4/8日~4/14日 今日のひと言―遙かな昔…時空を超えた魂の旅に憶いを馳せ…… | 左藤無憂樹―生きる命をつなぐ蓮の絲…いのちの記憶

左藤無憂樹―生きる命をつなぐ蓮の絲…いのちの記憶

この流転する娑婆世界に、重荷を背負いながらも、
懸命に道を尋ねる心魂に、微細ではあっても、
生きる命をつなぐ蓮の絲……。

然(さ)ればこそ、
生きているよろこびも、心を塞ぐ哀しみも……
ともどもに、心にとどめて、
この娑婆世の道を歩いております……。

2019年(平成31年)4月14日-00283号
☆・・・・‥…‥─━━─‥…‥…─━━─‥‥…・・・・☆

 

枯れ果てて、散るのではありません。


この世は、かりそめの宿-

ならば-春さらば-と、すがしく散る、

万朶の桜のひとひらにこころ学びたいものです。


 今までも、このように生かされ、

そして、生きて参りました。


 師 承真尼婆子の後ろ姿を追いつ、

婆子の踏み跡を行きつ戻りつ……。




ひたすらに生きようとする、

盲目的意思を感じながらも、



深遠な真理を未だ識り得ない我が身の、

自分の愚かさに、

明けることのない夜……「 無明長夜 」を憶います。


だからこそ、人は心の遍歴と軌跡の中で、

心の樹海を彷徨い歩くとも、

無明長夜を照らす生きる灯火を、



心の旅を開く鍵を、

 人生の道すがらに求めようとするのです。

 

 

 

 

☆ 左藤無憂樹─生きる命をつなぐ蓮の絲……☆彡


         vol.00283  2019年4月14日(日)配信




2019年4月14日  古墳道 一本桜

 


 

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 ☆彡・最新の今日のひと言

 

 


★…2019年4月8日 今日のひと言

 

遙かな昔…時空を超えた魂の旅に憶いを馳せ、
 釈尊御自身の御言葉を、一つひとつ拾い集めるように……

─世間では、人は諸々の見解のうちで……
『スッタニパータ』 
 第3 八つの詩句の章 4.最上八詩句経796 
 中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)

 

 

★…2019年4月9日 今日のひと言


─諸々の愚者が相互に他人に対していうことばを聞いて……
『スッタニパータ』 
 第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇882
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)

 

 

★…2019年4月10日 今日のひと言


─(世の学者たちは)めいめいの見解に固執して……
『スッタニパータ』
 第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇878
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)

 

★…2019年4月11日 今日のひと言


─かれらはこのように異なった執見をいだいて論争し……
『スッタニパータ』
 第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇879
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)

 

 

★…2019年4月12日 今日のひと言


─またもし自分の見解によって清らかとなり……
『スッタニパータ』
 第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇881
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)

 

 

★…2019年4月13日 今日のひと言


─ある人たちが「真実である、本当である」と言うことを……
真実はただ一つであって、二つとないという……
『スッタニパータ』
 第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇(883-884)
 中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)

 

 

★…2019年4月14日 今日のひと言


─みずから真理に達した人であると自称して語る論者たちは……
『スッタニパータ』
 第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇885
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)

 

 

 

 
  ☆彡・ 憶いでの小筥から……今日のひと言

 


★…2015年3月1日 今日のひと言


─今日は、びわこ毎日マラソンがありました。
ランナーの姿に、我が身を重ねながら……
◆このささやかな良きこと……

 


★…2015年3月2日 今日のひと言


─心がけ次第で、いい顔には、誰でもなれるのです。
◆こころの鎮まりと、安らぎ……

 


★…2015年3月3日 今日のひと言


─泣き言を言わず、悠々閑閑。
モルモットの大好物……クローバー。
◆達磨面壁九年、人間一生……。

 


★…2015年3月4日 今日のひと言


─つまづき転ぶことによって、
 人は、その先をより安全に歩む事を学ぶのです。
◆達磨面壁九年、人間一生……。

 


★…2015年3月5日 今日のひと言


─蕗のとう……昔から、春の皿には苦味を盛れーと。
◆蕗のとうによせて

 


★…2015年3月6日 今日のひと言


─安きに危うきを忘れず ……
◆人生の旅の途中……。

 

 

 

 

 

   ☆彡・こころの磨き砂

 


★…2015年3月7日 今日のひと言


─この命は見えません……
◆いのちの言葉……

 

 

 

 

 

  ☆彡・編集後記

 


