馬鹿日報・弐 -2ページ目

めがねっこぐらし

娘が小1にして眼鏡デビュー。

 

うちの家系も皆近眼、

そして嫁さん自身が

やはり小1から眼鏡生活。

 

それが長年コンプレックスと

常々言っていたので、

「私と同じにしたくない」

と多少は目が悪くならないよう

努力してきましたが、

この1年くらいの間で

イッキに視力が落ちたようです。

 

まあ早かれ遅かれ

視力は落ちるだろうとは

思っていたものの、

2〜3年前はあまりの視力のよさに

驚いたりしていたので、

予想より早かった感はあります。

 

 

…で、早々に眼鏡を作りに行きました。

 

昨年、自分の方が

福井県は鯖江市に行って

眼鏡の製造過程を見て

いたく感動したため、

その後思い切って

結構ないい眼鏡を購入しました。

 

(フリー生活10周年祝いってことで

 時計を買うつもりでしたが、

 近年全然時計も着けないため

 眼鏡にした、という)

 

そのブランドでも

キッズ用の眼鏡は作っていたのですが、

何万円もするものを買って

(娘のモノの扱いが乱雑なので)

すぐ壊れたとなれば

あまりに救われない。

 

そんなわけでファースト眼鏡は

なんだかんだで自分も愛用している

JINSに。

 

安いし丈夫だし…で、

自分の学生時代を思うと

いい時代になったなぁと。

 

(ちなみにJINSも鯖江産です)

 

処方箋出して

娘にお気に入りのフレームを

選ばせたら、

1時間もかからずに完成。

つくづく便利だなぁと。

 

 

……しかし帰宅後、

娘に眼鏡をかけさせて

嫁さんが写真を撮っていたところ、

「ほんとうはめがねかけたくなかった!」

と大号泣。

 

再三目が悪くなるような状況

(寝っ転がって漫画を読んでいたりなど)

を注意しても直らなかったので

若干の自業自得感はあるものの、

本人も色々思うところは

あるのだろうなぁ…と。

 

幸いまだ0.3〜0.4の視力はあるので

「授業のときだけでいいから」

と言ってなんとかなだめたり。

 

 

…それで翌日、

眼鏡をランドセルに入れて

娘を送り出しました。

 

その約2時間後、

自分は保護者活動があって

学校へ。

 

そして校門を入ったところで

偶然屋外で授業中だった娘と遭遇。

眼鏡をかけて走り回っていました。

 

夕方の帰宅時も

眼鏡をかけていて、

「めがねかけたほうがみやすい」

と。

 

 

……その後は基本的に裸眼ですが、

とはいえ本人の判断で

授業や習い事の際には

眼鏡をかけている模様。

 

この先状況に応じて

コンタクトが必要になったり、

はたまた嫁さんみたいに

ICL手術で視力回復したり

するのかもしれませんが、

ともあれ近眼との戦いの第一歩が

わりとスムーズだったので、

よかったなぁと思います。

大丈夫か小学校生活

娘が小学生になりました。

 

 

幸い登校拒否などせず

毎日楽しそうに

学校に行ってはいるものの、

夜、宿題をやっている間は

ほぼほぼ不機嫌な状況。

 

……自分を思い返すと、

中学生になって

順位や偏差値がつくようになって

勉強が嫌になった感はあるものの、

少なくとも小学生の間は概ね

新しいことを知る楽しみの方が大きく、

勉強が苦痛だった記憶は

あまりない。

 

高校は無理して進学校に入った結果

授業について行けず

かなりしんどい思いはしたものの、

一応逃げ出したりはせず

赤点スレスレで卒業。

 

その後、浪人時代に予備校に通って

基礎からやり直した結果、

一気に成績が上がって行ったので

わりと楽しかった記憶が。

 

嫁さんも嫁さんで

早々に就職したものの、

推薦で高校に入ったりなど

学生時代は勉強熱心かつ

成績は良好だったと

聞いている。

 

 

