って「危うき」に対しわざわざ自分から接点を作ってしまったのが最大の失敗なのである。倫理的及び道交法的に正しい、間違っているに関係なく、そういった心の声は心の中かせめて自車の車内に留めておくべきであったのだ。

 

被害者の失敗はまだまだ続く。高速道路上を走行中加害車輌が自車の前に回りこみ、急ブレーキや蛇行運転で被害者の車両の走行を妨害し、最終的には追越車線上で停止させらたことである。

 

確かにこんな無法な行いは許される行為ではないし、被害者は何も悪くないと感じる方も多いのではないだろうか。だが、悪くはなくてもそこに落ち度はあるのだ。

 

煽り運転をされた場合の対処法として共通に言えることだが、自車の後方で執拗に煽り運転を繰り返す輩と遭遇した場合、まず基本的には「ハザードランプ」を数度点灯させて、相手の怒りには気がついている、(なんだかわからなくても)とにかく悪かった、という意思表示をすることが最も無難に解決するための初手である。それと同時に左ウインカーを点灯し自車を僅かに減速させながら左に寄せて、後続車に「先に行け」と促すことも必要だ。

 

この際、決してブレーキペダルを踏んで減速してはならない。普通にブレーキを軽く踏んだだけさえ、煽り運転を仕掛けてくるような輩に対しては「この野郎、急ブレーキを踏みやがったな!」と絡ませる口実を与えてしまうからである。

 

減速をして、加害車輌が自車の側方をそのまま追い越してくれれば良いのだが、次には併走を初めて幅寄せ等を行ってくる可能性も十分ある。なので加害車輌が自車を追い越しはじめて併走状態になった瞬間を見極めて、すみやかにブレーキを踏んで併走状態にさせない、必ず自車より加害車両を前に出させるようにしなければならない。

 

ここまでの手順をきちんとこなしたとしても、最終的には今回の事件のように加害車輌が前方に回りこんで自車の走行を妨害、もしくは最終的には停車させてくる事もある。そのような理不尽に対しては理屈で立ち向かおうとしてはならない

 

一般道であるのなら、すみやかにいずれかの交差点で左折して進路を変更するのがベストである。その際は左折ウインカーの点滅時間は違法だとしても極めて短く、前走車輌が追いかけて曲がってこれないタイミングで行う必要がある。

 

常識的には「どうして何も悪い事をしていない自分がわざわざ遠回りをしなければならないのか!?」と不愉快に感じる方もいるだろう。だが相手には常識が通用しないということを忘れてはいけない。危険な要素は積極的に避けるべきだ。

 

そして今回のように高速道路上で左折できない、もしくは左折後も追いかけてきて、最終的に加害車輌が自車を停車させようと試みてきた場合、このような対処をするべきである。

 

まず、自分の停車位置は(可能なら前方か)後方に必ず逃げ道を作った状態で停車すること。今回の事件のように高速道路で特に走行車線上や、ましてや追い越し車線上で停車させられてしまうという状況は絶対に避けなければならない。今回の事件で被害者は加害車輌が蛇行している間に、自分から自車を左に寄せて停めるという決断をするべきであったのだ。

 

いずれにしても自車が進路を塞がれる形で強制的に停車させられるということは、次に何が起きるのかも容易に想像できる。もちろん、停止した前方の加害車輌から加害者が降車してきて自車に近寄ってくるということだ。

 

この後に選ぶべき行動パターンは加害者の状況によって大きくふたつに分かれる。

 

まずケース1。加害者がバットや鉄パイプなどを持っていた場合である。この状況では一刻の猶予もない。一般道だろうが高速道路だろうが構わずバックして逃走することが唯一の選択肢である。逃げれば加害者は走って追いかけてくるだろう。だから追いつかれないような速度で後退する。

 

人間が全力疾走で出せるスピードはおよそ時速30キロ前後が限界だ。なので追いつかないとわかれば、加害者は自分の足での追跡をいずれ諦める。

 

そのまますべてを諦めてくれれば良いのだが、加害者の心理としては「獲物」が視界内に存在すると、いつまでも攻撃衝動が収まらないものなのだ。なので一般道であれば適宜Uターンないし右左折をして、その場から一旦離脱することである。決して同一進行方向に向かって追い越してはならない。また煽られるだけである。

 

高速道路の場合だと、緊急避難行為としてハザードランプを点滅させたまま左端に沿ってどこまでもバックし続けることになる。もちろんこのときに事故を起こしてしまっては意味がないので、慎重に運転しなければならない。

 

おおよそ50メートルもバックすれば、ほとんどのケースでは加害者はこれ以上の嫌がらせ行為を断念して立ち去っていくだろう。ただ何度も言うようだが、こういった輩に常識は通用しない。最悪の場合、同じように加害車輌に再び乗り込みバックで追いかけてくるか、もしくは高速道路本線上でUターンし逆走して追いかけてくる可能性もゼロとは言えない。そこまで深刻な局面に突入してしまったら、もう自分の力で解決することは諦めるしかない。迷わず車内から110番通報をすることだ。そしてバックし続けることが物理的もしくは精神的に無理になった場合は、前方からバックで接近してくる加害車輌を十分にひきつけた上で急ブレーキを踏み、相手にバックで追突させる(いわゆる逆突という事故)。逆突の場合の過失割合は自車0:相手100となっているので、後は警察が到着するまで生存する事を最優先に行動するしかない。加害者や警察に何故急ブレーキを踏んだのかと聞かれたら、ガードレールや後続車にぶつかる危険があったからブレーキを踏むのは当然だと臆することなく堂々と主張すれば良い。

