日本が戦争に負けてから70年が経った。
長いけど、考えたことをここに書き留めておく。
●【おわびと戦争責任について】
70年と言えばそれほど遠い昔ではないけれど、だからといってつい最近のことと感じられる年月ではない。事実、戦争を経験した人たちは減っていき、国民の大多数が戦争を「歴史上の出来事」としてしかとらえることができなくなっている。戦争責任、謝罪の問題で難しいのはこのあたりだ。
僕らの世代はもちろんあの戦争に加担していない。
僕の親世代も戦後生まれで、戦後民主主義と高度経済成長を享受して育った。祖父母世代でさえも終戦の頃には10歳前後の子どもであり、むしろ戦争の主体ではなく被害者に近い。だから僕らが表面的に「おわび」を口にすることにどれほど説得力があるのかはなかなか難しいところだ。
ただ、我が国の首相が国家の代表として公式に謝罪することには意味がある。
首相は公人であり国の代表であるわけだから、本人の気持ちはどうあれ、過去の国家が行ったことに対して責任を持った発言をしなければならない。彼の出すメッセージは彼個人のものではなく、すなわち日本という国が発するステートメントとして世界でとらえられる。ここで、過去を克服し決別する宣言をしなければならないところを、「我々は間違っていなかった」という本音が見え隠れするような言い方をすることで、かえって我々は他国から信用されず、「いつまでも謝らなければならない」という彼らがまさに忌避している状況に自らを追いやるという負のループに陥ることになる。誠意のない態度を繰り返すが故に、我々はずっと大日本帝国の亡霊につきまとわれ続けるのだ。日本のリーダーに必要なのは、不誠実な口先の「おわび」ではなく、日本の行った過ちを認め、過去を過去のものとして総括し、生まれ変わったことを誠意ある行動で示すことだろう。口先で謝ったそばから軍事力を増強し靖国参拝をするような不誠実を続けている限り、僕らは永遠に戦争の主体として謝り続けなければならない。
僕らの世代はあの戦争に対して直接的な責任を持たない。
けれども、僕らには僕らの世代的責任というものがある。それは日本が経験した過去をふまえた上での、現在と未来に対する責任だ。僕らがすべきなのは、おわびと戦争責任をふまえた上での、実を伴った不戦の誓いである。
●【市民としての不戦の誓い】
僕はここに、一人の日本国民として良心に従い、改めて不戦の誓いをたてたいと思う。
これにはやや消極的で性悪説的な理由と、積極的で理想主義的な理由がある。
僕が不戦を誓う理由のまずひとつには、先の大戦での戦争のやり方と、それを克服していない現代の日本人への不信感が拭えないことがある。
70年前、僕らの国は日本の歴史上最悪の亡国の危機に陥った。
日本の指導者たちは度重なる失策と人命軽視の戦略で、多くの可能性のある若者たちを死なせ、米軍による都市の無差別爆撃を許し、美しい沖縄の土地と人々を巻き込み、2つの核兵器を落とさせた。300万人以上の人々を死なせ、それの何倍もの人々のささやかな家や暮らしを奪い、半永久的にアメリカの属国に甘んじるという屈辱的な国の形態を作った。
日本の国内に広大な米軍基地が居座り続ける原因をつくったのはあの戦争の指導者たちであるはずなのに、どうして国を愛するはずのいわゆる「右派」の人々がその元凶である彼らと彼らの行ったことを肯定するのか、その理路が僕にはさっぱりわからない。僕は日本人として、日本を滅亡まで追いやったあの戦争をどのような意味合いにおいても肯定することはできない。
誤解を恐れず言うならば、あの時代に戦争はひとつの外交手段であり、もちろん日本だけが悪だったわけではない。でも、やるならやるでもう少しまともな戦い方ができたはずだ。希望的観測と精神論で兵士を虫けらのように死なせ(南方戦線での餓死者のパーセンテージの異様な高さやゼロ戦の薄い外板が象徴している)、日露戦争ではできていたような外交的努力を怠り、戦地での虐殺や略奪や性奴隷や捕虜の扱いで国際的非難を浴びるような戦い方をしたことに対し、まず当時の指導者たちは腹を切るべきだったし、戦後の日本の指導者たちはこのような国家のあり方ときっぱり決別するべきだった。でも日本の指導者たちはそれをして来なかったし、国民もそんなことより経済的に豊かになることに必死だった。
あれから70年経った今、日本はあの戦争を克服し、成熟した国として生まれ変われたのだろうか?
