月・火の仕事を終えて神戸から戻り、休暇は淡路でのんびりしている。
特に何もしていないけれど、新緑とか海とかを眺めて風を感じているだけで、ずいぶんレイドバックした気分になれる。
どこか遠くへ行かなくても、こうしてゆったり余計なことを考えずにリゾート気分を味わえるのは、結構幸運なことかも知れない。
そんな感じで、この二日間ほどあんまり頭を使っていない。
まあ、いいか。
都会の生活に疲れている人は淡路島でゆっくりするといいですよ、ほんまに。
玄関の花。
「男子的なるもの」というのは、ここでは、ゲームとかマンガとかスポーツとか車とかバイクとか金儲けとか、少年時代から今まで僕が苦手意識を持っているものたちのことを言う。
これらは一般に男子にとって重大な関心事だ。
僕の世代だと、例えば小学生時代には、ポケモンが流行っていて、あとはカードゲームとか、もちろん『少年ジャンプ』とか、そういうのが人気のある娯楽で、昔からの野球やまだ新しかったサッカーJリーグも少年たちの熱中の的だった。
スーパーマリオとか、多少ハマっていたゲームもあったけれど、それ以外にそういった「男子的なるもの」に全然興味が持てなかった僕は、そういう面では友達と共通の話題を持つことができなかった。結構驚かれるのだけど、『少年ジャンプ』を僕は一度も読んだことがない。
もちろん親しい友達は何人もいたけれど、話がそういう方に行くと、僕はいつも居心地の悪さみたいなものを感じずにはいられなかった。
今なんとなく思うのだけれど、たとえばミニ四駆にハマったり、『少年ジャンプ』を毎週買うという行為には、男性的人格形成の上で何かしら影響を及ぼしているんじゃないだろうか。
男ばかりの集まりになると、こういう「男子的なるもの」が話題になることが多いので、結構気疲れしてしまう。親友はまあ別として、それほど親しくない知り合いとか友人とかと遊んだり飲んだりするなら、はっきり言って女性の方が楽しい。別に「女子的なるもの」の方が分かる、というのでもないんだけど。
でも女性は女性で、「女子的なるもの」に合わせなきゃならなかったりして、僕みたいに馴染めない人は居心地悪かったりするんだろうな。
うーん、「女子的なるもの」もなかなかややこしそうだ。
生きるって大変ですね。
というほどの話でもないけど。
これらは一般に男子にとって重大な関心事だ。
僕の世代だと、例えば小学生時代には、ポケモンが流行っていて、あとはカードゲームとか、もちろん『少年ジャンプ』とか、そういうのが人気のある娯楽で、昔からの野球やまだ新しかったサッカーJリーグも少年たちの熱中の的だった。
スーパーマリオとか、多少ハマっていたゲームもあったけれど、それ以外にそういった「男子的なるもの」に全然興味が持てなかった僕は、そういう面では友達と共通の話題を持つことができなかった。結構驚かれるのだけど、『少年ジャンプ』を僕は一度も読んだことがない。
もちろん親しい友達は何人もいたけれど、話がそういう方に行くと、僕はいつも居心地の悪さみたいなものを感じずにはいられなかった。
今なんとなく思うのだけれど、たとえばミニ四駆にハマったり、『少年ジャンプ』を毎週買うという行為には、男性的人格形成の上で何かしら影響を及ぼしているんじゃないだろうか。
男ばかりの集まりになると、こういう「男子的なるもの」が話題になることが多いので、結構気疲れしてしまう。親友はまあ別として、それほど親しくない知り合いとか友人とかと遊んだり飲んだりするなら、はっきり言って女性の方が楽しい。別に「女子的なるもの」の方が分かる、というのでもないんだけど。
でも女性は女性で、「女子的なるもの」に合わせなきゃならなかったりして、僕みたいに馴染めない人は居心地悪かったりするんだろうな。
うーん、「女子的なるもの」もなかなかややこしそうだ。
生きるって大変ですね。
というほどの話でもないけど。
ことあるごとにモメ事になる靖国神社。
「勝手にモメ事にしてんのは反日の連中だろうが!」という意見はおいといて、僕の思うこと。
僕は基本的には、歴史のある宗教すべてに寛容でありたいと思う。
その信仰を大切にしている人たちがいるなら、それをあえて否定し彼らを傷付ける(フランスのムスリム風刺画みたいに)行為は悪である。
仏陀であれジーザスクライストであれムハンマドであれ、長い歴史の中で多くの人々を救ってきた教えには敬意を払うべきだと思う。
それはもちろん、日本文化の中で大きな影響力を持つ神道という信仰に対しても。
今年も僕は初詣に行ったし、例えば下鴨神社の糺の森に流れる清らかな空気がとても好きだ。
神社というのは本来、その土地を霊的に鎮めている聖なる中心のことだ。それは建物のない、「鎮守の森」という形をとることもある。
