みそ汁も文化?

前回、文化とは「人が人工物をどのようにして作り出すのか、そのやり方に関するもの」と書いたが、今回はもう少し詳しく考えて見よう。人工物として「刀」を例にとる。日本には日本刀があり、シナには青龍刀がある。西洋にはフエンシングに使われるような細身の剣がある。同じ目的の剣ではあるが、民族とか部族とか特定のグループにはそれぞれ独自のパターンが見られる。西洋では剣は主に相手に突き刺すように作られている。シナでは切れ味ではなく剣の重量で相手を叩き潰すように作られている。日本刀の場合は切れ味が第一であるが、見た目が大事で美しくなければ評価されないようである。このように特定のグループが人工物をつくる際、そのグループ特有のパターンがあり、それは親から子、子から孫へ、師匠から弟子へと教育により伝えられる。このようにグループごとにみられる特定のパターンを文化という。

 

以上文化の定義のごときものをご紹介したが、いろいろ調べてみてもこのような説明は見当たらないようだ。刀を例に挙げたが、食文化についても同じような説明ができる。昔、日本の家庭で普通だったみそ汁はおふくろの味として各家庭で微妙に違っており、それがその家の文化であった。現在、みそ汁を朝食する家庭はどのくらいあるだろうか。インスタントでお湯を入れればすぐに食べられるみそ汁は出回っているが、なんとも情けないような気がするのは筆者だけなのだろうか。現在、和食が世界で認められ、みそ汁も見直されているようだがこれからどうなるか興味がある。以下次号に続く。