否、この国は本質的に何も変わっていないし、大日本帝国は滅びず僕らの国の深いところにいまだに伏流している。
福島の原発事故のあとに起こった、あるいは明らかになった一連の出来事や、国立競技場問題の責任を取る主体の不在、秘密保護法や安保法案における民主主義への冒涜などを振り返ってみると、そのことが恐ろしいほど実感を持って分かる。これはシステムの問題ではない。日本という国、あるいは日本人が持つ本質的な問題だ。一例を挙げれば、「反対できる空気ではなかった」とか「個人としては反対だった」というような科白は東京裁判で戦犯から発せられたものだが、こうしたものの言い方はいまだに日本社会の日常で、組織の中で違和感なく使われている。このような意思決定のやり方を克服できていない我々がもう一度ずるずると戦争に加担すれば、またあのようなひどい結果になることは明白だ。
もしもう一度間違いを犯せば、我々日本人は未来永劫世界のどの国からも信用されなくなるだろう。
日本が憲法を改正し堂々と軍事力を行使できる国にならなければならないと考えるならば、まずあの戦争を徹底的に分析し総括し克服してからというのがことの順序だろう。
それをうやむやにしたまま小手先でなし崩し的に国のあり方を変えることは、日本からそのただひとつのチャンスを奪うことになる。それを阻止するために日本を愛する者ならば何としても安倍政権の暴走を止めなければならないと思うのだけれど、彼らの軽薄な似非愛国主義は考えの浅い自称・愛国者をいまだに惹き付け、それが彼らの思うつぼになってしまっている。
何にしても、僕らの民主主義は未成熟で、軍事力を自由に行使していいレベルに達していない。そういう意味では、憲法9条が僕らが再び戦争の主体となることを止めてくれたおかげで、今のところ二度目の間違いを犯さずに済んでいるとも言える。「占領軍に押し付けられた」とか「ほかの国々は何度も改正してるんだ」みたいな幼稚な感情論ではなく、本質的な国益を考えて憲法改正のことは考えていかなくてはならない。
ともかく、まずは以上のような消極的な理由から、僕は日本が戦争をしてはならないと思う。
そして、理想主義的な理由としては、僕は日本が世界の中で重要な地位を占め、人類の明日のために貢献するために平和主義の旗手となってほしいと考えるからだ。
日本人の多くがある意味でリアリストで、諸外国からの尊敬を集めるには経済力または軍事力、あるいはその両方を高めるしかないと考えがちだが、実際はそうではない。僕もカナダに行く前はそれほど強くではないにせよ、なんとなくそう考えていた。でもカナダ人と話していると、そんなものよりも彼らは彼らのリベラリズムを誇っていたし、そのような側面を持つ国を尊敬し、ともにより良い世界を作り出したいという一般市民のレベルでの理想主義を感じることがとても多かった。彼らは日本が経済大国であることに何の敬意も抱いていない代わりに、日本がアジアの先進国として人道支援を継続して行っていることには素直な共感と敬意を抱いていた。
日本の一般人と比べてカナダ人の一般人は、自らが国を構成する主体としての責任をきちんと引き受けていた。タトゥーを入れているイカツい料理人の兄ちゃんでも、より良い世界について彼なりのしっかりした意見を持っていた。僕は彼らと関わる中で、日本の目指すべき道はバブル的経済成長でもなくもちろん軍事大国化でもなく、アジアの盟主たる民主主義国家として成熟していくことではないかと思うようになった。