★…花の咲き継ぎも彩とりどりに……春爛漫。

 

 

 

☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆


 4月8日


遙かな昔…時空を超えた魂の旅に憶いを馳せ、
釈尊御自身の御言葉を、一つひとつ拾い集めるように……

 
仏教典籍の翻訳を原典の精神から逸脱せずに訳出するには、
双方の言語の互換、限界もあって、碩学の御力をもってしても、
大変な困難をされたものと推察しております。


原意を損なわずに、現代において、簡潔で解りやすい翻訳によって、
お釈迦様の教え、お心に触れたいとう憶いがつのるあまりに、
 原始経典を紐解くことに明け暮れしております。


 『スッタニパータ』、『ダンマパダ』(『法句経』)、『テーラガータ』
 『テーリーガータ』、『サンユッタ・ニカーヤ』(『阿含経』相応部)
 『マハー・パリニッバーナ・スッタンタ』(南伝 『大般涅槃経』)は、
 特に古い経典であり、

『スッタニパータ』(経集)と『ダンマパダ』(法句経)は、
最も古い経典に属し、

釈尊の教えに最も近しいものであると言われております。


生き方の指針となるような、

人として歩むべき道を説き示す教えが数多にあります。


古い経典にパーリ語の文字と辞典とを確かめながら、

遙かな昔に憶いを馳せ、  釈尊御自身の御言葉を、

一つひとつ拾い集めるような、 いとおしむ憶いに辛労しつつも、

取り組んでいくしかありません。 合掌

 

世間では、人は諸々の見解のうちで
勝れているとみなす見解を「最上のも」のであると考えて、
それよりも他の見解はすべて
「つまらないものである」と説く。
それ故にかれは諸々の論争を超えることがない。


 『スッタニパータ』 
 第3 八つの詩句の章 4.最上八詩句経796 
 中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)

 

人というものは、自分で学んだこと、同意していることに執着して、
拘りを深めているのです。見解や先入観は、時として、
偏見と対立を生むものですが、そういった拘りと極端を捨てて、
中の道を悟るところに、心の眼が開いて智慧がもたらされるのです。


釈尊の当時のインドの思想界のあり方について、

釈尊のこれらの対する立場を 述べられたものです。

どの主義を採るか、どの派を支持するか、

どの宗派が勝れているなどと 論じるなど、

執着以外の何ものでもない。
こんなことをしている間は、偏見と対立を乗り越えるべく、
平等は実現すべくもないのです。


※中の道 初転法輪時、5人の修行者に対して、自らの立場を宣言。
この世の中の二つの極端に近づかず。

常住論と断滅論の極端を捨てる。

 


796        
‘Paraman’ti dit.t.hi-su paribbasa-no yad uttarim.kurute jantu loke,
“hi-na-”ti an~n~e tato sabba-m-a-ha: tasma- viva-da-ni avi-tivatto.


 Paramanti    diṭṭhīsu        paribbasāno,         
パラマンティ  ディッティース    パリッバサーノー        
 最上のものと  諸見解の中で   固執して・しがみつき 


yaduttari   kurute      jantu     loke;   Hīnāti  

 ヤドゥッタリ  クルテー   ジャントゥ  ローケー  ヒーナーティ    

優れていると   彼が思う  人は     世間の   劣っていると


aññe      tato      sabbamāha,       
アンニェー  タトー    サッバマーハ
他の     それより  すべては・言う


tasmā    vivādāni      avītivatto.    
タスマー  ウィワーダーニ   アウィーティワットー      
それ故   論争を       超えることがない  

 

                    合掌


 


☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆


 4月9日


諸々の愚者が相互に他人に対していうことばを聞いて、
わたくしは「これは真実である」とは説かない。
かれらは各自の見解を真実であるとみなしたのだ。
それ故にかれらは他人を「愚者」であると決めつけるのである。


『スッタニパータ』 
第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇882
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)


882
 Na vāhametaṃ tathiyanti brūmi, yamāhu bālā mithu aññamaññaṃ;
Sakaṃsakaṃdiṭṭhimakaṃsu saccaṃ, tasmā hi bāloti paraṃ dahanti.


