千葉の九十九里に太陽の里というホテルがある。


夏場以外、なにもない九十九里。そんな太陽の里もかつて大衆演劇を受け入れていた。今はどうか知らんけど。辞めたとか、辞めへんとか、山崎邦正のガキ使みたいなことを聞いたことがある。


大衆演劇するのか、せえへんのか。


乳首ドリルみたいな大衆演劇ですけど。


太陽の里は東京から離れすぎているので、物好きくらいしかいかない。


哀川昇という座長が太陽の里の大浴場で長渕剛と一緒になったことがあるらしい。長渕剛は近くでゴルフをしていた帰りだったとか。


九州出身の哀川昇からすれば長渕剛は大スターだった。長渕剛だからね。乾杯の長渕剛だから。ドラマとんぼでヤクザ役が大当たりした長渕剛だからね。


個人的には長髪でガリガリのフォークシンガーだった頃の長渕剛の方がいいと思う。親子ゲームとか懐かしいね。


そんな長渕剛の近況報告。


参政党、好きです、好きです、心から。

ダメだこりゃ。


かつてJAPANというアルバムで憂国を歌っていた長渕剛。


紅白歌合戦ではベルリンの壁の前から生中継で延々と歌ってNHKから大顰蹙を買った長渕剛。


桜島でのオールナイト公演、そして、富士山麓でのオールナイト公演は散々だったという。


そんな長渕剛も参政党と肩を組んで歌っている。


嗚呼、幸せの大衆演劇が、ほら。


哀川昇も泣いている。


紅あきらも泣いている。


紅大介はどこに行った。


大衆演劇よりも不動産。まるで千昌夫みたいだね。


好きです、好きです、不動産。


ファンのことなどそっちのけ。


恋の一方通行というやつです。どんなに愛を訴えたところでそんなもの届きません。


所詮は独りよがりなんですよ。


役者も歌手も別にあなたのためにやってるわけではございません。あなたのためにやっていると勝手に思ってくれればそれで十分程度にはやってるでしょうけどね。仕事でしょうから。


それらをあたかも自らの経験則であるかのようにいくらブログに書いたところで自己満足、オナニーの世界だと思います。公開オナニーするのはいいけど、誰得なんだという意識くらいは持った方がいいと思います。


いつまで経ってもあなたのブログは

誰かの胸にも刺さらない。


文才あればそもそも物書きになってると思いますし。他人のふんどしで相撲を取るくらいしか能がないのですよ。


まあ、そもそも大衆演劇自体、パクリだらけですけどね。ツギハギだらけのパッチワークですから。オリジナル要素なんてそれこそ皆無です。


商業演劇や映画やテレビのふんどしで相撲を取るのが大衆演劇ですから。今も昔も。オリジナルやったところでウケないんですよ。


舞踊ショーでかけてる曲にしても、振り付けにしてもパクリまくってますよね。


パクリのうまさこそ大衆演劇の本質だと思って間違いないと思いますよ。どうせ誰も観てないし。クオリティー低いパクリでも突っ込まれないと思ってやりたい放題やってます。いい根性してるなと思います。


別にオリジナルであることが至上だと言いたいわけではないですよ。モノマネ芸人とかいるじゃないですか。コロッケなどむしろ、本物からもリスペクトされてますよね。ルナシーのモノマネでバズったたむたむなど半ば公認みたいになってますし。


モノマネされるくらいが本物の証なのだと言っておきます。


大衆演劇で本家の公認になってる役者ってどれくらいいるのだろうか。大衆演劇がモノマネされることってあるのだろうか。


あ、いまさらジローは大衆演劇のモノマネブログなのか。一応。


蛍の光は元々は外国の民謡ですけど、いまやすっかり日本の曲みたいに定着してます。ラーメンもカレーも今や日本の料理として海外にも認知されてますよね。オリジナル云々考えるのもナンセンスだと思います。


質の高いパクリは本物を凌駕することもございます。アレンジの問題なのですよ。元の素材を使っていかに魅せるか。そこに個性が現れれば、新たな価値を創造することもできるのです。