卑近で軽薄な現実路線でもなく、情緒に流される過度な大衆社会でもなく、我々は明日の世界の理想を掲げて歩んでいくべきなのではないか。でも我が国のリーダーに、そうした明日の世界に向けたメッセージを発する人が、誰もいない。悲しいほどいない。彼らが語るのは経済的な成長戦略と場当たり的な自国の相対化だけだ。
だから、我々一般の市民がまず変わっていかなくてはならない。
僕らの国が経験したあの戦争の悲劇が教えてくれるのは、国民ひとりひとりが当事者となってコミットしていかなければ、簡単に国は滅びるところまで転がり落ちてしまうこということだ。
僕らは歴史から学ばなくてはならない。原発事故と安保法案に関連するデモや議論の高まりは、もしかするとその希望の萌芽なのかも知れない。ある意味、政治があまりにもひどいおかげで、僕らは僕らの民主主義についてきちんと考えるきっかけを得ることができたのかも知れない。その意味では、今の日本はかなり危険な状態だけれど、これを乗り越えることさえできれば、日本にはまだ希望があるはずだ。
70年前の今日、天皇陛下の玉音放送が全国に流された。
その中で昭和天皇は、「時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス(時運に逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい状況を乗り越え、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思う)」と宣言している。これを引き継ぎ、実現することが、後世の我々日本国民ひとりひとりに課せられた崇高な任務である、と僕は思う。
あの戦争で死んでいった人々の無念を晴らすためにも。
お盆休み。
8日の土曜に仕事を終えて、9、10日と南紀・熊野方面を旅した(またfacebookページに写真をアップします)。
それから11日の水曜に淡路に戻り、昨日今日と家族で有馬の会員制リゾートでのんびり保養した。
気がつけば夏は盛りを過ぎ、太陽の光の質の印象もずいぶん違ってきている。
僕ほど鋭敏になると、暑い盛りにも秋の気配を誰よりも早く感じ取ってしまうんですな。
「クマゼミが鳴き始めてか終戦の日までが夏」と勝手に決めているので、今年の夏も残すところ2日ほどとなった。晩夏という、なんだかノスタルジックな響きをもった季節が来ている。
夏にやり残したことはないかなあ、と顧みても、「今年はまあけっこういい夏だったんじゃないかな」と思える。仕事は正直ものすごく忙しくてキツかった(まだ後半戦があるけど)ものの、プライベートでは鳥羽伊勢、真鍋島、岐阜、南紀熊野といい旅ができているのでそのあたりは満足度が高い。まだ18きっぷのシーズン中にいくつか旅をするつもりだけど。
そう言えば敗戦から70年の節目(色々と書きたいことはあるけれど、それはまた15日にでも書こう)で、ふと思いついたんだけど、8月15日の正午に、You Tubeでみんな玉音放送を聞いてみるというのはどうでしょう?
クーラーを消して外の暑い空気とセミの声を感じられる状態にした上で、目を閉じて玉音放送を聞く。そうすれば昭和20年の8月15日にタイムスリップして、終戦の日の空気を疑似体験できるんじゃないかな、なんて思うんだけど。肌に感じる音と温度が、不思議なリアリティを持って迫ってくるはずだ。ヒマな人はやってみましょう。やってるとこを他人にあんまり見られない方が良さそうだけど。
放送を聞いて目を開けた時、あなたは2015年にいるだろうか?