 

ケース2として、自車を強制停車させた相手が武器を持たず車から降りてきて近寄ってきた場合(逃げられない状況や、もしくは口論で済ませられる自信がある場合など)、それとケース1の最悪の展開(逆突事故発生後)はどうするべきか。

 

上級者向けの方法としては相手が降りてきた瞬間に、同乗者にはすべてのドアロックを掛けるよう伝えた後、こちらもすぐ車から飛び降りて、交通トラブルという形態から人間同士のトラブルへと状況を変化させるという手法もあるにはある。

 

ただ一般的にはやはり車外に出ることは避け、すべてのドアロックを行った上で、運転席の窓を、腕が一本入るか入らないかギリギリくらいだけ開けた状態で、加害者とドア越しに対話するしかないだろう。

 

この時窓を少ししか開けてはいけない理由はふたつある。ひとつには万が一にもエンジンキーを抜き取られないようにするためだ。このご時勢ではスマートキーだったりしてそんな心配は必要ないかもしれないが、もうひとつの理由は加害者が窓から車内に手を入れにくくするためだ。必要以上には窓を開けてはならない。

 

実際の例として窓を開けた瞬間に会話も何もなくいきなり殴られたとか、掴まれて窓から引きずり出されたとか、常識では考えられない事態がこういった局面の路上では本当に発生する。

 

繰り返しになるがそういった最悪の事態を防ぐため、窓を全開であけてはならないのだ。

 

あとは話し合い(自分は悪くないのに謝罪)で済めばよし。加害者の目の前で110番通報をするもよし。加害者が諦めて捨て台詞とともにドアを一発蹴られ、車がへこまされる位の損害で済んだのなら幸運だったと思うようにしたほうが前向きであろう。今回の事件では、たかが文句を言った言わないの些細なことで、最終的に加害者は被害者に対して「高速道路に投げてやろうか」などと殺人を示唆するような異常なレベルの行動にまでエスカレートしている。その事を考えれば、「自動車とは、狂人を閉じ込めた走る檻である」という言もあながち的外れとはいえないのが今の日本の状況なのだ。

 

法律や道徳、ルールやマナーを逸脱して危害を加えようとしてくるものに対峙する時、自分が完全に法律を守りながら対処するのはかなり難しい。しかし被害を受けるのは自分や自分の家族なので、緊急時には勇気をもった決断ができるように普段からイメージトレーニングをしておく事が有効だ。そうった危機意識があれば今回の事件のように追越車線上で停車してしまうなどという最悪の事態は避けられたはずだった。

 

 

 

 

日産、無資格者が検査=国内全工場・車種で不正-リコール100万台超も
 日産自動車は29日、新車を出荷する際の完成検査を、資格を持たない者が行っていたと発表した。同社が..........≪続きを読む≫

 

このニュースについて、無知な報道機関が悪意をもとに報道しているその内容や国土交通省の大げさすぎる日産への批判の真意を正確に理解するためには、日本の保守的な自動車行政や自動車登録制度について正しく把握しておく必要があります。

 

まず順に則り、そもそも「完成検査」とはなんなのかを説明しましょう。

 

日本では、自動車メーカー以外が製作した車や(例えば)自作した車などを合法的に車検を取って公道を走らせる手段がほとんどありません。

 

逆説的な話になってしまいますが、ほとんどの車は国土交通省が認可した自動車メーカーが製造し、メーカーが所定の手続きを経て「型式認定」というその車種独自のお墨付きを得ることで、晴れて車として売ったり乗ったり道路を走らせたりすることができるのです。

 

型式というのはわかりやすくいうとハチロクレビンが「E-AE86」だったり、同じレビンでも111レビンは「GF-AE111」であったり、現行の86やBRZだと「DBA-ZN6」とか「DBA-ZC6」と命名されているように車の名前とは別に車検証上に記載されている「型式」のことです。

 

自動車メーカーの開発した新型車がその型式認定を受けるためには、途方もない労力やコストをつぎ込まなければならないのです。

 

その一部を挙げると、まず何台も試作車を作って、それをわざとぶつけて壊すことにより安全性を確認するテストとか。

 

 

排気ガス規制に適合しているかの詳細なテスト(いわゆるガスレポート)、つい最近もスズキがテスト結果の申告より実際の燃費のほうが良かったとして何故かバッシングを受けた燃費算定テスト、もちろん保安基準やらその他膨大な規制に適合しているかといった点や量産時の品質管理が適切かどうかなどなどなど、国土交通省をはじめとしてその天下り団体である一般社団法人日本自動車工業会やら独立行政法人自動車技術総合機構やらありとあらゆる機関の審査を通過して、ようやく型式認定が受けられるのです。

 

形式認定が受けられた車に関しては、新車完成から9ヶ月の間はいわゆる車検を受けずに、自動車メーカーが発行する完成検査修了証をもって車検を受けずに登録することができます。しかしその完成検査修了証を発行するためには「検査に必要な知識及び技能を有する者のうち、あらかじめ指名された者」が検査をしなければならないと国土交通省が定めているのです。

