最近全然私のつぶやきないなぁ~って。家で、ももかと二人での写真撮って遊んでいたら、なんとなく頭によぎった事書いてみたくなった。。2002年1月21日、カリフォルニア州アバーイン。。ももかは、ここで産まれた。産まれて直ぐにおくるみに、包まれて抱かされる当たり前の光景に、私は、喜ぶ余裕はなかった。怖くて怖くて震えていたのは、今でも鮮明に覚えている。よく映画で出てくるシーンとは、まるで別モノだった。ただただ不安だった。この小さな生き物を、キチンと成長させる事ができるのか?と、一瞬にしてたくさんの思いが頭を過ぎってしまった。元々旦那さんとうまくいっていなかった事もあり、実は、離婚をする事は、産んだ瞬間に決まっていたのです。こんな人中々いないと思う。
アメリカでの出産は、日本とはまるで違う。産んだその次の日に退院させられてしまう。沐浴だの、オムツレッスンなどありゃしない。家に返され、毎日毎日怖くて仕方がなかった。。アメリカスタイルで、3ヶ月アメリカで生活した。。帰国して、また新しい世界だった。。旦那とは顔を見れば喧嘩しかなかった。毎日育児と、離婚に向けての家族会議ばかりだった。ヘロヘロだった。沢山考えた、私の都合でももかが、悲しむのか?と。。形を優先して寒い家族でいるべきか?と。。周りはほぼ全員離婚には反対であった。でもさ、私が笑わなくなったら、意味ないなと。。どうせ離婚するなら、子供が赤ちゃんの時の方がいいなと。中途半端に親の顔覚えた後に離婚する方がそれまた、大変ではないかと。ももか、満一歳、離婚成立であった。。
父親が、いないハンディ、どうしたらその部分が少しでも埋まるのか?両親が健在の為、私は家族で住む事にした。正直両親と住む事が苦手な私、でも仕方ないって。。
ももかが、少しでも寂しい思いをさせない様にするには、これしかないなって。
そして、私とももかは、それ以来親子ではなく、歳の離れた姉妹の様に生きている。
私をママとは呼ばず、Anna~って。。
人前では、ママと呼ぶ。。風変わりな親子の形だと思けど、私達は、そんな感じに生きている。29歳離れている私達。この先も姉妹の様に生きていくだろう。ラブラブ
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