「因果応報(続)」 | 宮地神仙道

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「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)





以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペです。


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うちの子は卵と香料にアレルギー持ちなので、
義実家訪問の時も、子供用の食事やおやつは基本持参していた。

(義実家も気遣ってくれるのだけど、アレ持ちに合わせてもらうのが申し訳ない気がするので基本持参)

義兄家は義実家で同居(家業の関係で同居必須なんで)なので、
よけいにアレ持ち我が子に合わせてもらうんが気を使うってのもある。

そんな状態で、

義実家訪問時に義兄嫁がどっか有名店のシュークリームを茶菓子で出してくれた。
うちの子は卵アウトなので持参のオヤツを食べさせていたら義兄子(うちの子より年上)が、
そのオヤツを欲しがってごね始めた。
義兄嫁に目をやっても「ほしいよね~」とニコニコして止めないので、義母が止めてくれた。

そしたら義兄嫁が発狂して、人んちに訪問するのに自分の分だけ持ってくるってどうよ!?
みたいなことを喧嘩腰で言われた。

義兄家義実家にはちゃんと手土産渡してるし、
これはアレルギー対応品だからって説明しても「それが何か?」みたいな感じで聞く耳ない。
わけるべきだって言われても、あれ持ちの子はこれしか食べられないけど、
義兄子は目の前のお菓子をいくらでも食べられるのに・・・と思ったら涙が出てきた。


私が泣いたことで義母が慌てて夫呼んでくれて、一緒に義兄が来たので理由を説明した。
義兄嫁は「そんなこと言ってない」だの「いい間違っただけ」と言い訳したけど義母がいたから助かった。


義兄夫婦はそのあと離婚話に発展して、
最初の頃は義兄嫁から「あんたの子がアレルギーのせいでこうなった」と逆恨み。
さらに「アレルギー持ちなんて生存競争の敗者」と嫌がら言われて辛かった。

義兄夫婦の離婚は、義兄嫁が第二子を妊娠してたので立ち消えになった。
義兄家第二子はうちの子よりひどいアトピーとアレルギー持ち。
そうなってようやく謝って助けを求めてきたけど、許さないし手伝わないし、
私が知ってることも教えてあげる気はない。

うちの子は成長するに従ってアレルギーも寛解してきたけど方法を教える気はない。
義兄家の上の子が、アレルギーの下の子にきつく当たるそうだけど
義兄嫁の教育のたまものだよねって思う。

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実家の近所のお家。
息子二人がぞれぞれ結婚し、県外で生活している。(子供はいない)
盆正月の里帰りは息子のみ許可で、それぞれのお嫁さんは家に上げなかった。
「血のつながらない人に家に上がって欲しくない。水入らずで楽しみたい」と鼻息荒かった。

そんな中、夫が突然死した。
突然一人暮らしをすることになったのもあって、精神的に弱っているのか
夜中に目が覚める、ちょっとした物音が怖いとか大騒ぎしている。
民生委員の人が息子夫婦に状況を連絡したけど、
溺愛していた息子達はときどき様子を見に来るくらいは出来る距離に住んでるんだけど
全然寄り付かない。

お嫁さんたちと良好な関係を築いていれば、こんな状況にはならなかっただろうと思う。

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少々浮気性だけど大好きだった元旦那。
ある日、自宅に浮気相手が押しかけて来て修羅場。私は寝耳に水状態。
親兄弟に引き離されて無理矢理別居した。辛くて辛くて。
結局離婚したんだが、元旦那はとっととその不倫女と再婚。
私もそんなに若くないしマジで憎んでた・・・
んだが、大学時代の同級生に再会してとんとんと再婚。
相手は大学に残って研究バカだったから初婚、でもそこそこの大学の准教授になってた。
風の頼りに元旦那夫婦のうわさが耳に入った。
商売(自営だった)上手くいかない、夫婦仲上手くいかない、子供ダウン症。