■原理の基本は主体と対象

原理は、非常にシンプルです。基本は主体と対象です。組織が主体であると考えている人は、その組織に依存するし、逆にその組織を批判する。きわめて単純です。しかし、主体は組織ではなく家庭であると考えている人は、自分の家庭であるという基本的な主人意識があるので、何かあれば自分で解決を探ります。

■家庭の責任は自分が持つ

当たり前ですが、自分の家庭は自分が解決しないと誰も解決しないからです。しかし、組織が主体の人は組織に解決法を求めます。しかし、組織はあなたの家庭はわかりませんし解決できません。組織上、いつ人事になるかもしれない人に、神様が喜びを共有しようとした家庭の責任を丸投げするのはあり得ません。

■創造性と責任分担

神はなぜ、創造性を与えたのでしょうか?神様は人間に誰からも介入される事なく自分で決断して自分で責任を持つ事で、神様がどのような思いで人間を作ったのか?その喜びと苦労を共有して真の親子になりたかったからです。それ故、創造性は、最初から最後まで自分が責任を持つという立ち位置を自分で決めないと働かないようになっています。

■創造性と無意識

それ故、自分で責任を持つと決めた人は、神様の創造性と出会い、いわゆる導かれて自動的にその解決を創造的に行うようになります。創造性は無意識と繋がっているからです。それ故、自分の重要性を創造目的に繋がないと原理軌道に乗れないのです。

■主人意識の重要性

結論として、主人意識を持った天一国主人であるという意味を正しく理解できないかぎり、いつまでたっても、原理の自律性を主管性でのみ生きる万物と同じレベルを超えれないのです。

■なぜネガティブになるのか

それ故、組織を主体にすると、自分のゴールを自分で決めれないので、脳機能によって、自分の重要度が肉体を環境的危機から守る防衛本能によって支配され、どんどん、過去の出来事とネガティブな感情に支配されて行きます。目的がすり替わった事に気が付いていないからです。

■本当の危険水域は組織ではなく思考法の問題

ある人が、以前、組織は危険水域に入ったといっていましたが、私から見れば危険水域にいるのは、ネガティブな過去を毎日、ブログに書いている人と、それに対して過去の怒りの記憶を増幅しながら、自己評価を下げて、自分の正義を掲げて、真の愛とは真逆の活動を継続している人たちです。

■創造目的を奪われる人のメンタリティの変化

本来の目的ではなく、手段の目的を追っかけているので、本来の目的と手段の目的が対峙しながら、臨場感の高い怒りを伴う後者を選択しているので、論調がずれていくのです。

これは、共産主義運動に走るメンタリティと同じです。理想を掲げて、段階的に目的が手段となり、最後は共産革命の流れに突入するのです。彼らは、自己正当化する為に意図的に嘘を肯定しますが、上記の過程を繰り返すと結局、過去の自分の神体験までも否定し始めます。

■メンタルの奴隷化

そして信仰を失った人は、不可視的なものに対して段階的に批判します。なぜならば、手段の目的は組織論になるので結局、過去の奴隷になるのです。そして私達は奴隷だったと思い込み、自己評価をどんどん下げていくので、叫び始めるのです。お父様は天使長を僕ではなく弟であると語られています。

■組織の内と外の議論は手段の目的の議論

同じ原理用語を語ってもその人は、完全に外から物事を見るようになるのです。しかし、実は、組織の外から見る事や組織の内から見る事が重要ではありません。組織の内から見ようが組織の外から見ようが、それは結局、組織を基軸に考えているのです。従って、どちらが正しい間違っているというのも所詮、同じレベルなのです。

■創造目的を失った事が人間を僕や奴隷にまで追い込んだ

それ故、創造原理、創造目的で見ているのかが重要であると考えるのです。組織の外と内の論理を繰り返す人は結局、組織論の枠で考えて、原理とは無関係なのです。しかし、原理を語りながら自らの価値観を主張しているので自分自身も混乱しているのです。

■創造目的が全ての基準

これは、実は、組織問題、教義論争以前の問題なのです。しかし、それがわからないのです。組織は人間が作るものであり、教義解釈もまた、真理に対して人間の解釈が入るものです。なぜならば神様は真理を段階的に与えているからです。しかしながら、創造原理を神様は、創造が始まって以来一度足りとも手を加えてはいないのです。

■変えるべきは組織の体質でなく我々の思考法

こう考えた場合に、創造原理の時代であるというのならば、創造原理を基軸にした思考をしないと、祝福家庭は過去の奴隷となり、環境が変わってほしいと泣いている奴隷にしか過ぎないわけです。

■家庭盟誓の重要性

すべての出発点は非常に簡単です。毎日、唱和している家庭盟誓の「天一国主人」にいつかなれるかな?ではなくて、「天一国主人」なので、すべての責任を私が持つと決めてしまうことです。

組織を語る人は結局、それがないのです。その証拠にあなたがやりますか?というと、ババを引かすのかと宣うのです。わかりますか?

組織論でもなく、教義論争でもなく、真の家庭の問題でもなく、あなたが、自分の立場を決定しようとしないので、創造原理も脳の機能も停止している。ただそれだけなのです。

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