 

ここで注意しなければならないことは、その指名された検査員とは各自動車メーカー独自でそれぞれ指定すればよいだけということです。つまり自動車整備士のような国家資格とは別物なのです。

 

そして完成検査といっても、完成した車体に対する検査というものは本当に最後の確認のようなもので、それ以前に製造段階では極めて厳しい品質管理がなされています。そうでなければ困ります。まさか完成検査で車体全部の部品のボルトの締め付けトルクまで確認していると思っている人はいないと思いますが、そういう工程は製造ラインでの組み立て工程できっちりと管理するものであって、完成検査で一から十まで全部を検査するものではありません。そんなレベルでものづくりをしている自動車メーカーが万が一あったとしても、それは絶対に日本のメーカーではありません。

 

そして完成検査の内容も一般的な車検の内容と重複している部分が相当数あり、そういう簡単な部分の検査はそれこそテスト機器さえあれば「ユーザー車検」でユーザーがチェックできるレベルの検査と何ら変わりがないのです。

 

要はメーカーが自社の車の品質に自信を持って出荷できるかどうかという話であって、今回の一件は日産が意図的に何らかの不正を働いたという性質の話とはまったく異なる事案だということです。

 

ところが巷の報道ではあたかも無資格者が検査したので安全性に問題があるかのようなディスインフォメーションがなされています。ですが常識的に考えればおそらく日産では過去から恒常的に資格のない者が検査員として最終検査に関っていたものと推察されます。それで日産の品質に致命的な何かがあったでしょうか?いや、無いです。あったらとうの昔に日産は倒産しています。

 

そして通常最終検査は4人程度で行われるそうですが、その中に日産が事務手続き上指名をしていなかっただけの非正規検査員(ただし必要な知識や技能を有している)が一人か二人いたところで、表層的な検査をするだけの完成検査には何の影響もありませんし、メイドインジャパンのクオリティに何の影響もありません。そんなことは輸入車や海外生産日本車のぶっ壊れ率を知っている業界人なら百も承知の話なのです。いやいや、別に生産拠点がほぼ100%国外にあるスズキの車を批判しているわけではありませんからね、念の為。私はスズキの車が大好きです。新型スイフトスポーツ良いですね!あとジムニーは世界最強です。スズキの広報さんお仕事ください(笑)

 

かなり脱線しましたが、自動車産業は許認可と利権の集合体です。国土交通省は外部団体やメーカーに、メーカーはタカタのエアバッグの例を出すまでもなく部品メーカーや、不適切な使用方法を行ったユーザーに、何か起きた時の責任を転嫁しやすい構造になっています。もちろん自動車の点検や整備は最終的に使用者の責任ですが、それならそれで勝手にやらせて欲しいものですし、本田宗一郎の有名なエピソードを持ち出すまでもなく国が勝手にあれこれ規制を掛けてもろくな事にならないというのはわかりきった話です。事実、国内に対して規制を掛けるのはお得意でも外国から圧力が掛かったとたんにそのルールが変わるだなんてよくある話じゃないですか?

 

 

今回の行政主導の恣意的な報道スタンスの裏には一体何が潜んでいるのか、私達はよく注視していく必要があるでしょう。

 

 

無許可集会に改造車500台=業務妨害容疑で主催の男逮捕-警視庁
 東京都港区台場の商業施設で、駐車場の使用許可を得ずに改造車の集会を主催したとして、警視庁などは2..........≪続きを読む≫

 

fresh tokyo car meet 2017

at DECKS Tokyo Beach metered car park

 

車を趣味としている人ならば多分なんらかの形で一度は直面したことがある問題かと思われますが、同好の士が数人(数台)集まって立ち話をしているだけで何故か警察に注意されたりすることがあります。そしてその規模が大きくなればなる程世間ではこういうものをすぐに「無許可集会」として、あたかも違法行為のような扱いをします。まさしくこの事例が典型的なケースです。

 

インターネットが発展していない時代、不特定多数が特定の場所に集まるためにはほぼ「主催者」「発起人」などの形で集合告知等の呼びかけを行う主体が存在し、その集会に違法性(ないし公権力から見た場合に不都合な点)がある場合にはその主体を摘発することで、集会という行為に事実上の規制がなされてきました。

 

日本という国は国民の権利として「集会の自由」を保障しているのにもかかわらず、いざその権利を行使しようとすると「各種法令を遵守せよ」と義務を押し付けてきます。そしてその押し付けを疑問に感じることすらタブー視しようとします。私はその根幹的原因のひとつに国民性というか、日本の歴史的な経緯が大きく関係していると思われます。世界の歴史を紐解くまでもなく、おそらく日本人は過去一度たりとも、フランス市民が王政に立ち向かった市民革命や、東南アジア諸国などが欧米の植民地支配から血を流して勝ち得た独立の如く「権力」に反抗して自分たちの自由や権利を手に入れたという経験がありません。なので公権力に反する形で自由を行使する事を無意識に忌避しているのではないかと感じるのです。いついかなる時も政府転覆や革命といった反体制的手段によらず、朝廷や皇統の威光や将軍家の権力、もしくは外圧という強制力によってのみ権力構造の変革が成されてきたという歴史的事実から、ついそう穿った見方をしてしまいます。

 

あえて言うなら、自由とは義務の上に与えられるものではなく、自己の責任の上に成り立つものなのです。

 

