5月は高次との奇跡体験について文章化に集中し、望んで始めたことだったのにいささか疲弊。だいぶ回復しましたので外にでてみました。
そしてずっと以前に書いて放置していた予約記事が投稿されましたが、間違いでございます。報告が遅くなり失礼いたしました。コメントをくださったみなさまたいへん申し訳ございませんでした🙇お詫び申し上げます。
しかし、
☺🌸コメントいただけて嬉しかったです🌸☺
さて、父の死を噛み締めた3月、相続手続きに奮闘した4月。トラウマとなっていた奇跡体験をまとめた5月。そろそろ外界に出たいなあという流れがあり、ヒーリング学校の同窓会に参加しました。場所は天河弁財天社。申し込みは4月下旬。直観で「行く」と決め応募したものの、最短でも自宅から7時間はかかることが判明。
前日京都に一泊しました。
そして、
この京都一泊には大いに意味がありました。
ひとつは、
神々の光粒子が仏像やお堂ではどうであるか、という点です。
目を閉じて神々の姿を見れば、どういう状態かがわかりますので、国宝や重文のお堂や仏像にどのように神光が宿っているのかを確認する、という試み。
一つ注意すべき点が。
まっさらな気持ちで見る、ということ。
「国宝・重要文化財である」「空海が壮大な意図で作成した」という意識があっても、それであるがままなのだ、としてみます。このとき、疑念や精査の意識を持つことも違ってきます。
さて、結論をさきに申し上げる。
気が早いもので。(笑)
祈祷や読経の回数が少ない(と予測される)仏像・お堂に関しては、光の拡散・散逸は免れない、ということでした。
東寺では、金堂、講堂、食堂、御影堂を拝観しましたが、重要文化財、国宝が展示されている、前二つよりも、
空海の居所であり、暮らしたころから千年以上の歳月を毎日の読経の場としてきた御影堂に、至高の愛の光粒子が常駐していました。
絶えず読経が行われているお部屋では、微細な歓喜の粒子が光雲となってあらわれていた、ということです。
初回は6月7日15時台。僧による読経はなく、観光客・一般人、
だれもが観覧できる状態で拝見しました。美しい陽光色のホイップクリーム状の光雲が御影堂全体に立ち込めていました。
ホイップクリーム状の光雲は、神の愛の歓喜の粒子ですので、毎日の読経によって光粒子が常駐している状態であることが見て取れます。お経を進行形であげていないのに、もこもこの
光雲が発生している状態であるのは、凄いことです。信心のエネルギー粒子がお堂内にあり続けている、
人の信心を捧げる行為=読経が、神々の光粒子を呼ぶという事実
金堂や講堂では、光は散逸していました。
宿ってなくはないのですが、光背あたりからぶわ~っと広がってしまっていました。観光地の展示室のため仕方ないにかもしれませんが。御影堂との読経の頻度は、たぶん100対1くらいでしょうか。100日に一回読まれればいい方かなあ。
しかし、
三次元の造形物として、歴史的な背景を背負った仏像、密教の秘宝であり、空海独自の解釈による立体曼荼羅がどれほどの熱意で当時制作されたのかをうかがい知ることができます。
菩薩界に対応する五大明王。その関係を、人間の感情で置き換えて考えると、慈悲の受諾と剛力でねじり臥せる存在。その両極面を持つ点で
感慨深いものがございます。もう少し熟考しなくては。
講堂も金堂も匂いが気になりました。
光の粒子を視る者として提案いたします。
歴史的な仏像であるために、直射日光を当てる
ことは叶わないでしょうけれど、せめてお堂内の余白の空間に、仏像周囲を菊の花などの植物で埋め尽くす、などして、空間全体の浄化をしてほしいかなと思います。さすれば、きっと神々が喜ぶでしょう。