8日の土曜に仕事を終えて、9、10日と南紀・熊野方面を旅した(またfacebookページに写真をアップします)。
それから11日の水曜に淡路に戻り、昨日今日と家族で有馬の会員制リゾートでのんびり保養した。
気がつけば夏は盛りを過ぎ、太陽の光の質の印象もずいぶん違ってきている。
僕ほど鋭敏になると、暑い盛りにも秋の気配を誰よりも早く感じ取ってしまうんですな。
「クマゼミが鳴き始めてか終戦の日までが夏」と勝手に決めているので、今年の夏も残すところ2日ほどとなった。晩夏という、なんだかノスタルジックな響きをもった季節が来ている。
夏にやり残したことはないかなあ、と顧みても、「今年はまあけっこういい夏だったんじゃないかな」と思える。仕事は正直ものすごく忙しくてキツかった(まだ後半戦があるけど)ものの、プライベートでは鳥羽伊勢、真鍋島、岐阜、南紀熊野といい旅ができているのでそのあたりは満足度が高い。まだ18きっぷのシーズン中にいくつか旅をするつもりだけど。
そう言えば敗戦から70年の節目(色々と書きたいことはあるけれど、それはまた15日にでも書こう)で、ふと思いついたんだけど、8月15日の正午に、You Tubeでみんな玉音放送を聞いてみるというのはどうでしょう?
クーラーを消して外の暑い空気とセミの声を感じられる状態にした上で、目を閉じて玉音放送を聞く。そうすれば昭和20年の8月15日にタイムスリップして、終戦の日の空気を疑似体験できるんじゃないかな、なんて思うんだけど。肌に感じる音と温度が、不思議なリアリティを持って迫ってくるはずだ。ヒマな人はやってみましょう。やってるとこを他人にあんまり見られない方が良さそうだけど。
放送を聞いて目を開けた時、あなたは2015年にいるだろうか?
夏の高校野球ですね。
夏の甲子園というのは、海開きとか花火大会とか冷やし中華とかと同じような感じで、もはや日本の夏の風物詩みたいになっている。
一般にも、どこが勝ち進んでいるかとか郷土の学校はどうだとか意外と気にしている人も多いし、常連校の対戦カードに胸を熱くする高校野球フリークもいっぱいいる。
でも正直言って、僕は昔から高校野球というものが全然好きじゃない。というか、憎んでさえいる。
好きな人には本当に申し訳ないけれど、高校球児がみんな丸刈り(でも眉毛だけ剃っておしゃれしてる)なのもイヤだし、高校球児という言葉自体もイヤだし、入場行進は学徒出陣を連想さてブルーになっちゃうし、負けて泣きながら砂を集める球児たちの姿も無自覚なナルシズムがにじみ出ててげんなりするし、それを美しいとやたらと賛美するオトナたちや盛り上げるメディアにはもっとげんなりする。それから、戦う球児たちを影で支える女子マネージャーやチアリーダーたち、みたいな構図も銃後の千人針みたいでイヤ。
こうして見てみると、全体的に芝居がかった軍国ノスタルジーがにじみ出てる感じが、僕はイヤなのかも知れない。そう言えば体育祭の行進とか整列とかラジオ体操とか、ああいうのも僕は嫌いでたまらなかった。でも多数派の日本人は、むしろそういった統制された秩序が大好きなんだろうな、という気がする。「集団行動」みたいなやつ。
アメリカのベースボールは明るくてハッピーでいいけど、日本の野球ってなんでこんなに感傷的で貧乏臭いんだろう?
