模型と趣味と業界とモデラーと・・・④
ガンプラブームというプラモ業界に大きな嵐を巻き起こしたブームが沈静化することによって、バンダイが考えた次の策・・。
機動戦士ガンダムの続編を作ること・・。
そういった経緯で誕生したのが「機動戦士Zガンダム」~「機動戦士ガンダムZZ」、そして劇場版の「逆襲のシャア」の3作品です。
まあ、完全に思惑通りとまではいかなかったようですが、ある程度ガンプラの売上は回復傾向に向かっていくんですね。
ただ、そういった原作人気だけでプラモを売ることに限界を感じていたバンダイは、次々と新基軸を盛り込んだキットを開発していきます。
●色プラ・・・1985年頃に登場。1つのランナーに多色のパーツを組み込んで、パーツごとの色塗りの負担を軽減するシステム。これによって、塗装のストレスは軽減されていく。
●ポリキャップ・・・これも1985年頃に登場。可動を繰り返すと緩くなっていた関節部を塩ビパーツで接合することによって、その現象を軽減している。
●スナップフィット・・・ガンプラでは1988年頃登場。欧米のメーカーは、1960年代以降接着剤を使わずに組み立てられるプラモデルを相次いで発売しているので、バンダイの発明というわけではない。凹凸を利用してパーツを組んでいくシステム。
特に、色プラとスナップフィットの登場は、日本のプラモデル史に残る大きな革命的事件でした。つまり、彩色して接着剤で組み立てるという本来の方式が、瓦解した瞬間でもあるのです。
これによって、今まで垣根が高かったプラモ作成という趣味は、大きく裾野を広げていき、バンダイの思惑通りさらなる新規ユーザーの拡大へとつながるのです。
そこで、バンダイの次なるユーザーの掘り起こし策。1つは小学校低中学年にむけたSDシリーズというデフォルメ化したキットの開発。
そして、HG(1/144)→MG(1/100)→PG(1/60)という、よりヘビーなユーザーに向けた商品開発を進めていくのです。
特に、MGは1995年に登場し、初期ガンプラブームを支えたユーザーに対する再アピールできる商品レベルを持ったキットとして発展していきます。
また、HGもさまざまな変革を遂げながら、幅広いユーザーの支持を得ていくのです。
ここで、僕がバンダイの表現にそってユーザー(ガンプラ購買者)という言葉を使ったのは、過去のモデラー観が瓦解したことにより、今までのコレクターでもモデラーでもない購買者が登場したからです。
バンダイの功罪を述べるとすると、功の部分はこのような形でプラモの裾野を広げて行ったこと。これは評価に値します。
では、罪はっていうと、旧来からのモデラーの活動範囲を狭めたことでないでしょうか?
例えば塗料メーカーのクレオス。過去にはガンダムカラー、マーカー類など数多くのタイアップ商品を産み出してきました。しかし、色プラ系ユーザーの広がりによって、ただ組み立てるだけの購買者がガンプラ購入層の5割にも達する事態となり、塗料の売れ行きはジリ貧です。
その結果、廃盤となる商品まで出だし、塗装派には大きな打撃を与えています。
しかも、スケールモデルは、プラモ専門店以外ではなかなか手に入らない状況も加速し、スケールキットモデラーにとっては冬に時代になったとも言えるのです(割引の恩恵になかなかあずかれないという不満)。
そして、ガンプラのような色プラにしか通用しない仕上げ技術もいろいろと開発され、その方法で作っていれば一端のモデラーであるという新たな価値観まで創りだしてしまったのです。
僕は、このコラムの一連の記事で、プラモデルに関することを書いてきたわけですが、ガンプラ限定でどうだとは論じてきたつもりはありません。
かつて、僕の友人がきつい口調で僕にいった言葉。 F氏的プラモ感・モデラー感 その3 参照
「俺たちモデラーと、ガンプラモデラーは一緒にしないでほしいね。所詮ガンプラモデラーは、ガンプラという範疇から出られないんだから。」
この言葉の意味を、今はっきりと認識しているんですよ。
ガンプラ(バンダイ)のシェアが6割、それは企業努力のなせる技だからそれはいいことでしょう。でも、ガンプラは未来永劫存在するのでしょうか?
もし、後世にガンプラにしか通用しない作成法だけが伝わったとしたら・・・・、僕はぞっとします。
必ず、どんなキットでも作れるモデラーが生き残って、正しい方法(どんなプラモにも通用する方法)を伝えてほしい。そういう思いで、今回も記事を書いています。その思いは半年前から変わっていません。
だから、僕は一貫してプラモっていう表現をとってきたわけです。ガンプラという狭い範疇で論じるのではなく・・。
次回でまとめます!