……そんな自分らの子が

小学1年生で早くも

勉学につまずいているという状況に、

正直些か面食らっている。


3歳になる前から

習い事なんかもしているし、

世の中に余裕もないから

色々大変なんだろうなぁとは

思うけれど、

とはいえ大丈夫か……と。

 

(英語に至っては3年以上通っているのに

 単語は一切読めないどころか

 アルファベットを書くことも覚つかなく、

 10分で終わる宿題に

 30分癇癪を起こしている。

 反面、レッスンを見学すると

 わりと楽しそうにこなしているのが不思議)

 

まあ週末に公園など連れていくと

即その場で友達を作ったりなど、

感心してしまうような能力はある。

 

自分の友達の中にも

学力より人間力の高さで

楽しそうにやっている人もいるし、

そこまで勉強に熱中できないのであれば

無理させても仕方ないので、

いい部分を伸ばせればなぁとは思う。

 

今はとりあえず

授業やテストを妨害などせず

無事に学校に通ってくれれば、

それでいいのかな…程度に

考えておこうかと。

 

身の回りに所謂エリートも多いため

焦りを感じなくもないのだけれど、

まあ、地位がなくても自立して

社会や地球に迷惑をかけることなく

楽しく生きて行けるのであれば、

最低限はOKなのかなと。

 

自分もその程度の背中は

見せられればいいのだけれど。

生活の変化

娘が無事小学校に入学。

月並みですが、

月日が経つのは早いなぁと。

 

登校が40分ほど早くなり、

送りはゼロ、

お迎えも週1回程度に。

 

それもあって

仕事のスタート時間は早まり、

仕事に割ける時間も増加。

その分仕事も増やせればいいなと。

 

反面、日々の運動量は激減。

しょっちゅう娘乗せて

自転車で走っていたしなぁ…。

 

いい気候になってきたし、

仕事の合間を縫って

自転車での外出を

増やしたいなぁというのが

とりあえず思うところです。

今年もよろしくお願いいたします。

遅ればせながら、

本年もよろしくお願いいたします。

 

有難いことで年明けから

やることは途切れないのですが、

案件の大半が納品がすごく先なうえに

コロナ禍前に報酬を頂いたものも

あったりという状況で、

懐から血がドクドク状態です。

 

上半期は税金や保険の

出費が半端じゃないうえに

今年は車検もあり、

春を越せる(変な表現)のでしょうか…。

 

 

そういえば昨年末、

出先の嫁さんから

「ロケ中のチャンス大城を目撃!」

とLINEが来たので、

「チャンス到来!宝くじ買って!」

とお願いしたところ、

20枚買って3600円が当選。

マイナス2400円の幸運と、

やはり甘くないですね。

 

初詣では珍しくおみくじで

大吉を引いたので、

なんかいいことないかなと…。
 

 

仕事に関しては

冒頭に書いたように金銭的不安が

半端ではないのですが、

(年明け早々金の話かい、と)

「やりたい」と言っていた仕事が

ちょこちょこできるように

なってきました。

 

ひとつの核は「地域」で、

少しずつですが自分が携わりたい

地域の人と接点ができ出しました。

それを途切れさせないよう、

そして願わくば仕事でも

繋がって行けるように

立ち回りたいところです。

 

もうひとつのトライとしては、

「書き仕事」。

現在、久々にライターとしての

お仕事を頂いています。

 

6年前に似たような案件で

ボロボロになって以来

怖くて逃げていたのですが、

自分にとっての長年の先生役でもある

友人がコーチという得難い状況下、

以前よりは進歩できている

感触があります。

 

東京で末端のデザイナーをやっていると

「取材」に立ち会う機会が少なくて

不満だったのですが、

色々な人に話を聞いて

文章にまとめ上げていくスキルが身につけば、

できることの幅が広がるのでは

なかろうか…と。

 

願わくば今年は、仕事も行動範囲も

広げて行きたいところです。

 

 

日々の生活はほぼ変わらず、

娘は幼稚園の卒園間近。

 

先日、卒業アルバムの原稿を

見ていたところ、

「すきなもの」の欄に

「ようちえん」と書いていたのを見て

軽く泣きそうになってしまいました。

 