Na   vāhametaṃ      tathiyanti      brūmi,      
ナ   ワーハメータン    タティヤンティ   ブルーミ    
ない  決して私はこれは  その通りだと   言わ(ない)    


yamāhu      bālā     mithu     aññamaññaṃ; 

ヤマーフ     バーラー  ミトゥ     アンニャマンニャン

それを・言う   愚者と   対立して    互いに 

 

 Sakaṃsakaṃdiṭṭhimakaṃsu        saccaṃ,    tasmā
 サカンサカンディッティマカンス     サッチャン  タスマー 
 めいめい 自分の見解を~とした     真実だ     それ故に  

 

hi     bāloti         paraṃ    dahanti.

ヒ     バーローティ    パラン    ダハンティ
実に   愚者と       他者を     決めつける

 

                       合掌


 

☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆


 4月10日


 (世の学者たちは)めいめいの見解に固執して、
 互いに異なった執見をいだいて争い、
 (みずから真理への)熟達者であると称して、
さまざまに論ずる。──「このように知る人は真理を知っている。
これを非難する人はまだ不完全な人である」と。


『スッタニパータ』
 第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇878
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)


878
 Sakaṃsakaṃdiṭṭhiparibbasānā, viggayha nānā kusalā vadanti;
 Yo evaṃ jānāti sa vedi dhammaṃ, idaṃ paṭikkosamakevalī so.


Sakaṃsakaṃdiṭṭhiparibbasānā,               viggayha         
サカンサカンディッティパリッバサーナー    ウィッガイハ   
めいめいの見解に固執して                   異執して       


nānā      kusalā      vadanti;         Yo   

ナーナー   クサラー    ワダンティ     ヨー

いろいろ   熟練者だと   論ずる         人は


 evaṃ      jānāti            sa     vedi     
エーワン    ジャーナーティ    サ    ウェーディ
 このように    知る          彼は   知った 

 

dhammaṃ,    idaṃ    paṭikkosamakevalī         so.
ダンマン     イダン    パティッコーサマケーワ    ソー 
真理を        これを   非難している・完全でない  彼は

 

                         合掌

 

 


☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆


 4月11日


かれらはこのように異なった執見をいだいて論争し、
 「論敵は愚者であって、真理に達した人でない」と言う。
これらの人々は、

みな「自分こそ真理に達した人である」と語っているが、
これらのうちで、どの説が真理なのであろうか?


『スッタニパータ』
 第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇879
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)


879
 Evampi viggayha vivādayanti, bālo paro akkusaloti cāhu;
 Sacco nu vādo katamo imesaṃ, sabbeva hīme kusalā vadānā.

 

Evampi      viggayha       vivādayanti,      
エーワンピ    ウィッガイハ    ウィワーダヤンティ    
このようにも   異執して      論争する            


bālo       paro     akkusaloti         cāhu;     

バーロー  パロー    アックサローティ    チャーフ

愚者     他者は    熟練者ではないと   又言う


Sacco     nu      vādo      katamo    imesaṃ,      
サッチョー  ヌ       ワードー    カタモー   イメーサン
真実は    一体  説は      どれが     これらの

 

sabbeva    hīme          kusalā      vadānā. 
サッベーワ  ヒーメー        クサラー   ワダーナー
皆すべて    何故ならこれらは  正しいと   語っている

 

                         合掌

 

 

 

☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆


 4月12日


またもし自分の見解によって清らかとなり、
自分の見解によって、真理に達した人、
聡明な人となるのであるのならば、
かれらのうちには知性のない者はだれもいないことになる。
かれらの見解は(その点で)等しく完全であるから。
 
『スッタニパータ』
第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇881
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)


881
 Sandiṭṭhiyā ceva na vīvadātā, saṃsuddhapaññā kusalā mutīmā;
Na tesaṃ koci parihīnapañño, diṭṭhī hi tesampi tathā samattā.

 

Sandiṭṭhiyā       ceva     pana    vīvadātā,           
サンディッティヤー  チェーワ  パナ   ウィーワダーター       
自分の見解ゆえに  もし     また    清らかになるならば 


saṃsuddhapaññā           kusalā   mutīmā;                    Na

サンスッダパンニャー     クサラー ムティーマー            ナ

 清浄な智慧の人          善人に  悟った人になるなら   ない


tesaṃ    koci     parihīnapañño,                 diṭṭhī  
テーサン  コーチ  パリヒーナパンニョー        ディッティー 
彼等の   誰も    智慧の劣った人で            見解は 


hi         tesampi      tathā        samattā.
ヒ        テーサンピ    タター       サマッタ
何故なら  彼等の      そのように  完全で(あるから)

 

                         合掌

 

 


☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆


 4月13日


ある人たちが「真実である、本当である」と言うことを、
他の人たちが「くだらない、間違っている」と言う。
まさにそんなふうに口論して言い争っているのだが、
修行者たちはどうして同一のことを語らないのだろうか?

