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子供の時は行きつけのお医者さんがいた。




亀有の環七沿いにあった大山小児科。




母の子供の時もかかりつけだったそうだ。(母は亀有育ち)




入り口を入りスノコを上がると右には飲料用の上にチョロチョロ出る水道。





左に行くと待合室。






待合室はほぼ正方形で左角の突き当たりはトイレ。




正方形の壁際の2辺に木で出来た備え付けのベンチがあり、中央は椅子は無く。ペルシャ調の絨毯は敷いてあった。(今思うと、子供が家にいるようなくつろげる空間を演出していたのかも)





壁にはウ○コの標本模型が飾ってあった。





待合室を右に行くと診察室。





診察室はとても広く、やはり正方形で壁や棚には所狭しと人形やオモチャが飾ってあった。




天井には飛行機の模型が吊るされてあり、全て診察を受ける子供への配慮であった。




先生はと言うと、オモチャの雰囲気とは真逆のちょっと強面の横山ヤスシ似のメガネの先生だった。




年齢はおじいちゃん。





診察に行くとまず、小さめの鍋をわたされ、ウ○コを取りに行かされる。その後、ベットに寝かせられ、お腹を押しながら探ったり、叩いたり、聴診器は勿論、とにかく良く触ってくれた。




とにかく安心感があり、待合室はいつも子供たちとその親で溢れかえっていた。






私の記憶のまだ無い頃、腹痛で大きな病院に行ったそうだ。待合室で待たされていると、時にうずくまる程痛くなったと思ったら、急に治るのを繰り返していた。





病院でもよく分からず、その日は様子を見るようにと返された。





そんな私を、母方の祖父が心配して無理矢理大山先生の所へ連れて行ったそうな。





先生は私を診てすぐに、腸重積だと診断した。





腸重積は現在でも大病院の待合室で子供が亡くなる程の病気である。




あの時、祖父が連れて来てくれなかったら、私は今頃この世にいなかったかも知れない。





私に対する腸重積の治療は腹部のマッサージと肺炎の注射(何故だか分からないが腸の動きを止めるそうだ)を首に打ったようだ。(見ていた父の話だから真偽は定かで無いが)





私は、今までに医者になりたいと思った事は無かった。
高校三年生の時にたまたま怪我で接骨院に行き柔道整復師になったが、医療への憧れは殆ど抱いた事は無い。





しかし、オステオパスなった今、私のしている事は、当時の大山先生の治療に似ている。





きっと幼い私はどこかで、先生のあの診療の風景を憧れていたのかも知れない。




とにかく私の知っている中でも一番の名医であった。