話が脱線しましたが、現代の日本で「集会の自由」という権利を行使しようとすると様々な障壁にぶち当たります。まず私有地公共地を問わず集会を開催しようとすると必ず「許可を取れ」となります。それが公に行われようとしているのであれば、規模が例えご近所さんどうしの立ち話レベルであってもです。

 

車の話に置き換えてみると、道路上や駐車場など「その場所に車が停車していても何の不都合もない場所」でさえ複数人数、複数台数が何らかの意図をもって集合すると「道路占用許可」が無いだの「他の利用者に対する迷惑行為」だのとあれこれ言い掛かりを付けられて解散させられます。そしてその集まりに主催者がいる場合、何故かその主催者が犯罪者扱いされて検挙されたりするのです。

 

ところが近年インターネット等を利用した「主催者がいない、主催者が不明」な集会が多発するようになってきました。主催者がいないと既存の法的な解釈で取り締まりを行うのはなかなか困難です。しかし、だからといって黙認するわけにはいかないようです。

 

わかりやすい例をひとつ挙げると「ゼロヨン」「ドリフト」を見物しているだけのいわゆるギャラリー行為に対する取り締まりが当てはまるでしょう。ギャラリーは違法行為を見物しているだけであって、違法行為に加担、協力している訳でもないのにその場に居るというだけで必ず警察に追い払われます。それでも手の打ちようがなくなってくると、酷い場合には法令法律の一段下にある条例を制定してまでいわゆる「い集行為」を禁止してきます。

 

このように集会を主催することはおろか自然発生的な集団に対してまで幾重もの事実上の規制を掛け、自由な集会を阻害しているというのが公権力の基本スタンスなのです。

 

そこで今回のニュースの事案について解説してみます。この場合主催者と呼ばれて検挙された側は何かを主催したわけでも、不特定多数に参加を呼びかけたわけでもありません。そしてこの一件で「参加者」とみなされている人達は、営利企業が駐車場という業務形態で営業行為をしている場所、つまり「有料の駐車場」「正規の料金を支払って利用」しただけに過ぎません。

 

この場所がショッピングセンターの駐車場やスキー場の駐車場など、施設を利用する事を前提とした「有料駐車場」であったなら目的外使用として非難されることもあるでしょう。しかしお台場のこの民間駐車場は何らかの施設の付帯駐車場ではなく、駐車スペースを提供することで対価を得るという純粋な商業行為として有料駐車場を運営している所なのです。つまり根幹的には駐車料金という収益を得ることがこの施設本来の目的であり、利用者=駐車をしている人そのものとなります。この点が商業施設付帯の駐車場や高速道路パーキングエリアなどとは決定的に異なるということを決して見過ごしてはいけません。

 

もちろん駐車場の管理者は施設管理権に基づいて、不適切な利用者の駐車場利用を拒む権利があります。事実この排除手法は各種大型施設付帯駐車場や高速道路パーキングエリアにて警察と連携してごく日常的に行なわれています。もちろんその根拠は「正規の利用者に対する迷惑行為」であるということです。ですがこのお台場の民間有料駐車場は車を駐車する行為自体が正規の利用方法であり、その場所に利用希望者が殺到したからといってそこに違法行為や不正行為が発生しているという理屈はどう考えても成り立つわけがありません。

 

今回当局がいわゆる「主催者」を摘発した容疑は「建造物侵入(正確には住居侵入)」「偽計業務妨害」です。

 

まず建造物侵入に関して論ずるなら、それはかなり無理のある法解釈だとしか言いようがありません。施設管理者が施設管理権に基づいて退去を命じ、それに従わなかった事を違法行為として摘発、検挙するのであればそれは「不退去罪」で立件するべき事案です。料金を徴収し駐車させる事を目的とした施設に、正規の料金を支払って入場した事実をもって一方的に違法行為と断ずるのはあまりに短絡的すぎます。

 

また「偽計業務妨害」が成立するかどうかを判断する為にはまず「誰」が業務を「妨害」されたのかを明確に定義しなければなりません。「車を駐車させる事を目的として24時間駐車場を営業している会社」が、その駐車場が満車もしくはキャパシティーオーバーになったという事象によって「営業行為を妨害」されたという結論を導き出すのは明らかに無理筋です。

 

これがもしも「偽計業務妨害」で被害を受けたのが「警察」であり、虚偽やいたずら、不必要な緊急出動をさせられた事によって正常な公務の遂行を「妨害」されたという理屈であれば、まだ議論する余地はありそうです。ですが各種報道を見るとどうも今回の事案はそういった話ではなく、あくまで駐車場の営業を妨害した容疑という事になっています。であればやはり「偽計業務妨害」の構成要件を満たしているとはとても思えません。

 

これがもし駐車スペースが空いているにも関らず施設の周囲で改造車がい集して他者に恐怖や不安感を抱かせ、駐車場の営業を妨害したというのであれば、それは「威力業務妨害」となるでしょう。しかしこの事案のようにその日一晩、駐車場を満車にしてしまうという現象をもってして業務の妨害となっているのかというと、それもどうもかなり怪しい話です。

 