真実はただ一つであって、二つとないという、
そのことで知者と知者が言い争っているからだ。
彼らはさまざまな真実を自ら主張する。
それゆえ修行者たちは同一のことを語らないのだ。


『スッタニパータ』
 第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇(883-884)
 中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)


自分の拘る主義主張や、執着する思い込み、

思想的な好悪等など、 そういったものを一度取り去って、

事実を洞察する姿勢をもって、

本来の自分の生き方を求めなければいけないのです。


883
 Yamāhu saccaṃ tathiyanti eke tamāhu aññe tucchaṃ musāti
 Evampi viggayha vivādayanti kasmā na ekaṃ samaṇā vadanti.

 

 Yamāhu    saccaṃ    tathiyanti      eke,
ヤマーフ   サッチャン  タティヤンティ   エーケー
言うことを  真理だと   真実だと       ある人々が


tamāhu       aññe       tucchaṃ       musāti;
タマーフ     アンニェー   トゥッチャン    ムサーティ
 それを・言う  他に人々は  虚偽である   虚妄である


Evampi      vigayha      vivādayanti,
エーワンピ   ウィガイハ     ウィワーダヤンティ
 このように    異執して     論争します


kasmā    na    ekaṃ     samaṇā     vadanti.
カスマー  ナ   エーカン   サマナー    ワダンティ
何故に   ない  一つを    沙門達は    説か(ないか)


884
 Ekañhi saccaṃ na dutīyamatthi yasmiṃ pajā no vivade pajānaṃ
Nānā te saccāni sayaṃ thunanti tasmā na ekaṃ samaṇā vadanti.

 

エーカンヒ     サッチャン  ナ   ドゥティーヤマッティ
Ekañhi       saccaṃ    na    dutīyamatthi,
何故なら一つ  真実は    ない   二つ(ない)

 

ヤスミン     パジャー  ノー  ウィワデー  パジャーナン
yasmiṃ      pajā      no    vivade     pajānaṃ;
それについて   人々は   ない  論争しない  了知した

 

ナーナー  テー   サッチャーニ  サヤン   トゥナンティ
Nānā     te       saccāni      sayaṃ    thunanti,
種々の   彼等は  真実を     自ら      唱える


タスマー   ナ    エーカン  サマナー   ワダンティ
tasmā     na     ekaṃ    samaṇā     vadanti.
それ故に  ない  一つを   沙門達は   説か(ない)

 

                        合掌

 

 


☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆


 4月14日


みずから真理に達した人であると自称して語る論者たちは、
 何故に種々異なった真理を説くのであろうか? 
かれは多くの種々異なった真理を(他人から)聞いたのであるか? 
あるいはまたかれらは自分の思索に従っているのであろうか?


『スッタニパータ』
 第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇885
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)


*あえて意訳を試みず。


885
 Kasmā nu saccāni vadanti nānā, pavādiyāse kusalā vadānā;
Saccāni sutāni bahūni nānā, udāhu te takkamanussaranti.

 

 Kasmā    nu    saccāni      vadanti        nānā,   
カスマー   ヌ    サッチャーニ  ワダンティ    ナーナー  
 何故に   一体  真理を      論ずるのか   様々に   


 pavādiyāse                kusalā       vadānā; 

パワーディヤーセー      クサラー     ワダーナー

議論する者達は          詳しいと     言って    


Saccāni        sutāni         bahūni      nānā, 
サッチャーニ   スターニ      バフーニ      ナーナー   
真理を        聞いた     多くを         種々の

 

udāhu      te        takkamanussaranti. 
ウダーフ    テー     タッカマヌッサランティ
それとも    彼等は    考えに従っているのですか

 

                     合掌

 

 


 ・‥……─━━…‥憶いでの小筥から…‥…━━─…‥‥・


2015年3月1日


 今日は、びわこ毎日マラソンがありました。
ランナーの姿に、我が身を重ねながら……

◆このささやかな良きこと……

 


