世界の中心「臍」で宇宙を叫ぶ
  • 01Oct
    • (一)主の一人称の語り

      まず、聖句を一つ選びます。たとえば、定期的に読んでいる書の一章の中から、好きな一句を選んでもいいし、「白いハトの祈り 三六五日」のような本から、その日の聖句をもらってきてもいいのです。私は、目をつぶって最初に来る聖句を開いてみたり、時には、聖句カレンダーみたいなものを利用することがあります。いずれにしても、あまり長いテキストにしないで下さい。長くても二節くらいまでがいい。主に今日一日を感謝し、それから、みことばを通して主が語って下さるように祈ります。与えられた聖句に集中します。主が今朝この聖句を通して私に語られているのなら、主は何を言わんとされているのか。こころに来るままをノートに書いてみます。主が私に語るのですから、主の一人称で書いてみましょう。たとえば、私は今朝、ロマ八章二節を瞑想しました。主のことばとして、次のようにノートしました。テキスト・・・なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。見よ わたしはお前を罪の縄目から解き放ち いのちの自由を与えたではないかわたしの霊がお前に宿り わたしの霊がお前を流れる時お前は 解き放たれた小鳥のように賛美を歌う愛する子よ わたしはお前の賛美をいかによろこんでいるか飛べ 自由に霊の大空を飛ぶがよいわたしの喜びを賛美するがよい美しいことばですね。主の一人称の語りですから、主が直接わたしに語っておられると信じる信仰です。そんな自分勝手な想像ではないかと人は言うでしょうが、信仰をもって書くならば、主が自分に語られているということが分かるはずです。たとえ自分勝手な想像であってもいいと、私は思っています。みことばを瞑想するというのは、聖霊のよろこびなのであり、必ず主の思いが挿入されてくるからです。聖霊の一つの特徴は、みことばを瞑想する時の魂のよろこびであり、空を飛ぶような軽快さです。重たい感じがある時は、主の血潮を祈って下さい。聖霊は、賛美の霊であり、暗い霊ではありません。ついでながら、祈る時は、いつも血潮で祈ることから始めると、安全ですね。敵の付け入る余地がありません。恐れず、瞑想をして下さい。敵は、わたしたちをみことばから遠ざけようとするが、みことばはわたしたちを御神に近づけてくれます。さらに、主の語りかけは、けっこう日常生活の具体的なことまで言及されることがあるのも知っておいて下さい。また、わたしの対人関係についても。洞察が与えられることがあります。しかし、「主がわたしに語る」というのは、あくまでも自分の信仰の領域として受け取ることですから、他の人に向かって、「主がこう言われている」と押しつけがましい宣託を言わないで下さい。

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  • 30Sep
    • 静かな時

      まことに、イスラエルの聖なる方、わが主なる神は、こう言われた。「お前たちは、立ち帰って静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」と。静けさのうちに、主とまみえる。静かな時というのは、主との交わりの時のことです。救いの力は、静かに主を待つ者に臨む。一人の魂として、わたしは主の前に静かに立ちたい。そして、今やわたしは主の働き人として呼ばれた者です。わたしの魂に主への熱い思いがなければ、わたしはどのようにして主を語っていいのか分かりません。主がわたしに直接語って下さるということを体験しなければ、わたしの魂が燃えることもありません。わたしたちは主の羊であり、羊は羊飼いの声を知っていると言います。わたしたちのいちばん深いところが、主の御声を聞いているのなら、さらにわたしの意識の世界にも主の言葉として聞きたいものです。毎日、静かな時を持って、主の声を聞く訓練をしたいと思います。子供が箸を操るようになるのは、訓練のおかげでしたね。いのちのあるものは、すべて学ぶことによって、自分のものとされてゆくのです。愛する人の声を聞くというのも、一つの訓練なのです。子供は、毎日親の声を聞いているから、他の人の声と親の声を区別できるのでしょう。聞くというのも、学びであり、訓練なのです。うれしいことに、主の声を聞くという霊の訓練をするなら、誰でも聞けるようになるのです。「霊の訓練」(スピリチュアル・エクササイズ 日本語訳では、「信心」Ⅰテモテ 四・七)というのは、何か厳格な感じがしますし、事実カトリックの修道院などでは非常に厳しい訓練法がありますが、わたしたちは、聖書の言う簡単な方法を取り入れてみたいと思います。簡単で自然で、そして御霊のよろこぶようなやり方を学びたいですね。静けさの中で主の声を聞くという訓練は、「この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです」(Ⅰテモテ 四・八 新共同訳)これは、メッセージ・トレーニングではありませんから、人に聞かせるのではなく、あくまでも主と自分との交わりです。しかし、あなたの霊の耳が純粋になればなるほど、あなたの霊の目が透明になればなるほど、あなたのハートからあふれてくる主のことばは、他の人をも潤すようになります。この霊的訓練が、ハートの個人トレーニングとして、役に立てばいいなと思います。次の四つの方法は、私自身、用いてきた方法ですが、肝心なことは、方法ではなく、主の御旨を知りたいというあなたのハートなのです。求める者に、どうして主が沈黙されるでしょうか。子供のような単純さで子供のような期待をもって、毎朝、主の前に出て下さい。この訓練は、少なくとも三カ月は続けて下さい。毎朝、自分一人、静かな時を持ちます。友達や家族の者と一緒にしてもいいでしょう。他の者がいる時でも、まず各々が沈黙の中で、主の声を聞く時を持ちます。その後、自分が学んだことを互いに分かちあうのもいいでしょう。三か月も毎日訓練を続けると、必ず「主は、私に語られている」という霊の確信のようなものが生まれるはずです。そうすると、あとは、毎日しなくても、あなたの一生の宝として持続するようになるでしょう。