もちろん警察が「容疑」をもって容疑者を「逮捕」することはあたりまえの話だと主張し、容疑者が逮捕されたあとに起訴されるかどうかは検察が判断することであって警察には関係がないと断ずる意見もあるでしょう。ですがその行いが強制力の執行として正常な行為かどうか、少しでも公正な視点から俯瞰してみたならば今回のような明らかに法解釈がわかれる事案に対して「見せしめ」的に逮捕権を濫用するなどという行いは、絶対に許されることではありません。

 

もちろんこれらの主張は私個人の見解であり、異論反論も多数あるでしょう。あって当然です。ですが敢えてこういった集会に対する取り締まり行為に批判的な視点を首尾一貫徹底して論じてみました。

 

最後に有名な詩を引用して締めくくりといたします。他山の石として少しでも何かを心に留めていただければ幸いです。

 

 

ナチスが最初共産主義者を攻撃した時、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられた時、私は声をあげなかった。私は社会民主主義ではなかったから。

彼らが労働組合員達を攻撃した時、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから。

そして彼らが私を攻撃した時、私のために声をあげる者は誰も残っていなかった。

 

 

しばらくぶりに大先輩から電話があった。

 

いつも「こんな安い出物(もちろん車)があるから買わないか?」とか、お得な話をわざわざ気を使って持ってきてくれるという親切な先輩だ。多分今回もその手の話だと思っていたら全然違った。なんと5月から、大病を患って入院しているというのだ。

 

麻痺、透析、リハビリ、あれやこれやと出てくる単語を聞くだけで相当重症だとわかったが、電話では埒が明かないので翌日見舞いに行くことにした。ちなみにその時の電話ではその他に、カスタムした軽トラが一台余っているから買わないかとも言われた(笑)

 

翌日隣町の総合病院まで行くと、想像していたよりもやつれた姿の先輩がベッドで横になっていた。それでもこれからは快方に向かうだろうという話で一応は安心した。しかしまだまだ入院生活は続くようだ。

 

そんな満足に身動きすらとれない病人の先輩と、社会の最底辺で這いずり回っている私が話す内容なのに、どういうわけか気がつくと車の話になってしまうというのはこれはもう前世からの宿命とか逃れられない過去の呪縛とか何とか、そういった類のものなのではないかと呆れてしまう。

 

病床から満足に起き上がる事もできない先輩が、自宅からわざわざ持ってこさせたであろう写真を嬉しそうに見せてくれた。それはもう手放してしまったフルチューンインプレッサや、当時の仲間の車の写真だった。

 

 

知っている名前、知らない名前、あれやこれやと昔話に花が咲くものの、私はついつい沈んだ気持ちになってしまう。

 

「先輩。俺は先輩も含め色々な人にこれまでたくさんお世話になっているのに、全然その恩返しが出来ていないのが本当に情けなくて・・・」

 

「そう思っているだけマシだってことだよ。世の中、お世話になんてなったことあった?なんて平気でぬかす奴ばっかりだぞ」

 

「・・・・・・予定はまったく立ちませんが、いつか恩返しできるまでは死なないでくださいね」

 

「おうよ、こっちもまだ死ぬ予定はないからな」

 

先輩にはこれからも長く苦しいリハビリ生活が待っているのだろう。マニュアルの自動車を再び運転できるようになるかどうかさえまだわからない。良い人ばかりが先に死んでいく、という事ではないのだが(悪い奴もさっさと死んでしまうし)、こう次から次へと自分や自分の周囲で健康問題や生き死にの話が多発してくるとますます憂鬱な気分になってくる。

 

私は、私や私の周りの人達がいつまでもただ楽しく車に関って生きていくことができるのならそれで満足なのだが、どうしてこうも人の人生というものはうまくいかないのだろうか。

 

 

 

 

ガンで入院中だった私の父が先週他界しました。享年71歳。既に末期がんでしたので十分すぎる程長生きいたしました。最期の最期だけは長男である私がしっかりと看取りました。

 

生前の本人の希望など諸々の事情により、あっという間にあれこれ支度を済ませ、24時間後には息つく暇もなく火葬、火葬後そのまま直行で遺骨を親族の眠る墓へと収めてきました。

 

まあぶっちゃけた話、私の死生観は「人はいつか必ず死ぬもの。どれだけ長生きしたかよりも、どう生きてどう死んだかが肝要だ」という身も蓋もないものなので、身内がなくなったからといってあまりどうこうという事もないのですが、故人を偲んでみたりするのも当ブログ的に良いかもしれません。というのもうちの父はとにかく車が大好きで大好きで、もう本当にどうしようもない人だったのです。つい半月前に病院に入院する際にも、既に自分で歩く事もままならないほど病状は悪化していたとのことなのですが、いよいよ限界と悟ると自宅のすぐ傍に住む竹馬の友に肩を貸してもらって自分の車に乗り込み、そのまま1時間ほど掛けて病院へと自分で運転していったそうです。歩けなくても運転は出来るというのが実に私の父らしいですネ。ということで「今だから話せる、父と車にまつわる笑い話(笑えない話?)」などでも書き記しておこうかと思います。

 

エピソード1 競走馬を車で撥ねとばす

 

あれは今から40年ほど前の話(なので時効)です。夜の帳がおりるといつも一人で酒を飲みに出かける父。田舎は交通機関がないので当然のように毎回飲酒運転にてご帰宅です。

 

その日も父は隣町で飲み明かし、飲酒運転で絶賛帰宅中でした。すると街灯の明かりも疎らな田舎の国道にいきなり巨大な何かが飛び出してきました!

