久しぶりに震災の頃の自分の公演レポートが読み返したくて、半分壊れかけた以前の「アンダー冬美」のサイトを自分で検索(笑)
レポートだけはまだこの一覧から読めるようです。
以前、アメブロへの移行を試みましたが文章が長すぎてコピペでは無理。
残念ながら断念したので、どなたかお暇な方がいたらどっかに移行しといて欲しいなぁ。
ダウンロードもしてないので、そのうち消滅すると思います。
んで、今回読んだものも、まだ読んでないものも含めていくつかお気に入りをピックアップしてみました。
今と全然文体が違うものや、その過程なのか文体が途中でチグハグになったり、誤字脱字も今と変わらずありますが、本当に書いておいて良かった。
今より詳しくてよく書けてますねぇ(自画自賛)
突然変異で今の冬美ちゃんになったんじゃなく、真っ直ぐに、真剣に歩んできた歌の道。
そのひとつひとつのステージ全てに心を動かされた観客が毎回1000人、2000人と積み上げられていったことがわかります。
あのとき、あの場にいなかった自分を後悔するでしょうが、冬美ちゃんの歌の道はこれからも続きますから、同じ時代に生きていられる幸せな我々はひとつでも多くのステージを生で観て、そして受け取った心を書き残して聖書としたいものですね。
100年後に「坂本冬美」を知るだろう未来のファミリーのために。
順番はバラバラですが、ぜひ読んでみてください。
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テレビでも放送された初めてのビルボード東京でのライブ。衝撃的。その後強く強くビルボードライブを望んできたのはこの最初のビルボードの衝撃があったからです。諦めずに言い続けて待てば願いは叶うというか、冬美ちゃんが叶えてくれるのが本当に嬉しいです♪
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本田美奈子さんの毎年開催さてれいる追悼ライブ。後から知ったのですが、冬美ちゃんは10回忌の記念に向けて美奈子ちゃんのご家族へのサプライズとして美奈子ちゃんがミュージカル界に命を懸けて臨んだ「命をあげよう」を1年間練習してこのライブのためだけに仕上げたとのこと。絶句。
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今やコンサートの定番になった歌謡浪曲入りの岸壁の母。二葉百合子先生が現役引退なさって冬美ちゃんに岸壁の母を託して初めて披露された日。
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行ったことは覚えていますが、内容が思い出せなかった那智勝浦での無料招待コンサート。
このコンサートの前に勝浦港で名産品を紹介するテレビロケをされたんじゃなかったっけ?あれ?ロケじゃなくてイベントかな?
あの体育館での光景はその他では経験がないのでよく覚えています。
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毎年、春に明治座で単独コンサートが開催されていたと思うのですが、ゲストに二葉先生が登場してくださるのが定番となっていました。
といっても2年目にあたるこの年に、たぶんチケット発売した後に二葉先生の翌年引退が発表された気がします。
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大好きな「道」がテーマの25周年コンサートツアー初日レポ。
30周年ツアーとリサイタルも超絶カッコよかったのですがレポ発見できず。
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25周年リサイタル。
ポスター・パンフレットが篠山紀信さん撮影で当時はまた君大ヒット直後だったのですが、演歌歌手である冬美ちゃんの25周年のメインビジュアルがお着物ではないことが大きな衝撃でした。
ちなみに、この25周年リサイタルにUNDER FUYUMI名義で贈ったスタンド花の札は持ち帰って今も私の寝室に飾ってあります♪
「旅立ち編」はその後の多方面での大活躍を言い当てていたと今もこの先も自慢です。





