昨日のTVで、新入社員(じゃないか)の若い刑事さんの仕事ぶりが紹介されていました。![]()
刑事といっても現場に行って捜査するだけでなく、捜査資料をまとめて、74時間以内に検察庁に送らなくてはなりません。それは自分でまとめるので、写真や状況検分、調書など証拠を番号順にまとめなくてはならない・・・しかも、それをストーリーにして書類を仕上げる・・・・これは「作文」ではないので、結構技術が必要です。
で、この方の場合、1人で必死になって、夜11時過ぎまで頑張っている
。
カメラの映像では、同じ部屋に同僚刑事がこの時間でもかなりの人数居残っていることがわかります。
で、見るに見かねて、帰り支度の同僚が、手を出して、手伝ってくれる。しかも、1人でなく、数人の先輩同僚がてきぱきと指示してまとめるのを手伝ってくれる。どうやら、書類を取り上げられて全部手を入れられているみたい。証拠番号も取り直しになっているみたい。![]()
で、100ページの書類ができあがりました。
良かったですね。誰に言うとでもなく、「どうもありがとうございました」と目礼する姿が印象的です。
上司の一言も印象的でした。
「わからないことあったら、助けをよんでいいんだよ」
☆☆☆
そこで思ったのですが、この新人さん、11時になるまで1人で必死でやっていましたが、誰にも相談した気配がありません。11時になって期限が迫ってきて、送検できないとチームの問題になってしまいます。犯人を釈放しなくてはならなくなります。
この新人刑事さんの「思い」(鳩山首相の口癖ですね。思い・・・って、何だと思いますが。)としては、自分が責任をもって・・・と思っているのだと思いますが、それができるだけのスキル・技術がないのは、明らか。自分でもわかっていて、助けを求めることをしていない・・・この事実をどう捉えるか? という問題です。
これって、自分にも思い当たることありませんか?
日本人の深層文化として、周囲に助けを求める、というコミュニケーションがほとんど(やろうとしても)できないということがありますね。このままだと困ったことになるのがわかっていても言いだせない。
なぜ、これほどコミュニケーションの敷居が高いのでしょうか?
☆☆☆
自意識が邪魔をする、
訊くと面倒がって教えてもらえないのではないかと心配になる、
相手の邪魔になるようなことはないか配慮する・・・
☆☆☆
日本人の深層には、駄目モト主義を嫌う風潮があるのだと思います。駄目モト主義
は、コミュニケーションのハードルを確実に下げてくれます。そして、コミュニケーションのハードルは自分の側から簡単に下げられます。上司から
「わからないことあったら、助けをよんでいいんだよ」
という言葉をもらうまで待つ必要なんか全くないんですけどね。動けないんですよね。つまり、無意識のうちにハードルを自分の中で勝手に上げてしまっているんです。
これって、ヨーロッパでは、まず、ないですね。
ラテン系では、ありえません。
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