 

なんとそれは、牧場から脱柵した競争馬!!

 

酒を飲んでいようがいまいが、いきなり飛び出してくる馬とか鹿とかを回避するのはまず不可能です。いや、いくら北海道でも普通は鹿しか飛び出してこないのですが、実際結構頻繁に鹿と車の衝突事故は発生しています。ですが馬、それも高価な競争馬が飛び出してきただなんて話は前代未聞です。馬鹿も休み休み言えとはまさにこのことでしょうか。

 

父の運転していた車とその馬はまともに激突。結果車は全損、馬はお亡くなりに。シートベルトをしていなかった父は頭でガラスをぶち割りました。いやまあ人間の怪我はどうでも良いんですよ、それよりも馬です。当時の金額で馬の評価額は約1000万円!おぼろげな記憶によると当時まだ流通していたトヨタ2000GTの中古車価格が200~300万円くらいだった筈なので、競走馬がいかに高額かがお分かりいただける事でしょう。

 

警察を呼んだり救急車を呼んだりまともに事故処理をするならばそんな事にも頭を悩ませなければならない事案だったのですが、うちの父がそういう正規の事故処理をするはずがなく、まあ結局双方の痛み分けということで「無し無し」の手打ちとなりました。あの頃は、そういう時代でした。・・・・?

 

それよりも事故後どうやって帰ってきたのか、頭から血を流しながらもなんとかよろよろと帰宅した父を見て驚いたのは母。そして経緯を聞くなり開口一番、

 

「呆れた、あんた馬鹿じゃないの?」

 

ですと。我が家で一番の常識人である母らしい一言でした。

 

なお、そんな事故に逢ったあとでも、父が改心してシートベルトをマジメに着用することはとうとうありませんでした。せいぜいパトカーを見つけた瞬間か、免許の点数が危ないときだけでしたね。

 

もしかしたら次回も続く。

前回「ツインターボというノスタルジー」の続きです。

http://ameblo.jp/unlimitedracing/entry-12293148521.html

 

ツインターボの進化系として鳴り物入りで登場したシーケンシャルツインターボとは何か。ざっくりと(細かい間違いには突っ込まないように!!に)説明しておきましょう。

 

シングルターボと同等の低回転特性を得るため、ツインターボシングルに比べて小さいターボを二つ同時に使用します。しかし小さいターボを二基いっぺんに回しながら加給するよりも、低回転時にはひとつのタービンだけを積極的に回してシングルタービンとして使ったほうが当然レスポンスは良くなります。そして回転数が上昇してふたつのタービンを両方とも十分に回せる排気圧が発生してから二つ目のタービンを回しだしたほうがターボラグが発生しないのではないか!と、木から落ちてきたリンゴに頭をぶつけた人が閃きました。そしてさらにざわ・・・ざわ・・・・してきたその人は、「よく考えると、何もわざわざツインターボだからといってタービンのサイズを同じにしなくても低回転時に作動するタービンは小さく、排気エネルギーがありあまる高回転時に作動するタービンは大きくしたほうが、より全域でパワフルになるのではないか!?」という圧倒的閃きに達しました。つまりレスポンス重視の小さめのタービンと、ハイパワーを生み出す大きめのタービン、そのふたつを複雑に制御しながらおいしいとこ取りをする発想、これぞまさしく僥倖、じゃなくてシーケンシャルツインターボの誕生です。

 

まあ多分技術的着想とか試験とかは昔からあったのでしょうけれど、国産市販車でシーケンシャルツインターボが採用され始めたのは1990年代以降で、栄誉ある国産最初の採用車種は1990年発売のマツダユーノスコスモです。FD3Sではありませんでした!ザンネンッ!!

 

 

なんという美しい車でしょう!そしてコスモは言わずとも知れたロータリー車。ロータリーはターボとの相性が良い反面低回転域の弱さがネックとなっていました。なのでマツダ開発陣がこのシーケンシャルツインターボシステムに飛びついたのはある意味抗うことの出来ない運命の定めだったのかもしれません。ちなみにコスモは20Bでも13Bでも、プライマリーとセカンダーリーでタービンサイズが違います。これが本来のシーケンシャルツインターボの利点です。

 

ところがコストの問題やら面倒くささやら、いろいろな大人の事情で翌年に登場したシーケンシャルツインターボ車であるFD3S、RX-7ではプライマリーもセカンダリーも同じサイズのタービンになりました。

 

以降、1991年デビューのJZS147アリスト、1993年デビューのJZA80スープラシーケンシャルツインターボを採用しましたがこちらもタービンサイズは二個とも同じという無難な構成になっています。

 

しかし同時期1993年に発売された2代目レガシィ(BD・BG)では、プライマリーとセカンダリーで異なるタービンを用いるという本来あるべき姿のシーケンシャルツインターボが復活しました。

 

このように理論上では優れた特性を持つシーケンシャルツインターボでありましたが、このシステムは複雑な制御を要し、当然部品点数の増加も招くこととなりました。もちろんコストも通常のシングルターボツインターボよりも増します。シーケンシャルツインターボのような高価で複雑なシステムがこれだけ多く日本国内で流通することができた背景には、もちろんバブル景気があったからこそでしょう。

 

