凛と張りつめた空気が、ドアを開けた途端に全身を包んで、身を震わせた。

 

 庭先の犬小屋から、柴犬のさくらがぴょこんと出てきて、さんぽ? という顔であたしを見上げる。

 

「ごめん、さくら。今日は駄目」

 

 詫びて門の外へ出ると、小さくワン、と咎めるように鳴いて、今度は家の方に向かって散歩を催促する泣き声を上げた。母には言ってきたから、そのうち母か、仕事から帰ってきた父が行ってくれるだろう。

 

 夕方の六時を過ぎると、もう外は暗い。

 

 胸がざわめくような、ときめくような、妙な気分で約束の場所へ向かう。

 

「志乃ちゃん」

 

 目的地に着く前に声をかけられて、目の前から彼が歩いてくる。

 

「喬之さん」

 

 どうして、と声にならない呟きに、彼は笑った。

 

「港まで行こうと思ったら、思ったより暗くなるのが早かったから」

 

 迎えに来た、と照れたように。

 

「…ありがとう」

 

 あたしは、何だか急に恥ずかしくなって俯いた。

 

 さくらが縁になってくれて、しばらく前に出逢った喬之さんは、遠くから転勤してきた人で、その理由にあたしは胸を痛めた。

 

 結婚話が破談になった、というのは、あたしも――――同じだったから。

 

 県外で就職して長い間付き合っていた彼と、やっと結婚できる筈だったのに。

 

 向こうの両親からの強固な反対に、心が折れてしまった。

 

 あたしの何が駄目だったのか、未だにわからないけれど、やがて彼は地元の有識者の娘と結婚したらしいと、風の噂で聞いた。

 

 かなりつらかった気持ちを誰にも吐き出せずにいたから、喬之さんに出逢って心がほぐれた。

 

 傷を舐めあうような関係なのかもしれないけれど、さくらの散歩の度に出逢うのが楽しみになり、穏やかな時間が過ぎていった。

 

 いつしか、彼に惹かれている自分を感じて、少し戸惑っている。

 

 そして今日は、初めて二人だけで食事に行く約束をした。

 

「何だか急に寒くなったね」

 

 と、喬之さんがコートの襟を合わせて、あたしの隣に並ぶ。スーツなのは仕事帰りだからだろう。

 

「あのさ」

 

 コートのポケットから手を出して、あたしの前に出す。

 

「寒いから―――――手、つないでいい?」

 

 暗くて表情は見えないけれど、きっと赤くなってるんだろうなと思うと、あたしの顔も熱くなってきた。

 

 返事の代わりに、喬之さんの差し出した手を握り返す。

 

 彼も同じ気持ちだといいな、と思いながら。

 

 

 

 

                          Fin