最高裁での合憲判決を受けて、この問題について活発な議論が交わされています。

賛成・反対それぞれに理があるようにも思いますが、双方とも何か中身のない、イデオロギー論争のようにも見えますね。

国益云々とは関係無く、いち女性として思うところを書いてみます。



私は結婚10年目ぐらいまで、選択的夫婦別姓に賛成の立場でした。
結婚前は福島瑞穂先生の本を読んでいたぐらい(笑)

籍は普通に入れたのですが、結婚後数年勤めていた職場でも、習い事でも、ずっと旧姓で通してきました。

今も友人の殆どが、私の戸籍名を知りません。

幸い理解のある会社だったこともあり、不便を感じたこともなければ問題が起こったこともありません。
戸籍名は、病院や銀行に行った時や、夫側の親戚と行動する時に使う程度。
それも別に割り切っていたので、だんだんと「現行法で充分だな」という結論になりました。

単純に「名前を変えたくない」っていう気持ちは、まぁ理解できるのです。自分が本当に嫌でしたから。名前とアイデンティティは強く結びついていると思いますし、ファミリーネームへの愛着もあります。

別姓推進派が「姓を変えた場合、手続きが煩雑」とか「キャリアが途切れてしまう」などと言っていますが、それらは実際、大した問題ではないと思います。自分の経験から言うと、手続きは別に煩雑じゃなかったです。上京以来引っ越しを繰り返してきたので、その手のことに慣れていたのもありますが、まぁ、煩わしいとしても一時のことです。また仕事上のことは、単に旧姓で続ければいいだけです。

なので「一生を通じて、同じ名前で生きたい」という動機の方が、まだ共感できるんですよね。

それと女性の方が不公平感を感じるのも理解できます。特殊な事情でもない限り、夫側の姓に合わせるのが慣例ですし、我が家も結婚前に一応話し合いましたが、夫の頭には「自分が変える」とう選択肢はまるで無かったですから。せめてお互いの認識がフラットならいいのですが、女性が夫の姓に合わせることについて、「それが当たり前でしょう?」「好きな人と同じ姓になれて幸せじゃないの?」なんて言われれば、反発も感じます。

プラス、私自身に全く結婚願望が無かったこともあり...ここで自己主張しておかねば、昔ながらの「お家制度」に組み込まれてしまうのでは...!という危機感もありました(夫は長男です)。

家庭的なタイプじゃないので、「出来た嫁」には到底なれないという気持ちが強かったんですね。


とはいえ、今にしてみればそれも固定観念だったなと思います。


もしも、その時点で法律が改正されて別姓を選択していたら、配偶者や配偶者の生家に対する意識が変わっていたかな?と考えると、大して変わらないような気がするんですよね。だって、一生を共にする人の親は、やっぱり私にとっても大事。私が生家に対して思い入れがあるのと同じように、夫だって生家が大切に違いないですからね。自分が尊重してほしいことは、相手に対しても尊重します。

(ただし夫は、口ではリベラル風なことを言いつつ意識はかなり保守的な人なので、自分の生家に比べて私の実家を軽んじるような言動が多々ありました。それについては逐一文句をつけました。)


「相手方の姓に合わせる」ということに伴って女性の被害者意識が刺激されてしまうのは、世間に流布されている介護問題や嫁姑問題などのイメージで増幅された、「結婚そのものへの不安」が根底にあるのでは...?と思います。その場合必要なのは、夫婦間での話し合いや協力関係の構築であって、それは別姓になろうがなるまいが、やった方がいいことですよね。別姓に拘る人の恐らく数割は、そこが上手くいけば被害者意識が解消されるのでは...と、思うのです。


逆に言えば、法律が何もかもを解決してくれる訳じゃないってことです。別姓推進派が皆そうだって訳ではないのですが、仮に別姓が実現して、それで「個人の権利が獲得された」と一時的に実感できたとしても、根底に被害者意識や不公平感があるとしたら、結婚後も様々な不満が吹き出てくるのでは...?と想像してしまいます。そういう危うさを感じる人が、推進派に多いように私には見えてしまうんですよね。こういう被害者意識を植え付けたのは、フェミニズムの一つの弊害じゃないかと思っています。


ひと山ふた山超えた今だから言えることですけど、結婚って、違う個性を持った二人が折り合っていく作業なんですよね。その中で、お互い譲れるところは譲り合うしかないのです。だから「自由が無くなった」と感じることなんて山ほどあるんですよ。それこそ、姓の問題がちっぽけに感じられる位に。

そして実はそれは女性だけの悩みではなくて、男性も、結婚すると色々なストレスが増える訳です。あまり泣き言を言わないタイプの人だと分かりにくいですけど、男性だって不安や被害者意識があるはずなんですよね。