和歌って分かりますか?和歌には本歌取りといって、元の歌から一部を拝借して新たな歌を詠むという技法があるのです。


他人のふんどし云々いうまえにご自分のふんどしを気にした方がいいと思いますよ。ユルフンではポロリしちゃいますし、ウンコ付いてるかも知れませんし。


あなた方、大衆演劇界隈のブログの質がイマイチなのは要はセンスの問題なのです。センスがないならばAIに任せた方がいいと思います。第三者が読むに耐え得る無難なテキストを出してくれます。


大衆演劇界隈のブログにお墨付きもクソもないと思いますし。役者が認知していたとしても、それでどうこうなるわけでもないし。勝手に書いてるだけで、自分が撮った写真ガーとか、自分が書いてる内容ガーとか騒ぐのも滑稽だと思います。そこまでのクオリティーでもないですし、著作権とか肖像権とか名乗るのもおこがましいと思います。そこまでクリエイティブなことを書いているのかといいたい。


あなたのブログにお金を払ってでも読みたいという価値があるのですか?どうせ、タダだから適当なことを書いているのだろうし、タダだからなんとなく読まれているのだと思います。タダの分際でなにを抜かしやがる。


虎の威を借る狐め。


ハッキリ言っておもんないのです。界隈でしか流通しないものを量産したところで拡散するわけがない。クソの役にも立たないと思います。


それにしても、例の自称bloggerは腐っても大阪人のはずなのに全然おもんないのはどういうことだ?大阪人が全員おもろいとは限らないことくらい分かっているけど、それにしても酷い。アレでよく大阪で生活できるなと思う。


また、大衆演劇もブログも生身の人間がやるから一応価値があるわけで、いうまでもなく、AIに負けるようでは意味がないのです。


大衆演劇はタダではないですからね。そこらへんの自覚を持ってそれなりにふざけてもらいたいと思います。タダではないですからね。一応。


山下達郎みたいに「ジャニー喜多川をdisるならば私の音楽は必要ない」とかいう発言くらい高圧的かつ意味不明なことを言っても別にいいけど、その言葉はそっくりそのまま返ってくると思います。責任ある立場にいるひとならば自分の言葉には責任を持つべきです。


音楽と人間性はイコールでないことくらいわかってますけど、品性は必要だと思いますよ。言うまでもなく、政治家も。





大衆演劇界隈みたいに無責任なことばかり言っても説得力ないですからね。


大衆演劇はAIに負けるのか。大衆演劇界隈のレゾンデートルとは何ぞや。


まあ、性格の悪さとかそういう人間臭さは滲み出てますけど。その程度でしか存在証明を示せないということくらいは自覚した方がいいと思います。


どうせ暇なんでしょ?




誰とは言わないけど、性格腐ってます。ふんどしにこびりついたウンスジみたいに、ネットにウンコ付いてますよ。べっとりと。


あげまんどころか評価サゲサゲですよ。


例のさげまんブログ、篠原の劇場案内の画像をそのまま転載しているのはオッケーなのだろうか?歌舞伎町劇場のポスターをあたかも自分のモノのようにブログに転用していたこともあるよな。


自分のことは棚に上げてよく言うわ。ダブルスタンダードの極みだ。


もしかして、自分がやってることは正しいから許されるとか恣意的に思ってやしないか?だとしたら、論理性ゼロということになる。


ちなみに、そんなに転載されたくなければ、画像に自分の名前でも印字して、転載するなとでも書いておけばいいのよ。そこまですれば流石に誰も転用しないと思うぞ。そこまでの価値があるとご自分で思うのであれば、唾をつけておけばいい。


私のおにぎりを勝手に食べた、窃盗だと喚き散らすくらい滑稽なことだと思う。実に意地汚い。

届けぼんご

響けサンバ


マツケンサンバって厳密にいえばサンバではないですけどね。

始める方は、どんな臆病者にもできるが、

やめる方は、勝利者がやめたいと思う時だけだ。


そして、原爆が落ちた。