戦争を知らない子供たちが育てた、インフレを知らない子供たち③
さて、Bさんとの話の続きです。
(4)校内暴力から陰湿ないじめへの変化
まあ、集団があればそこから外れる人間は、いつの時代でもあるもんです。暴力とかいじめとかいう問題、僕らの世代になかったかっていうとそんなことはない。
イジメっ子は現に存在していましたね。
ただ、集団で1人を攻撃するよりは、1:1ってケースが多かった気がする。しかも、分かりやすい口撃(対本人へ直接暴言)とか、タイマン勝負的な展開がほとんどで、周囲の無関係な人たちは留め役に回るかイジメっ子を悪と捉えて無視またはおびえてるっていう感じが多かったかな。
まあ、社会から外れた奴が1人(少数)暴れる校内暴力の時代でしたね。
でも、今のいじめってかなり違いますよね。集団で1人を目に見えない陰湿な手段で追い詰めていくケースが殆んどです。
この傾向を感じたのは15年ほど前、塾勤めで中学生を指導していた頃。今は、アラサー世代の人たちの青春期の頃からです。
最近の犯罪でもそんな傾向があるような気がします。いいことではないけど、アラフィフ世代の傷害事件の場合は単独犯が多く、アラサー世代だと集団暴行がやけに目に付くってBさんとも一致しました。
ここでBさんは、面白い喩えをしました。
「ウルトラマンや仮面ライダーと戦隊もの、どっちで育ったかの違いでしょう。」
これは、僕も理解できた。強大な敵に1人で立ち向かうウルトラマン・仮面ライダーに熱狂した僕らの世代と、集団で1人に立ち向かう戦隊もので育ったアラサー世代以下・・・。
これが、いじめの質を変えた・・・、まあ主因じゃないけど、さもありなんって感じますね。
Aさんの言ってた扱いにくい部下。
巨人の星やあしたのジョーなどの根性論や、経済成長期からバブル期を経験した成功への貪欲な努力心や向上心。そんな考えは、彼らの世代にはうっとうしいものらしい。
だから、頑張らなくてもいい緩くてもいいって感じる惰弱な者同士に連帯感が生まれ、その勘違いしてる平和を乱そうとするものに対して、必要以上の敵愾心を持つ。
そのアラサー世代以下でも、真に実力があるものは徒党を組まずに1人でのし上がっていく。それができないものは、弱い者同士のコミュニティを作り上げる。
現に、指導しているBさんの息子さんは、学校でのいじめや嫌がらせに対して、
「周りの考え方から外れた奴をいじめてるケースが多いですよ。例えば、一生懸命勉強する奴のノートや教科書を集団で破ったり捨てたりとかね・・・。」
と教えてくれました。はあ、嘆かわしいですね・・・。
Bさんは、Aさんの悩みにそんな考えを示してくれました。そして、僕の考えにも付け加えて・・・・、
「F先生は、ヒトという生物が万物の霊長として生物界の頂点に立ったのは、努力する心と向上心で自らを進化させたからだって、よくいいますよね。」
はい。生徒を奮い立たすたとえによく使います。
「ヒトが努力や向上心を失ったら、ただの裸の猿だっていうのもすごくわかりますよ・・。」
「付け加えるなら、裸の猿だから群れを作りたがるっていうことですよね?」
あ、それは思いつかなかったなぁ、でもドンピシャ!
(5)最後に雑感
Aさんの抱えた問題は、社会や親の育て方にも原因があるのはそのとおりでしょう。Bさんが補足してくれたように、兄弟構成の変化もそれに輪をかけています。
ただ、悲観的な状況に流されて、自らの向上心を失いさまよう人々。それは、自らで律することはできないでしょうか?
若さゆえの過ちなんて言葉は、もうそろそろ通用しない年代に脚を突っ込んでいるのでは?
僕は、個人の力で道を切り開いていくことができる強さを身につけていくことが、混迷の時代を切り抜けるすべの一つと思いますけど、どうでしょうかね。