メーカーが十分にテストを繰り返し、市販車としての耐久性を確保して世に送り出したこれらのシーケンシャルツインターボではありましたが、当初こそ賞賛の声が大きかったものの時間が経つにつれオーナーからは不満の声が上がりだすこととなります。

 

その多くはシーケンシャルの切り替わりタイミング周辺で発生する「段付き」の加速です。どの車種でも基本的にはメーカーが想定しているような「きっちりとアクセルを踏み込んで、適度に高回転域までエンジンを回す」使い方をしていればほとんど気になることのないレベルでしかなかった筈なのです。ところが実際にシーケンシャルツインターボという高性能なシステムを搭載した車を買い求めた人たちの多くは、その高性能の悦楽を満喫するどころか、燃費だの低回転域でのトルクだのおよそ本質と離れた領域でしかその車の価値を知ろうとしなかったのです。

 

またシーケンシャルツインターボはその制御が複雑であるゆえ想定していなかった様々なトラブルを起こしました。

 

例えばあまりにドライバーのアクセル開度が低かったりとか、オーナーが吸排気系のカスタムを行ったため加給圧特性が変化してしまったとか様々な理由でシーケンシャルの切り替わりタイミングが適切にならず、プライマリーとセカンダリーの切り替え時のラグが顕著に発生したりしてしまったこと。逆説的な話ですが、例えば出来の悪いチューニングカーなどのテスト走行をするときに、スロットル全開~パーシャル~スロットル開度8割などとか、ある一定のパターンの「意地悪」な操作を行うと、セッティングを行ったチューナーのレベルが低い(もしくは手抜き)だと加速時に息付きを起こしたり、ブーストが上限設定値を大幅に超えてオーパーシュートしたりします。ターボ車は基本的にスロットル開度100%付近を使用することで本来の性能を発揮するものです。

 

そしてシーケンシャルツインターボではノーマルでもそういう症状が出やすい。いや正確には出やすいというより、ドライバー自身がそういう症状を誘発するような乗り方使い方をわざわざしているといったほうが正しいのかもしれません。なのでメーカーからみればあれこれとオーナーからの不満が出るたびに苦い気持ちを感じていただろう事は容易に想像できます。ですが市販車である以上、メーカーが想定もしていなかったような使用環境にも対応できるだけの完成度が必要であったという事実も否めないのです。

 

さらに実際には原因の特定が困難なシーケンシャル特有の不具合も多数発生しました。これは部品点数の多さや制御の要素の多さが招いた結果である事は明白でした。基本的なシングルターボだとブースト圧制御はアクチュエーターとインマニの圧力をホースで繋ぐだけで完結するというシンプルさと比較すれば、トラブルが出ないほうがむしろおかしいと言っても過言ではないでしょう。

 

さらに走行距離、年数が経過してくるとその傾向にはますます拍車が掛かりました。実際に私が所有していたFD3Sもセカンダリータービンの加給にトラブルを抱えていました。セカンダリーが回りだせば一瞬はブーストはさらに上昇し始めるのですが、途中でセカンダリーが仕事を放棄してしまうのです。ブーストがたれるとかそんなレベルではないのでシーケンシャルシステムに何らかの不具合を抱えていた事は間違いないのですが、あまりの部品点数の多さと制御の複雑さにトラブルシューティングを諦め、常時ツイン化という安直かつ確実な解決策を選びました。

 

この常時ツイン化という手法はFD3Sに限らず、不具合が発生したシーケンシャルツインターボ車輌ではよく選択される解決策です。この仕組はプライマリータービンとセカンダーリータービンへの排気バイパス制御を捨て、両方のタービンに同時に排気を当てて両方のタービンを同時に回し始めるというものです。この改造をすることによって僅かな低速トルクの減少と引き換えに、段付きのないスムーズな加速と安定したブースト制御が比較的安価で手に入ります。なのでいつまた不具合を起こすかもしれないシーケンシャルシステムの修理に延々と投資を続けるよりも、見切りを付けて常時ツインに切り替えるオーナーが続出することとなりました。

 

そのうちタービン本体や加給システム等の技術革新が進み、大きめのシングルターボでも低回転時のターボラグを発生させることなくスムーズに加給を立ち上げられるようになってきました。大きめのタービンでも低回転域で十分実用的に回せるようになったという事は、当然高回転時の風量の確保も心配する必要がなくなったということです。それはターボラグの解決策として鳴り物入りで登場したシーケンシャルツインターボが、その役目を終えたということを意味していました。

 

バブルが咲かせた徒桜とも言えるシーケンシャルツインターボとはいったいなんだったのでしょうか。低回転から高回転まで全てでの高性能を手に入れようとした強欲さなのか。メーカーとしてのプライドだったのでしょうか。その代償は途方もない時間とコストでした。

 

忘れてはいけない真理がここにある。

何かを手に入れるという事は何かを失うということなのだ、と。

 

 

 

 

乗りものニュースさんに、興味を引く記事が掲載されていました。

 

「ツインターボ」を聞かなくなったワケ

https://trafficnews.jp/post/75089/

 

要約すると、ツインターボはターボが2個も付いているから速い!