生活や心情面で、

多少の動揺が生じても、

常に、初心に立ち返る心を忘れなければ、

努力は、見える形で現れます。


 見栄や、つまらない意地を張らず、

たゆまぬ精進を重ね、謝恩を心がければ、

妥結点も見えてまいります。


今日は、やっと、久しぶりの休日を取る事が出来ました。

2月は、早朝出かけたきり、

夜半遅く帰って来る日が続きました。

このブログも、日が変わるギリギリに取りつき、

書き終えるのが、夜半真っ只中という日が続きました。


それでも、このような雑文に、

皆さまお越しいただいて、お読みくださいましたこと、

感謝に耐えません。

ありがとうございました。


 昨年までは、体調のこともあり、

講演、その他の外でのお仕事は、だいぶ、控えておりました。


しかしながら、どうしても、という要請をお断りも出来ず、

2月は、多少とも、無理をいたしました。

3月からは、幾らか、余裕のある日程が組めそうです。

ゆっくりと、古墳道を散策できる日が来ると思います。


しかしながら、よくよく考えてみるに、

多くの方々とのお出逢いを通して、

至らぬ身を顧みる事の出来た、忘れられない月でもありました。

只々、感謝の思いでいっぱいでございます。


そして、今日は、恒例の、びわこ毎日マラソンがありました。

毎年、これだけは、沿道で応援しようと出かけております。

あいにくの雨で、もしかしたら、順延になるかも……と、

思いましたけれども、定刻通り、実行されました。


 寒い一日でしたけれども、

ランナーの姿に、我が身を重ねながら、

応援させて頂きました。


明日から、

また、新しい歩みが始まります。

世は、何事もなくーと念じながら、

今日一日を、

無事に過ごさせて頂いた事に感謝いたします……。

 

              
                    合掌

 

 


・‥……─━━…‥憶いでの小筥から…‥…━━─…‥‥・


2015年3月2日


心がけ次第で、いい顔には、誰でもなれるのです。

◆こころの鎮まりと、安らぎ……

 

いい貌になれるように、

好むと好まざるにかかわらず、


 欲の深追いをせず、

地道に、

一歩ずつ歩みを進めてゆく……。


 心がけ次第で、

いい顔には、誰でもなれるのです。


2015年3月2日 

 

この人生の道には、

些細な出来事から、波風が立ち、


とかく、思惑とは反対の方向に進み、

人は、年を重ねますと、

どうしても、

これまで歩いてきた道が貌に出ます。

貌の造作のことではありません。


ですから、

いい貌になれるように、

好むと好まざるにかかわらず、

欲の深追いをせず、


地道に、

一歩ずつ歩みを進めてゆく……。


 心がけ次第で、

いい貌には、誰でもなれるのです。


               
            合掌

 

 


・‥……─━━…‥憶いでの小筥から…‥…━━─…‥‥・


2015年3月3日

 

泣き言を言わず、悠々閑閑。

モルモットの大好物……クローバー。

◆達磨面壁九年、人間一生……。

 

たとえば、

竹を割ったような、

さっぱりとした性格であったにしても、

細かい心遣い、気配りは必要です。


泣き言を言わず、

悠々閑閑。


ここ一番という時には、

風林火山のごとく、

物事に臨まなければなりません。


2015年3月3日  早朝


今朝は、しばらくぶりに、茶臼山に登ってまいりました。


冬を越したクローバーが、

すっかり、大きく成長していました。

……実は、これが、モルモットの大好物なのです。


冬の間は、タンポポの葉も、クローバーも与えられず、

ペレット、人参、キャベツ、小松菜、リンゴ、

そして、笹‥等が餌でしたが、

やっと、タンポポの葉、クローバーを与えられます。


また、茶臼山を散歩させたいと思い、


 昨日は、ホームセンターのペットコーナーで、

小型犬用のリードを買ってまいりました。


モルモット用のリードは、売っておりませんでしたので、

SSサイズを購入したのです。

これから、天候も落ち着いてまいりますので、

ワンちゃんと散歩……と、優雅にはまいりませんが、

草の匂い、土の感触に触れさせたいと考えております。

 

                      合掌

 


 

・‥……─━━…‥憶いでの小筥から…‥…━━─…‥‥・


2015年3月4日


つまづき転ぶことによって、

人は、その先をより安全に歩む事を学ぶのです。
◆達磨面壁九年、人間一生……。


 
落ち椿  落ちてなお……美しき椿かな…

 

 
一本桜の春芽がふっくらとしてきました。

 
やぶ椿。小ぶりながらも、力強さを感じます。


 天にも、地にも、春の息吹が感じられます。


不本意ではあっても、

他人さまの口には、

戸は立てられないと心得ることです。


心を悩ませるものではありますが、

これらを越えて、なお、

意思があるところに、道が開かれるのです。


また、つまづき転ぶことによって、

人は、その先をより安全に歩む事を学ぶのです。

 

