恩とは何か考えて見よう!

恩とは何か調べて見ると「めぐむ」、「なさけをかける」、「受けた方で有り難く思うべき行為」と出ていた。ウイキペデイアでは「他の人から与えられためぐみ、慈しみのことと出ている。我々は誰から恩を受けているのだろうか。よく考えて見るといろんな人、いろんなものから恩を受けていることに遅まきながら気付くのである。

 

話は変わるが、日本は今年、令和という新しい時代を迎えた。そんな日本を世界は称賛と憧れの目で見ているように思える。日本は神話の時代から二千年を超える皇統の歴史が連綿として続いているという正に奇跡的な国なのである。神武天皇という初代の天皇から現在の天皇まで126代、親から子へ、子から孫へと途切れることなく男系の血統が受け継がれている。世界の歴史を見ても男系王族は長く続いていない。日本に次いで長い歴史を持つデンマークの場合でも、王家は千年ほど続くというが始まりの男系は途切れ、全く別の系統の王家となっている。

 

天皇家のもと日本人は古代から力を合わせ昔ながらの伝統を守って来た。伝統とは昔から受けつがれてきた有形無形の風習・しきたり・傾向・様式・特にその精神的な面をいう。経済という観点から伝統を考えると重要な視点が浮かんでくる。経済にとって欠くべからざるものに資本がある。資本とはお金のことではなく、生産に必要な資産をいう。有形資産としては道路・鉄道・ダム・電気・水道等のインフラ設備、さらに工場・車両等の生産に必要な設備が挙げられる。これら資本があって初めて経済活動が可能となるのである。これら重要な資本は伝統を無視してはあり得ない。現在の資本は先人の営々として築いてきたものを我々が受け継いでいるのだ。現在、我々が利用している膨大な資本は先人たちが血と涙で作り上げて来たものだ。先人に感謝を捧げねばならぬ所以である。

 

先人の恩とは?

我々が現在存在しているのも、せんじ詰めればご先祖様がおられたからで、ご先祖様に感謝しなければ罰が当たるというものだ。さらにご先祖様が残した膨大な資本(生産資産)がなければ、我々の経済活動は成立しないのである。

 

戦前の教育では自分より目上のものへの敬意を忘れぬよう教えられた。仏壇に向かいご先祖様に日頃から感謝の念を捧げるよう言われたものである。これは先人の築いた資本の観点からも誠に合理的なものであったと言えよう。

 

先の大戦で日本は破れ、人間はみな平等であるという西洋の考えが押し付けられるようになった。法の下での各人の権利は平等であるという考えは理解できるが、人間は皆何もかも平等であるはずはない。親は子供が成人になるまで愛情をもって育てる、子供はこの親の恩に感謝するのは当たり前のことであろう。しかし現状では、親孝行と言う言葉は最早死語となっているようだ。

 

年長者への敬意

昔は一日でも早く生まれた目上のものへ敬意を持つのが当然であったが、最近は状況が違うようである。若者は新しいモノへの対応が早く、対応できない年上のものを馬鹿にする傾向がみられる。しかしそれは目先のことであり、現在生きている我々が享受している利便性の多くが先人のお陰である事実を考えれば、当然先人への感謝の気持ちが湧いてくるはずである。人生の先輩に対して感謝することを忘れてはならない。親は子へ、大人は後に続く後輩へこのことを伝えていかねばならぬ。恩を忘れるものは犬畜生に劣ると昔から言われてきたものだ。敬老と言うことが現代でもいわれているが、どちらかというと老人は弱者で、いたわりの対象とされ敬意の対象ではないように見える。本当の意味での年長者への敬意が溢れる社会の実現が望まれる。

R1-12-7記