お久しぶりです
ご無沙汰しております
驚くほど暑いですね
近況報告がてら、
最近の気付きと言うか、
再確認と言いましょうか
そんなお話です。
梅雨明けのあの暑い日から、
元気を失ったウナぴょんです
慌てて病院に駈けこみたくても、
どこも開いていない時間
AM7:00
砂糖水をスポイトであたえたり、
冷えたタオルでくるんだりで
どうにか乗り切りました。
でも、その日を境に免疫落ちたかな。
基本長生きのヨーキーだけど
ウナももうすぐ10歳だしね
虫の息の様になったウナを見て
レメディーを溶かして口の中へ
でも飲まないで首に垂れていく
病院に行っても補液するだけだろうと知っていても
ひとりでこの不安に耐えられそうになくて思わず
「病院!」「だれか!」
そんな選択が頭に浮かびました
私は生命としてのこの仔を信じるって決めたはずなのに
でも
不安な心は一瞬、私の心にブレを生じさせました
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自然療法をしていていつも思うことですが
病院って何の為にあるんだろうということです
答えは「one of 商売」
検査したり薬を出したりして
病気を治しくれる場所ですよね。
しかし慢性病を治すことが出来る病院は無いでしょう
(症状を抑えることはできるかな)
なのにそこに行く理由は・・・?
「不安」だから。
「怖い」から
「知らない」から
治してくれると思ってるから
例外的にお年寄りは
「元気だから」っていうのもありますが・・・
※一部の外科や検査・緊急医療はもちろん別です
自分よりもっと病気とかに詳しい人が、
自分の代わりに判断してくれたら
自分が楽になれるから。
それが悪いと言いたいわけではありません。
人はみな、どこか怠けものであり、
依存性があり、弱いものです。
よ~くわかる。
自分が調べて選んで何かあるより、
人のせいにして何かあった方が楽だし
方法なんてなんにも知らないし
自分を責めなくて済む
罪悪感より被害妄想の方が楽ってことかな
毎日注意して生きるのは面倒臭いし辛い、
だから少々お金がかかっても
(7割国が負担してくれるし)
何かあれば病院に行けばね。。。
心臓病、脳梗塞、糖尿病から癌に至るまで、
治ったって話だけを信じて
病名は増え、病人も増え、
薬も増え、支払いも増え
バタバタと死んでいってる現実には目を向けないで
いまや「二人に一人は癌になりますから」なんて
普通に医者が言います
(こんな世の中に誰がしたの)
でも、いざ、
自分や家族にそれらが降りかかってきたら・・・
(降りかかるというのが既に責任のないお話だけど)
先日「蝶のさなぎのお話」というのを見つけました
結構知られているお話なのかもしれませんが、
私の中の「愛」とは、はまさにこんなお話です。
一人の男が蝶のさなぎを見つけました。
ある日、脱皮の兆候が始まりました。
彼は座って、そのさなぎが小さな穴から体を出そうと
もがいている様子を何時間も見続けました。
でも、なかなか進展が見られません。
懸命に頑張っているのだけど、
もう、限界のようで、
これ以上自分ではできないように思われました。
そこでその男は、
蝶を助けてあげる決心をしました。
彼ははさみを取り出し、
その繭の残りちょっとだけの部分を切ってあげました。
その蝶はたやすく現れました。
しかし、体は膨らみ、羽は小さく、
しなびてしまいました。
その男はその蝶が羽を広げて飛び去るのを
今か今かと期待しながら待ち続けました。
でもそれは起きませんでした。
よかれと思って
親切心とはやる気落ちで手伝ってあげたその男には
そのもがきこそが重要な生きるプロセスなのだということを
知らなかったのです。
繭の小さな穴から押し分けて進むことが
蝶にとって、
大きく羽ばたき、飛び立つ為の自然な流れで
最も大事な要因であるということが・・・
愛を以て接すると、
それは一見冷たく感じられることがあります
都合のよいことを(むしろ)しないからです
しかしそこには愛があるので、
どう思われても不安にはなりません
コントロールとは「不安」です
必要なのは
本当の思いやりって見守ることです
なにがあっても大丈夫な自分で在ることです
言葉でいうより難しいです
でも、出来そうな気がします
私が強いからではなく、
ウナがそうして欲しそうだから。。。