            
                  合掌


 

 


・‥……─━━…‥憶いでの小筥から…‥…━━─…‥‥・

 

2015年3月5日


 蕗のとう……昔から、春の皿には苦味を盛れーと。

◆蕗のとうによせて

 

「泣くは人生 笑うは修行 勝つは根性」


とてもとても、このような愚鈍の身には、

人さまに勝つことなど思いもせず、


せめて、この蕗のとうほどの苦味を、

我が身の裡にもって、


 至らぬ自分に克つことだと、


 言い聞かせた彼の日……。


2015年3月5日 


早春を待ち望んで、

まだ浅い、陽気の中、


 真っ先に顔を出す、

蕗の花の蕾……蕗のとう。


 厳寒の1月には、

雪の下で、蕾も固く、

春の到来を待っているのです。


随分と、昔になりますが、

浜大津にある、

脚本家・花登筺(はなと・こばこ氏)の、

記念碑の前で、

その人生訓の意味をかみしめ、

しばし、佇んだ日が甦ります。


 「泣くは人生 笑うは修行 勝つは根性」


とてもとても、

このような愚鈍の身には、

人さまに勝つことなど思いもせず


 せめて、この蕗のとうほどの苦味を、

我が身の裡にもって、


 至らぬ自分に克つことだと、


 言い聞かせた彼の日……。


春の皿には苦味を盛れーと言われます。

蕗のとうの、

あの鮮烈な馨りと、ホロ苦さ。


なんとも言えない、春の苦味が、

まだ冬ごもりの心と躰を、

めざめさせてくれるように思います。


 雄花と雌花、どちらの蕾を摘んでもお好みだと思います。


 雄花は、小さな球形の花が、びっしり並び、

雌花は、小花の先が白っぽく、ゆったり並んでおります。


 薹が伸びると、タンポポに似た種子を飛ばします。


苦味は、幾らか、

雄花の苦みが強いようにも思うのですが……。


 眼にも鮮やかな、翡翠色の蕗の瑠璃煮、蕗味噌、

お味噌汁の浮き実、天ぷら、甘酢漬け、味噌漬け‥など。


これから、春の宵……。

楽しみな季節が巡ってまいりました。


               
              合掌

 

 


・‥……─━━…‥憶いでの小筥から…‥…━━─…‥‥・


2015年3月6日


 安きに危うきを忘れず ……

◆人生の旅の途中……。

 

この人生は、長い道です。


 誰しも、逃れることは出来ないのです。


 一番の近道と言えるものは、


もしかしたら、

ある意味、

一番悪い道なのかもしれません。


 今の生活が安泰であるからといって、

いつ危難に襲われるかもしれません。


 安穏平和な時世でも、

安きに危うきを忘れずの、

心構えを怠ってはいけません。

 

          合掌

 


 

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   ■「こころの磨き砂」

 


2019年4月14日  古墳道一本桜



 

2015年3月7日

 


この命は見えません……

◆いのちの言葉……

 

土は大地に還り、

水も、やがては、

大海に回帰するものです。


この命は見えません……


しかしながら、

熱い鼓動を打ち続けています。


孤独の、寂寞の只中に在ったとしても、

命に不平等はないのです。


 智慧も見えません。


しかしながら、

その人の歩いた道から、推し量る事が出来ます。

 

               
                   合掌

 

 

 

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   ◆ 編集後記

 



2019年4月14日  古墳道東参道にて


 


花の咲き継ぎも彩とりどりに……春爛漫。
  


 桜の季節はあっという間、

桜前線、ただいま日本列島を北上している真っただ中、

 

花の咲き継ぎも彩とりどりに、

辛夷(コブシ)や連翹(レンギョウ)など、

さまざまな花が咲き競う、美しい季節を迎えました。


 里山にも、ここかしこやさしいながらも、

春爛漫、生命の力があふれる時節を感じております。

 私事乍ら、念願の晴耕雨読の暮らしには程遠いながらも、

仏教典籍の翻訳に幾らかずつではございますが、

蝸牛の歩みをいたしております。


 何かと慌ただしく、お忙しいことと存じますが、

どうぞお健やかにお過ごしくださいますよう。 

 

                  拝

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※記事に掲載されている文章、和歌、画像は既に出版されている
ものもあり、無断転載・引用はご遠慮下さいますようお願い申し
上げます。どうぞ、おくみ取りくださいまして、
よろしくお願いいたします。