こんなこと書くと高校野球好きは怒るだろうなあ。
僕は良心を胸に日々公正であろうと努力しているつもりなんだけど、こと趣味・好みに関してはかなり偏った人間なので、そういうものとして気にしないでください。すみません(高校野球を嫌いだと言うと非国民扱いされそうなので)。
でも、例えば、旅先の田舎町の古い食堂に入ると扇風機が回っててテレビには高校野球の試合が映っていて…というシチュエーションは夏らしくて悪くないな、と思う。
何のフォローにもなってないけど。
夏の甲子園というのは、海開きとか花火大会とか冷やし中華とかと同じような感じで、もはや日本の夏の風物詩みたいになっている。
一般にも、どこが勝ち進んでいるかとか郷土の学校はどうだとか意外と気にしている人も多いし、常連校の対戦カードに胸を熱くする高校野球フリークもいっぱいいる。
でも正直言って、僕は昔から高校野球というものが全然好きじゃない。というか、憎んでさえいる。
好きな人には本当に申し訳ないけれど、高校球児がみんな丸刈り(でも眉毛だけ剃っておしゃれしてる)なのもイヤだし、高校球児という言葉自体もイヤだし、入場行進は学徒出陣を連想さてブルーになっちゃうし、負けて泣きながら砂を集める球児たちの姿も無自覚なナルシズムがにじみ出ててげんなりするし、それを美しいとやたらと賛美するオトナたちや盛り上げるメディアにはもっとげんなりする。それから、戦う球児たちを影で支える女子マネージャーやチアリーダーたち、みたいな構図も銃後の千人針みたいでイヤ。
こうして見てみると、全体的に芝居がかった軍国ノスタルジーがにじみ出てる感じが、僕はイヤなのかも知れない。そう言えば体育祭の行進とか整列とかラジオ体操とか、ああいうのも僕は嫌いでたまらなかった。でも多数派の日本人は、むしろそういった統制された秩序が大好きなんだろうな、という気がする。「集団行動」みたいなやつ。
アメリカのベースボールは明るくてハッピーでいいけど、日本の野球ってなんでこんなに感傷的で貧乏臭いんだろう?
こんなこと書くと高校野球好きは怒るだろうなあ。
僕は良心を胸に日々公正であろうと努力しているつもりなんだけど、こと趣味・好みに関してはかなり偏った人間なので、そういうものとして気にしないでください。すみません(高校野球を嫌いだと言うと非国民扱いされそうなので)。
でも、例えば、旅先の田舎町の古い食堂に入ると扇風機が回っててテレビには高校野球の試合が映っていて…というシチュエーションは夏らしくて悪くないな、と思う。
何のフォローにもなってないけど。
暑い日々が続いておりますな。
先々週の瀬戸内・真鍋島に続き、先週末は岐阜に行ってきた。
18きっぷの日帰りでしんどくない距離でのんびり観光もして…と考えると、岐阜方面は神戸からちょうどいい距離にある。名古屋まで足を伸ばして味噌カツを食べるのもいいしね。
今回は途中で滋賀の醒ケ井(米原から一駅)に寄って、驚くほどきれいな水が流れる川とそこに咲くバイカモの花を見た。涼しそうに見えるけれど、この日は朝8時すぎでも汗がにじむ暑さだった。
それから岐阜に移動して、鵜飼で有名な長良川へ。
せっかくなので「鵜飼ミュージアム」で鵜飼について勉強して、お昼はベテラン鵜匠が営むお店で鮎雑炊と鮎のなれ寿司をいただく。大きな窓の外の庭には何羽ものホンモノの鵜がのんびりしていた。
時間が遅めで客は僕一人。
お店の主である鵜匠の山下さんがいて、40年以上の鵜匠としてのキャリアとか今の世の中とか戦争体験(「夜に雨かと思ったらな、米軍の焼夷弾を降らす前に撒いとる油だったんや」)とかについてお話してくれた。
今の老人について「年取ってすることがないのは、若い時に言われたことしかやってこんかったからや」と話す76歳の山下さんの目は、ずいぶん若々しい光を発している。鳥羽で見た海女さんもそうだったけれど、フィジカルにも精神的にも自然と向き合って生きる人々というのは、えも言われぬ不思議なパワーを放っている気がする。有能なビジネスパーソンも高尚な学者も、こういう人たちの前では小物に見えてしまう。