でも最近は高性能スポーツカーが減ってきたのと、シングルでも技術の進歩で低回転域でも高回転域でもパワーが出せるようになったのです、と。

しかも時代の流れはハイパワーではなく燃費。なので現在はダウンサイジングターボが主流となってきているが、それもこれから燃費計算方式が変わるため、ターボ車は不利になる恐れが・・・なのでターボ自体が廃れるかも。求められるものが変化すると、使われる技術も変わるというわけですネ!というお利口さんなニュースです。

 

うーん。ヒネクレもののケインは考えてしまいます。

 

日本におけるツインターボの一大ムーブメントというのは1986年(昭和61年)以降、トヨタが20ソアラ71マーク2の2000ccグレードに1G-GTEというツインターボエンジンを載せてしまったことから始まっています。

 

 

あのころはバブル最高潮。ターボでもなんでも数が多ければ偉いみたいな風潮があったんだと思います。勝手な想像ですが。

 

ソアラならまだわかります。当時のトヨタのフラッグシップモデルですから。しかし何故おとーさんが家族とドライブに出かけるために買うマーク2やクレスタ、チェイサーにツインターボモデルを用意したのか?当時としてはまったく意味不明としか思えない采配だったのですが、これがまた結構売れてしまったので以降の国産4ドアセダンの方向性はちょっと面白いほうにシフトしていきます(笑)

 

ツインターボ自体はその後日産からも32GT-R用にRB26DETT、そして32Z用にVG30DETTが世に送り出されました。32Zに関して言えば片バンクにターボ、インタークーラー、スロットルがそれぞれひとつずつ用意されているという、ある意味理に適ったツインターボですが、GT-Rに関してはレースを見越したツインターボだったのです。

 

少し補足します。

一般的にツインターボのメリットはシングルターボより小さいタービンを2個回すことで低回転から高回転までターボラグのない加速が得られるとかなんちゃらというのが定説だと思うのですが、市販車として許される低回転時のブーストの立ち上がりをシングルターボで達成しようとすると、かなり小さめのタービンになってしまいます。いえいえ、もちろんツインターボのタービン1個よりは大きいですよ?しかしターボとしては小さくせざるを得ないんです。そうしないとお客様から「加速しない」「遅い」「どっかんで乗りにくい」などと超お叱りを受けてしまいますので。

その点ツインターボだと元々は小さなターボふたつですが、なぜかブーストを1キロ以上に上げてやると小さいタービンのシングルターボの同じブースト圧よりパワーが出るんですね。まあこれにはきちんとした理由があって、説明すると本1冊くらい書けそうな長さになるかもしれないので割愛しますが、32GT-Rの場合は特にレース参戦が最初から目的でしたので、シングルターボで280馬力を出すのは簡単ですが、それよりも同じ280馬力で伸びしろの大きいツインターボを選択したというのは市販車としての乗りやすさとレース時のパワーアップという相反する要素を両立させるのには必然とも言えます。

 

そのあたりの構図は次世代のトヨタのツインターボエンジンの流れを追いかけていくとなんとなく見えてくるものがあるでしょう。まずトヨタ3000GTとさえ呼ばれた70スープラ。これのマイナーチェンジモデル(後期)から、2500ccツインターボエンジンの1JZ-GTEを搭載したスープラがラインナップされます。このエンジンは最初からセミ鍛造ピストン、メタルヘッドガスケットなどが組み込まれておりもう「んー?自主規制の280馬力じゃつまりないだろう?ほれほれ、ブーストを上げてみな~」といわんばかりのエンジンでした。実際コンピューターをポンと取り替えた仕様でブースト1.1キロ、320馬力なんて楽勝、さらにインジェクターと燃料ポンプ、インタークーラーを大型化した場合は最大でブースト1.5キロ、350馬力オーバーというスペックを誇っていました(ただし純正ツインターボのタービンはブースト1.5キロだと耐久性がガタ落ちです)。この1JZ-GTEはまたしてもJXZ81、90マーク2三兄弟に搭載されますが、JZX100マーク2以降は大幅な変更が行われました。シングルターボ化です。

 

エンジン形式自体は1JZ-GTEそのままなのですが、エキマニのレイアウトから可変バルタイから何から何まで変更されてしまったこの純正シングルターボエンジン。確かに低速からのトルクの盛り上がりは従前のツインターボよりもはるかに力強いです。カタログスペックも280馬力のまま。しかーし!このシングルターボのタービンはレスポンスを重視したために、あまりにもハイブーストに弱かった!!そして高回転時のトルクもついてこない!そして無理矢理ブーストを1キロ以上掛けるともれなくタービンブローするという嬉しくないおまけつき。「こんなことならツインターボのままのほうが良かった・・・」というのは当時よく言われた話です。まあこの話には続きがありますが。

 

この流れを見ていただくと、ツインターボは比較的下から上まで満遍なくパワーを引き出せる、シングルターボは狙いを定めたレンジでは高性能だが、上から下まで全域パワフルというわけには行かない、という印象になりますね。じゃあやっぱりツインターボのほうがいいんじゃん!?と思うでしょ。そうなんです、そう思った人が当時たくさんいました。主に自動車メーカーの人たちです。

 

「どうせツインターボにするのなら、タービン一個は小さいタービンにして低回転からびんびんにブースト掛かるようにして、もう一個は高回転時用にでかいタービンにしておけばターボラグとか関係なく上から下までご機嫌なんじゃね?俺天才!?」

 

それを後世の人々は失われた技術、シーケンシャルツインターボと呼ぶのである。

 

(続く・・・かもしれない)