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    • 主の前に静まる part2

      昨日の続き第二ステップです。第二ステップは聖書です。自分の願い事を申す前に、主はわたしに何を言わんとされているのか、聞くのです。それにはみことばに向かうのが最善です。パッと開いたところから一句を取り出してもいいのですが、できたら毎日読んでいるところから今朝の一句を選んで下さい。それをノートに書き写します。声に出して朗読してもよし。同じ箇所を英語で書き写すのもよし。そして、みことばの感想を書いて下さい。何でもいいです。こころに来るままに書き記します。自分なりの考えを書くだけの感想ですが、聖霊ははたらきます。そしてまた、主はこの一句を通して自分に何を言わんとされているか考えてみます。想像の翼を広げ、書かれてる状況に自分を置いてみるのです。主の側に自分を置いて考えてみるのです。すると、一つの想いが湧いてくるでしょう。それをノートに書いてみる。これは霊的訓練(スピリチュアル・エクササイズ)です。感想は人から神に向かうものであり、想像は神から人へ向かうようで、真反対のように見えますが、実は一つ同じいのちの現れです。聖霊のとりなす業なのです。祈りや瞑想をしていると、聖霊とわたしの思いが交わる接点で生まれることばや想いが湧いてきます。どこまでが自分のもので、どこからが聖霊のものか、境界線を引こうとすると、難しくなり混乱するだけ。「主が自分に語っておられる」という信仰を貫くのです。信仰なくして、主をよろこばせることはできません。たとえわたしの聞き方が間違えていても、主は必ず軌道修正をして下さいます。第三のステップは、自分の願い事を主に申し上げることです。二番目の段階で、自分の願い事も主が応えられている場合が多いのに気がつくでしょう。でもどうしてもこれだけは主に申し上げたいという祈りのリクエストがあるでしょう。遠慮などいりません。素直に具体的に申しましょう。病のいやしや経済の不安、地震や災害からの守り、また世界の情勢についても気に掛かることは何でも祈りましょう。第四のステップは、感謝です。祈りを聞いて下さる主に感謝を申し上げるのです。いや、感謝は第一のステップから始めて下さい。祈りは、感謝に始まり、感謝に終わります。祈りの生活にいちばん弊害をもたらすものは、「ゆるせない」という思いです。主の前に静まると、意外に「いやな人」の顔が浮かんでくるものです。聖霊が「ゆるしてあげなさい」と、あなたに言われているからです。ゆるすという気になれなくても、感情的についていけなくても、主にあってゆるすということを口にします。祈りの中での「ゆるし」は、霊的波及力をもって地の果てまで行きます。光りの子は、光りの子らしく。

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  • 29Sep
    • 主の前に静まる

      いのちの家は、主の前に静まる場です。わたしたちの確信はこうです。人が主の前に静まれば静まるほどに、天のいのちはその人に注がれ、教会に注がれ、地の下にまで注がれてゆく。世界が不安になればなるほど、わたしたちには主の前に静まるのです。いのちの家は、そのために与えられました。ここはいやしの家です。希望といのちの源泉です。どのようにすれば「静まる」ことができるか。ノウハウではありませんが、ヒントを記しておきましょう。まず第一に、祈りと瞑想の時間をとります。五分でも十分でもいい、できれば朝いちばんがいいです。イエス・キリストの前に出て、主の流された血潮で浄めていただきましょう。「主よ、あなたの血潮でわたしを覆い給え。わたしの霊、こころとからだを、浄めて下さい」さらに、愛と光を祈りましょう。「主よ、あなたの愛と光でわたしを満たして下さい」キリストの愛と光をイメージすると、祈りに力が湧いてきます。ここまでが第一ステップです。

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    • 今 みことばを食べよ

      主なる神は言われる、「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくでもない、主の言葉を聞くことのききんである。」アモス 八・一一その時がそこまで来ている。地震よりも、津波よりも、戦争よりも恐いものがある。みことばの飢饉です。聖書はいつでも読めるから心配しない、と言う愚か者は、来るべき大嵐に吹き飛ばされてしまうでしょう。今、みことばを食べ、みことばの滋養によって体力をつけよ。嵐に立ち向かうだけの強靭な体力を身につけるがよい。かの時、慌てふためいても、遅すぎる。聖書のことばを毎日、毎日、噛むように食べるのです。するとあなたは、自分の内なる人がよろこび、さらにみことばを欲し、さらによろこぶのがわかります。内なる人の意識が鮮明になります。終りの時、キリストのからだが姿を現しつつある今、信仰の原点に帰るのです。みことばを食べ、みことばに生きる原点に帰るのです。みことばは、からだそのものだからです。きょう、み声を聞いたなら、神にそむいた時のように、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない。ヘブル 三・一五

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