山下さんが40年以上作り続けているという鮎のなれ寿司。
長浜で食べた鮒寿司はけっこうキツかったけれど、これはマイルドでしみじみとうまい。
山下さんが興味深い話をしてくれた。一度、なれ寿司を作るのに岐阜ではなく魚沼産のコシヒカリを使ってみたところ、「食べられたもんじゃなかった」のだそうだ。曰く、長良川の鮎には、長良川の水で育った米でなくてはいけないのだ、と。
食べ物とはその土地のものをいただくもので、各地の良い素材を寄せ集めてブランド的に面白がったって、そんなものは広告代理店的なくだらない遊びに過ぎないのだ。
それから鮎のほぐした身が煮込まれた鮎雑炊もいただいた。一口ごとにほのかな川の香りがして、食べ終わった後には僕の中に長良川がちょっとだけ入り込んだみたいな感じだった。
こういう風にしっかり地に足の着いた土地の食べ物に出会えるのも、旅の大きな楽しみのひとつだ。
店を出る時、山下さんがスイカを一切れくれて、長良川の土手まで行ってそれを食べた。
この夏初めて食べるスイカだった。ぺっぺっと、種を飛ばして視線を上げれば金華山と夏空。
こういうのって、なんだかいい。
後日その話を生徒にしたら、「そこからスイカが生えてきたりして」なんて言っていた。
そういう発想はなかったな…。
あとは川原町の古い町並みを歩いたり、岐阜城に上ってみたり。
さすがに岐阜は暑く(よく多治見が猛暑でニュースになってるくらいだし)、汗でベタベタになった。でもこういうのがまた楽しいねや~。
鵜飼の実演は今回スケジュール上見られなかったけれど、いつか見てみたいと思う。
また今回も旅のFacebookページに写真をアップしてるので、良かったらご覧ください。
→醒ケ井の写真
→岐阜の写真
先々週の瀬戸内・真鍋島に続き、先週末は岐阜に行ってきた。
18きっぷの日帰りでしんどくない距離でのんびり観光もして…と考えると、岐阜方面は神戸からちょうどいい距離にある。名古屋まで足を伸ばして味噌カツを食べるのもいいしね。
今回は途中で滋賀の醒ケ井(米原から一駅)に寄って、驚くほどきれいな水が流れる川とそこに咲くバイカモの花を見た。涼しそうに見えるけれど、この日は朝8時すぎでも汗がにじむ暑さだった。
それから岐阜に移動して、鵜飼で有名な長良川へ。
せっかくなので「鵜飼ミュージアム」で鵜飼について勉強して、お昼はベテラン鵜匠が営むお店で鮎雑炊と鮎のなれ寿司をいただく。大きな窓の外の庭には何羽ものホンモノの鵜がのんびりしていた。
時間が遅めで客は僕一人。
お店の主である鵜匠の山下さんがいて、40年以上の鵜匠としてのキャリアとか今の世の中とか戦争体験(「夜に雨かと思ったらな、米軍の焼夷弾を降らす前に撒いとる油だったんや」)とかについてお話してくれた。
今の老人について「年取ってすることがないのは、若い時に言われたことしかやってこんかったからや」と話す76歳の山下さんの目は、ずいぶん若々しい光を発している。鳥羽で見た海女さんもそうだったけれど、フィジカルにも精神的にも自然と向き合って生きる人々というのは、えも言われぬ不思議なパワーを放っている気がする。有能なビジネスパーソンも高尚な学者も、こういう人たちの前では小物に見えてしまう。
山下さんが40年以上作り続けているという鮎のなれ寿司。
長浜で食べた鮒寿司はけっこうキツかったけれど、これはマイルドでしみじみとうまい。
山下さんが興味深い話をしてくれた。一度、なれ寿司を作るのに岐阜ではなく魚沼産のコシヒカリを使ってみたところ、「食べられたもんじゃなかった」のだそうだ。曰く、長良川の鮎には、長良川の水で育った米でなくてはいけないのだ、と。
食べ物とはその土地のものをいただくもので、各地の良い素材を寄せ集めてブランド的に面白がったって、そんなものは広告代理店的なくだらない遊びに過ぎないのだ。
