風邪で寝込み、思考力の限界も感じる。今日の所は、昔あるブログに投稿した原稿で勘弁を願いたい。
写真活動が、今は停止状態だ。ブログも2つほどのサイトに投稿するになってしまったようだ。文章だけでも、色々サイトを立ち上げた以上、継続するとするかと思い始めた。
日頃の思いだが、なかなか思うように掲載できないこともあろうが、再出発とするか。
次回からが本格的な投稿と言うところか。ご意見も、お願いしたい。今日の所は、これで。長文ブログになりますよ。
韓国紙「ヒロシマ、ナガサキはアジア人の復讐」 安倍首相批判に「原爆の正当性」持ち出す
こればかりは、批判対象を間違ったな。廣島・長崎の市民の怒りの声を、どう思ってる。軽々しい批判はしないことだ。許される発言ではない。日本国民に対する礼節のなさをはっきり示した。世界平和を掲げる「廣島・長崎の声なき声・英霊の叫び」そしった発言は許されない。日本国民に、わびねば、国連で批判の対象となろう。日本の一国民としても、この手の発言は絶対、許さない。
久しぶりに、コメントした文章を掲載してみた。相変わらず、反日の記事が、連日、各検索サイトに掲載されている。こうも毎日、日本を批判しているのを見ると、本当に首をかしげたくなるのが事実だ。
戦後に生まれた昭和の世代も、退職して昭和二十年代に生まれた者も、あと二年で、仕事の第一線から退いて、第二の人生を歩み出そうとしているのに、こうした記事を見る度、諸外国の日本憎しの報道には、胸が痛くなる。
日本の退職者には、現役時代出来なかった中国との友好親善のため、シルバー世代で、海外協力隊などでに奉仕をさせてもらいたいと思われ、実際に行動を示しておられる方もあると聞く。
以前、報道で知った九十歳代の老人の人は、砂漠の緑地化に、身を削り、中国の環境改善のため、砂漠に植樹活動を展開し、現地の人に喜ばれ、尊敬されている人もあると聞く。
二十世紀後半から、中国などでは、反日教育が徹底され、昨年の反日デモの爆発が、ピークだったと思う。
このデモは、日本の民間企業、民間の日本人活動家・ボランティアなどにも、多くの傷跡を残したと思う。
善意ある中国の人々の心にも、多くの傷を残しただろうと推察する。
国情が違うにしろ、日中の国民に落とした影は大きいと思う。さらに、その隣国も、今や連日の反日報道ばかりだ。國の面子ばかりをあげつらい、過去の清算、右翼化、・・・あまりにも、そこまで、反日を振りかざさねばならないのだろうか。庶民には、わからぬことが多い。
先の大戦をいつまでもあげつらい、何かあれば、「反日カード」を切り、日本を叩く・・・庶民には、もう両方ともいい加減にしてもらいたいと思う。
日本の多くの自治体でも、韓国、ロシア、中国などの国々と、姉妹都市の提携を行っている。政治がらみで、こうした民間の親善活動も、多かれ少なかれ影響を受けているだろう。
民間の親善活動も、自治体が取り持ちはするが、実際のところは、各家庭のささやかなホームスティで、人間味あふれる交流をしているところもある。
自治体が行う活動でも、私の知る海外のある町では、民間が親善交流のため、畑でトウモロコシなどを栽培し、バザーで収益を上げ、姉妹交流の財源にしていた。ある家庭に宿泊させてもらったが、それも各家の手自慢の料理を作り、それを持ち寄ってのパーティであった。家の内部まで、余すことなく開放し、たどたどしい英語で会話をしていた時も、それなりに理解してくれ、心が本当に癒され、いい一時を提供してくれたことを、懐かしく思い出す。
人間同志、真に理解し合えるのは、やはり個人対個人の心の交流が基本だ。それでいて、お互いに、尊重し合い、それぞれのプライドは、傷つけあわない方法を、ホームスティから学ばせてもらったと思う。
何故、アジア人同志なら、もっと尊重しあえないのかと思う。政治の世界のことは、素人の私はわからないが、時の権力者、時の政治事情で、不幸にも、友好親善活動が、絶たれていく現実があることには、一抹の恐怖さえ感じる。
韓国の政治家も、中国の政治家も、そして日本の政治家も、もう一度頭を冷やし、「国を富ませる」ことは、本当に何なのかを考えるべきと考える。
骨董無形な「沖縄を返還しろ」と、日本に無理難題を押しつけ、大国ぶりをひけらかしたり、歴史上、実効支配したこともない「対馬」を返還しろと言ったり、日本を侮辱する発言は控えるべきだ。戦後体制そのものを、大国の意識でひっくり返したりするような政治状況は、あまりにもひどすぎる。
現国境線を互いに尊重し合い、善意ある外交を展開し合うことこそ、世界平和の礎となるものだ。それに、過去の深い怨念はいい加減に取り払い、未来志向で対等な外交関係を築くことこそが、民間親善交流を深める基ともなるのだ。
コメントの最初にも、述べているが、広島市・長崎市の原爆投下の問題にしても、「非戦闘員」が多く亡くなられ、共に世界平和のための努力している自治体である。日本としても、平和を祈念する出発点であると、国民の大半は思っている。日本人をはじめ多くの人々が死んだのは、植民地支配の「罰」があたった、・・・こんな発言は、筋違いだ。これを書いた韓国の新聞の執筆者も、一度、広島の現地の「原爆資料館」を一度、尋ねて見ることだ。如何に、自分が醜いひどい記事を、日本人の感情を逆撫でした、日本人を侮辱した記事を書いたかわかるであろう。
庶民には、詳しいデータ何ぞはない。でも、人間として、基本に何を考えるべきかは、日本人は個々に心得ている。人間対人間の交流に、史料、データがあっても、お互いに心底理解し合わねば、平和なぞ無いに等しい。理屈で論じるのが、人間の付き合いではないのだ。
仏教経典に説かれてある、「お互いに武器の利用のしなくてもいい世界」・・・まだまだ、遠い未来のようだ。
人はいつになったら、お互いにわかり合えるのか。私の存命中は無理のようだ。
