※真面目&長文注意※
沢山の人達がTwitterやBlogで3.11のことを書かれてますね。
TVもネットも追祷番組が多い1日でした。
「あれから1年」あちこちで耳にする言葉です。
もう1年、と感じるひとも、まだ1年、と感じる人もそれぞれでしょう。
私は、もう1年、かな?
あっという間でした。
毎日のふとした瞬間に、震災のことや命のことを考えることが、たびたびありました。
去年の3月11日は自分は何をしていたっけ?
と思い出す日でもありました。
2011年3月11日。
私は当時前の会社を辞めて家にいました。
失業手当があったので、生活自体は普通だったものの、
生活リズムが乱れに乱れていました。
明け方寝て、昼前起きて、でもまだ眠くて…
そんなふうに、ベッドでゴロゴロしていたとき、地震に遭いました。
急な強い揺れに驚きましたが、阪神大震災のとき(当時、和歌山にいました)を
思い出し、とっさに動けず布団のなかにもぐり、揺れがおさまるのを待ってました。
何か物音がしたと思ったら、壁に立てかけてたキーボードと、
デスクの上のCDたちが倒れてました。
そして、明るいうちだったのですぐには気づきませんでしたが
すぐに停電。ガスも止まりました。
家族から大丈夫?とメールがあり、すぐに返信できましたが、
その後、携帯が通じなくなりました。
停電がいつまで続くか分からないので、PCや携帯も迂闊につかえず。
不安でしたが近所に駆け込める場所や人もいないので、
徐々に暗く、そして寒くなっていく部屋でじっとしているしかありませんでした。
夜、11時頃にようやく電気が復旧し、TVをつけて絶句。
「海岸に200~300の遺体が~」
…という報道に鳥肌がたちました。
火事で真っ赤に燃えている気仙沼の映像も、
土砂崩れで家族皆が生き埋めになり、泣いている方の映像も、
いまだに頭から離れません。
人って本当に無力だな、と悲しい気持ちでいっぱいになりました。
その後、携帯が繋がるようにもなり、友人・知人たちとも連絡をとりあえましたが、
皆、それぞれに大変な思いをしていました。
東京のような土地柄、帰宅難民になってる人もたくさん。
まだまだ寒い3月。
心細かった人達が全国でどれくらいいたことか。
自分にできることは、募金をすることくらいでしたが、
それでもできることを続けていくことが大事ですよね。
これからも続けていきたいです。
当時、芸能人やアーティスト達の動きにも物議を醸すことが多くありました。
私個人の考えなのですが、彼ら彼女らの、支援のための動きは
形はどうであれ、きちんと被災した方達の力になれているのなら、
売名でもなんでもいいんだと思うんです。
名前を伏せて支援されて方もいました。
名前をだして支援された方もいました。
前者に対して批判の声もありましたが、
有名だからこそ、人が注目する。
そんな仕事に就いているのだから、それを上手に利用して、
さらに大きな支援ができるのなら、彼らの仕事の力が大きく役立ったと、
私は解釈しています。
別に私が以前にエンタメ業界にいたから、そういう見方をしている、というわけでもなく。
だから、少しでも影響力のある人には、
一般の人ができない形での支援、またはメッセージの発信を
続けていってほしいなあ、と思うわけです。
来年の今頃も、同じように多くの人が、
今回の災害で亡くなった方、辛い思いをされている方のことを想いやれますように。
そして、またいつかどこかで確実に起こるであろう災害に対し、
次こそは、もっと安全に避難でき、ひとりでも救われる結果に繋がりますように。
そう思うばかりです。
忘れない、なんかじゃないんですよね。
忘れられないです。
沢山の人達がTwitterやBlogで3.11のことを書かれてますね。
TVもネットも追祷番組が多い1日でした。
「あれから1年」あちこちで耳にする言葉です。
もう1年、と感じるひとも、まだ1年、と感じる人もそれぞれでしょう。
私は、もう1年、かな?
あっという間でした。
毎日のふとした瞬間に、震災のことや命のことを考えることが、たびたびありました。
去年の3月11日は自分は何をしていたっけ?
と思い出す日でもありました。
2011年3月11日。
私は当時前の会社を辞めて家にいました。
失業手当があったので、生活自体は普通だったものの、
生活リズムが乱れに乱れていました。
明け方寝て、昼前起きて、でもまだ眠くて…
そんなふうに、ベッドでゴロゴロしていたとき、地震に遭いました。
急な強い揺れに驚きましたが、阪神大震災のとき(当時、和歌山にいました)を
思い出し、とっさに動けず布団のなかにもぐり、揺れがおさまるのを待ってました。
何か物音がしたと思ったら、壁に立てかけてたキーボードと、
デスクの上のCDたちが倒れてました。
そして、明るいうちだったのですぐには気づきませんでしたが
すぐに停電。ガスも止まりました。
家族から大丈夫?とメールがあり、すぐに返信できましたが、
その後、携帯が通じなくなりました。
停電がいつまで続くか分からないので、PCや携帯も迂闊につかえず。
不安でしたが近所に駆け込める場所や人もいないので、
徐々に暗く、そして寒くなっていく部屋でじっとしているしかありませんでした。
夜、11時頃にようやく電気が復旧し、TVをつけて絶句。
「海岸に200~300の遺体が~」
…という報道に鳥肌がたちました。
火事で真っ赤に燃えている気仙沼の映像も、
土砂崩れで家族皆が生き埋めになり、泣いている方の映像も、
いまだに頭から離れません。
人って本当に無力だな、と悲しい気持ちでいっぱいになりました。
その後、携帯が繋がるようにもなり、友人・知人たちとも連絡をとりあえましたが、
皆、それぞれに大変な思いをしていました。
東京のような土地柄、帰宅難民になってる人もたくさん。
まだまだ寒い3月。
心細かった人達が全国でどれくらいいたことか。
自分にできることは、募金をすることくらいでしたが、
それでもできることを続けていくことが大事ですよね。
これからも続けていきたいです。
当時、芸能人やアーティスト達の動きにも物議を醸すことが多くありました。
私個人の考えなのですが、彼ら彼女らの、支援のための動きは
形はどうであれ、きちんと被災した方達の力になれているのなら、
売名でもなんでもいいんだと思うんです。
名前を伏せて支援されて方もいました。
名前をだして支援された方もいました。
前者に対して批判の声もありましたが、
有名だからこそ、人が注目する。
そんな仕事に就いているのだから、それを上手に利用して、
さらに大きな支援ができるのなら、彼らの仕事の力が大きく役立ったと、
私は解釈しています。
別に私が以前にエンタメ業界にいたから、そういう見方をしている、というわけでもなく。
だから、少しでも影響力のある人には、
一般の人ができない形での支援、またはメッセージの発信を
続けていってほしいなあ、と思うわけです。
来年の今頃も、同じように多くの人が、
今回の災害で亡くなった方、辛い思いをされている方のことを想いやれますように。
そして、またいつかどこかで確実に起こるであろう災害に対し、
次こそは、もっと安全に避難でき、ひとりでも救われる結果に繋がりますように。
そう思うばかりです。
忘れない、なんかじゃないんですよね。
忘れられないです。