それから鮎のほぐした身が煮込まれた鮎雑炊もいただいた。一口ごとにほのかな川の香りがして、食べ終わった後には僕の中に長良川がちょっとだけ入り込んだみたいな感じだった。
こういう風にしっかり地に足の着いた土地の食べ物に出会えるのも、旅の大きな楽しみのひとつだ。
店を出る時、山下さんがスイカを一切れくれて、長良川の土手まで行ってそれを食べた。
この夏初めて食べるスイカだった。ぺっぺっと、種を飛ばして視線を上げれば金華山と夏空。
こういうのって、なんだかいい。
後日その話を生徒にしたら、「そこからスイカが生えてきたりして」なんて言っていた。
そういう発想はなかったな…。
あとは川原町の古い町並みを歩いたり、岐阜城に上ってみたり。
さすがに岐阜は暑く(よく多治見が猛暑でニュースになってるくらいだし)、汗でベタベタになった。でもこういうのがまた楽しいねや~。
鵜飼の実演は今回スケジュール上見られなかったけれど、いつか見てみたいと思う。
また今回も旅のFacebookページに写真をアップしてるので、良かったらご覧ください。
→醒ケ井の写真
→岐阜の写真
やっと金曜日の夜。
夏の前半戦で最もクレイジーに忙しい一週間がようやく終わりつつある。
まあ、来週も似たようなもんだし、今週もまだ明日があるんだけど。
去年に比べて今年の夏期講習は、内容的にも分量的にもかなりタフなので、毎日終わったらへろへろだ。僕は割と寝付きが悪い方なのだけど、疲労のおかげですんなり寝られる。そんな毎日で、こないだ何冊か買った本もあんまり読めていない。
ちなみに、三島の『潮騒』はやっぱり中断して、漱石の『門』に戻った。
僕なんかが否定したところで三島の文学的価値はいささかなりとも揺るがないからいいんだけれど、僕個人の好みから言えば、三島由紀夫は論理的すぎるというかマッチョというか、ユーモアが感じられなくて、読んでいてもなかなかノって来ない。漱石にしろ太宰にしろ村上春樹にしろ、僕の好きな作家は共通してある種のユーモアのセンスを持っているような気がする。悲しみの中にはある種のおかしみも含まれている、というような。そう言えば、松本人志のコントも「悲しみと表裏一体の笑い」みたいなのが感じられるよなあ。
…全然関係ない話になった。
それにしても暑いですね。
特に昨日今日は、熱帯雨林のような(行ったことないけど)蒸し暑さで、駅ですれ違う仕事帰りの人々の顔もテッカテカだ。僕の場合は寒い季節よりは暑い方がテンションが上がる方なんだけど、さすがにここまで暑いとぐったり疲れてしまう。こんな不快な都市を離れて、爽やかな高原に行って木陰の椅子でのんびり本を読みながらアイスコーヒーでも飲んでいたいですね。
お盆は淡路島でのんびり避暑しようっと。
いよいよ8月、頑張っていきましょう。
夏の前半戦で最もクレイジーに忙しい一週間がようやく終わりつつある。
まあ、来週も似たようなもんだし、今週もまだ明日があるんだけど。
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ちなみに、三島の『潮騒』はやっぱり中断して、漱石の『門』に戻った。
僕なんかが否定したところで三島の文学的価値はいささかなりとも揺るがないからいいんだけれど、僕個人の好みから言えば、三島由紀夫は論理的すぎるというかマッチョというか、ユーモアが感じられなくて、読んでいてもなかなかノって来ない。漱石にしろ太宰にしろ村上春樹にしろ、僕の好きな作家は共通してある種のユーモアのセンスを持っているような気がする。悲しみの中にはある種のおかしみも含まれている、というような。そう言えば、松本人志のコントも「悲しみと表裏一体の笑い」みたいなのが感じられるよなあ。
…全然関係ない話になった。
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お盆は淡路島でのんびり避暑しようっと。
いよいよ8月、頑張っていきましょう。