家庭において、「個」は日々殺されていくものです。その代わりに得るものも山ほどある。その家庭が、一番小さな社会の単位で、それは「国家」につながっていきます。だから当然、自由だけではなくそれぞれに責任がついてきますし、その中で調整能力を養うことが、社会に出ても役立つのだと思います。以前も書きましたが、家庭には母性と父性の両方が必要(これは精神的な意味です)で、個の自由を保証し合うことと、一方では秩序を保つために、多少の不自由を受け入れる、というメリハリが求められると思います。ちょうど良いバランスを探っていくのって、簡単なようで実は結構、大変な作業ですよ。ただ放っておけば自然にそうなるというものでもなく、誰かにしわ寄せが発生しないようにするには、お互いの思いやりと努力が必要です。

なので、別姓でも同姓でもいいのですが、そういう表象の部分にあまりエネルギーを注ぐのは、勿体ないような気がします。そういう意味で、私はサクッと「通称使用」という選択をしておいて良かったなぁと、今になって思います。無駄に悩まないで済みましたから。

最近では「戸籍名と旧姓のどっちがメインでもいいかな」という気持ちになってきました。


別姓が認められないから結婚できない、というのは違うと思います。事実婚を選択すればいいだけですから。選択肢があるのにそれを選ばず、僅かなデメリットが気になって前に進めないということは、結婚に対してそれほどの意欲は無いのでしょう。別にそれは悪いことではありません。

別姓推進派で、やむなく通称を選択した人は、いつでもどこでも通称で通す、ということをまずは目指してみてはどうでしょう?周囲に理解を求め、通称が使用できる範囲を拡大し、既成事実を作ってしまうのも一つの手です。自分だけでなく、将来世代も含めた全ての女性のためを思うならば、先に既成事実化してしまった方が、法制化もスムーズに行きますからね。また通称使用が一般化すれば、夫が妻の姓に変える事例もきっと増えるでしょう。そうなれば、全体の公平化につながっていきます。

「別姓婚を認めない国が悪い」と、法改正が実現するまで頑として動かない。そういう態度は、もうそこで個の自由を手放して、権力に屈服してしまっていると思います。法がどうあろうと、日本人に染みついてしまった慣例と折り合っていく作業は、結局はそれぞれの家庭内で進めていかざるを得ません。身近に出来ることは沢山あると思うのです。

私が違和感を覚えるのは、一部の強硬な推進派が、「個人の自由のためには大きな権力(政府)さえも動かせる」と考えているように見えること。そして、「その権力の力で、自分以外の全ての人を組み伏せられる」と考えているように見えることです。全ての女性のための活動ではなく、個人の欲求に終始しているようで、社会に対する問題提起や公憤とは、違ったものに見えてしまうんですよね。


これを家庭に置き換えると、

「パパはこうしたい」→「じゃあ、それを認めよう」
「ママはこれが嫌」→「じゃあそれを禁止にしよう」
「ボクはこうであってほしい」→「OK。明日からそのルールで行こう」

というように、個の自由が全て叶えられることを望んでいるんだなぁ、と思ってしまうのです。
声の大きい人の方が得るものが多い、ということでもありますね。


個の自由が際限なく叶えられていく世界、それは嫌なことのない快適な世界なのかも知れませんが、価値基準が全く無くなってしまう世の中がその先には待っている、という気がしてなりません。

そのグループ(家庭・地域・国家)なりのあり方を問い直し、価値基準をハッキリさせた上で、それに合致することをOKとしていく。合致しないものや、変えることで様々な弊害が予想されるものは、いきなり無理に変えてしまうのではなく、長い時間をかけて問題点を改善し、自然に移行していくのが良いと思います。安保法制や、再婚禁止期間の判決なども、「現状にそぐわない」ということが先にあって成立したものだと思います。


以上のような考えで、私は、現状では通称使用が一番無理がないと思います。後々気が変わって同姓に移行する場合でも、別姓で結婚した場合に比べ、手続き的に数段楽です。


自分の経験から思うに、実際には通称使用で殆どの人は満足できてしまうのではないかと思っています。
それに、私たち夫婦に子供がいたら、同姓に移行していたと思います。

なぜなら自分が旧姓に執着するのは、生家に対する愛着も大きな理由の一つだからです。
その愛着はまさしく、姓を同じくする一つのまとまりの中で育まれたものでした。
お墓参りで手を合わせるたびに、自分が先祖代々から受け継いできた流れの一滴であることを、無意識に感じてきたと思います。
子供にも同じ愛着を感じてほしい、と思うのが自然な気がします。


最後に一つ。既婚男性で「夫婦同姓を嫌がるのはワガママだ」と言ってる人もいますが...。
ご自分が結婚する時に、姓をどうするか、自分が変えるパターンも含めて配偶者と話し合われたのでしょうか?
それをしなかった人は、そんなことを言う資格は無い、と私は思いますよ(笑)
女房子供を何不自由なく養った上、財布も預けているなら話はまた別ですが。



Tokiota