古い神社というのは、延喜式なんかを見てみると、「創建の年代は不明」となることも多い。そこに人が住み始めたのと同じくして信仰が生まれていたということだから、聖なるレベル(?)も半端ではない。こういう場所を侮ってはいけない。そこには絶対に何か神聖なパワーがある。
でも、いわゆる国家神道はそれとは違う。
それは、明治の中央集権国家の精神的支柱にするために創り出された「ファンタジー」だ。
幕府から権力を奪った薩長の革命政権が、京都から天皇を引っ張り出して、自分たちに都合良くこしらえた物語である。その証拠に、靖国神社には戊辰戦争で死んだ旧幕府軍や、会津や東北諸藩(奥羽越列藩同盟)の戦死者は祀られていない。
国家神道は1889年の教育勅語によって、国民の道徳的規範として刷り込まれていく。
「日本は本来こういうものだったので、その原点に帰る」という、いかにも正統的に見えるレトリックで国民は動員されていく。
そして国家神道の精神的支柱のひとつである靖国神社は、「大東亜戦争」で見事にその機能を果たし、ファナティックな若者たちを手際良く戦場へ駆り出していくことになる。戦死した英霊たちは靖国神社に還り、悠久の大義に生きることができるのだ。
そういう意味で、靖国神社は100パーセント「政治的」な場所だ。
そこにある御神体は、土地の聖なるものではなく、近代日本の幻想である。
だから、一国のリーダーたちがそこに参拝するということは、そのまま政治的なメッセージとなる。それは信仰でさえない。少なくとも、中国も韓国もアメリカもそう思っている。
だから、そんなことを繰り返すリーダーが発する平和と和解のメッセージを、誰も本気で聞こうとしないのだ。
補足しておくと、僕は靖国神社のような場所があることには特に反対ではない。
大日本帝国のひとつの記憶として、むしろ存続すべきだと思う。僕が言いたいのは、一国のリーダーたちが己の信念や国内の右派の願望を満たすためにそこを参拝することで、日本がどんなメッセージを送ることになるのかを、もう少し真剣に考えた方がいいんじゃないか、ということだ。
来週の今日からゴールデンウィークですね。
日本の連休の中では、たぶん一年で最も気候のいい連休だ。
山は新緑に彩られ、日差しは暖かく、風はひたすら爽やかに吹き抜ける。
空はくっきりと青く、若草や、あるいはほのかな潮風のにおいが鼻をくすぐる。
でもそんな素晴らしいものがやすやすと手に入るわけではない。
列車もバスも満員で、高速道路は悲劇的に渋滞し、サービスエリアでもなかなか昼食にありつけず、目的地に着いたと思ったら人混みに揉まれて観光どころではない。帰りの道路ももちろん大渋滞で、家に帰ったらとうに日付は変わっている…
というような連休になってしまう人が日本中にいるんだろう。
僕なんかは人混みが嫌いで仕方ないので、こんないい季節に自分だけが連休だったらいいのになあ、といつも思う。まあ、自分だけというのはやり過ぎだとしても、こんな風にみんながみんな同じ時に連休だと、楽しめるもんも楽しめ ないですよね。もっと分散できないもんなのか。
でも時々、「なんだかんだ言ったって、渋滞とかでぶーぶー文句言いながら、それが楽しいんだよ」みたいなことを言う人がいる。
人混みや渋滞で「連休らしくて楽しいな、うっほ!」と感じるんだ、と。
でも、例えばディズニーランドやらUSJやらで「アトラクション乗るのに4時間待った」なんて喜んでいるのって、ちょっと変態なんじゃないか、と僕なんかは思ってしまうけど。
日本の連休の中では、たぶん一年で最も気候のいい連休だ。
山は新緑に彩られ、日差しは暖かく、風はひたすら爽やかに吹き抜ける。
空はくっきりと青く、若草や、あるいはほのかな潮風のにおいが鼻をくすぐる。
でもそんな素晴らしいものがやすやすと手に入るわけではない。
列車もバスも満員で、高速道路は悲劇的に渋滞し、サービスエリアでもなかなか昼食にありつけず、目的地に着いたと思ったら人混みに揉まれて観光どころではない。帰りの道路ももちろん大渋滞で、家に帰ったらとうに日付は変わっている…
というような連休になってしまう人が日本中にいるんだろう。
僕なんかは人混みが嫌いで仕方ないので、こんないい季節に自分だけが連休だったらいいのになあ、といつも思う。まあ、自分だけというのはやり過ぎだとしても、こんな風にみんながみんな同じ時に連休だと、楽しめるもんも楽しめ ないですよね。もっと分散できないもんなのか。
でも時々、「なんだかんだ言ったって、渋滞とかでぶーぶー文句言いながら、それが楽しいんだよ」みたいなことを言う人がいる。
人混みや渋滞で「連休らしくて楽しいな、うっほ!」と感じるんだ、と。
でも、例えばディズニーランドやらUSJやらで「アトラクション乗るのに4時間待った」なんて喜んでいるのって、ちょっと変態なんじゃないか、と僕なんかは思ってしまうけど。