この3年間、送りの際には

こちらを一切振り返ることなく

毎朝園舎に飛び込んで行く様を見て、

よほど楽しかったんだなぁと。

 

自分は娘に高学歴は求めていないので、

(両親揃って美術系の出身だし)

なんか義務教育で疲弊するなら

あと2年くらい幼稚園に通っても

いいんじゃないかって思いました。

 

そして、そんな娘に先日、

「日曜に習い事入れて」

と言われて

「なんで?」

と聞いたところ、

「パパと二人でつまんない」

と。

 

この3年半、日曜は

嫁さんが仕事のため、

ほぼ二人での生活。

ついにそんなこと言われるように

なってしまいましたが、

まあ成長の証でもあるのかなと。

 

夜中にトイレで起きた際には

こちらの布団に潜り込んできて

「ニホンザルの親子か!」

とツッコミを入れたくなるほど

くっついて寝てしまう娘ですが、

そんなこともあと何年も

ないんだろうな、とも。

 

(10年経ってもこれじゃ困る)

 

不景気だし世界も日本も物騒だしで

娘の将来に自分がどこまでできるのか

日々不安で仕方ないのですが、

「十分な教育」というよりは

「いろんな体験」ができるように

なんとか前を向いて頑張りたいなぁというのが

思うところです。

 

 

相も変わらずただの日記ではありますが、
今年も暇潰しのお供になれば幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします。

ありがとうございましたの2023年

 

この1年

とんでもないバタバタでしたが、

有難いかなラスト10日ほどは

穏やかに過ごせました。

 

(仕事が早めに落ち着いてしまったのは

 いいのやら悪いのやら…)

 

 

ちょっと前の日記

実家の惨状的なことを書きましたが、

その後うちの父が

何度目かの奇跡を呼んで復活。

 

その頃は寝たきり状態だったのですが、

自力歩行できるまでに回復しました。

週数回の訪問介護・診察のサポートもあって

酸素チューブこそ着けていますが

自宅で(わりと普通に)生活しています。

 

母も昨年夏頃は

かなり元気がなかったものの、

このところはわりと元気。

毎度「宅食とかやれば?」と

勧めているものの固辞、

三食作ったりしている模様。

 

年末には近くのショッピングセンターへ

往復30分ほど歩いて

一緒に買い出しなど行けました。

 

父は風邪をひいたら即アウトくらいの

爆弾を抱えている状態で、かつ

余命が伸びたわけではないのですが、

(本人は認識していない中)
最後の最後で自宅で日長テレビを見て

食べたいものを食べる生活をする…という

願望が叶ったのはよかったなと。

 

長年思ってきたことですが、

「他に趣味や望みはないんかい」

というのは、

もはや余計なお世話だよなと…。

 

 

うちはうちで病気に翻弄され、

嫁さんも娘も年の1/4〜1/3くらいは

一日中咳をしているような状況でした。

それを見ているのがとにかく辛くて、

自分がコロナになったのなんて

(結構しんどかった気もしますが)

全然大したことなかったなと。

 

2024年、まず望むことは

「健康」です。

 

 

そんな1年ではありましたが、

旅行運はよかったです。

 

個人的には7月に久々の一人旅。

…とは言っても通っている

デザインスクールの実地研修で、

福井県や富山県で様々な

伝統工芸や日用品の工房、

デザイン事務所などを見学。

過去の一人旅では叶わなかった望みが

浴びるように叶った感があります。

 

10月にも、家族で3泊4日で

沖縄に行ってこられました。

(写真は古宇利島大橋にて)

 

出発の4日前に父が倒れ

キャンセルするかどうか直前まで

読めなかったですが、無事完遂。

来年娘が小学校に上がってしまうと

平日にまとめて休みもとれないので、

なんとか行けてよかったです。

 

その際やんばるの湖でカヌーをしたり、

はたまた2月には長野で

娘と嫁さんが初スキーをしたりと、

家族でアウトドア的なことも

楽しめるようになってきたのも

いい傾向でした。

今後はハイキング等もしたいです。

 

 

行動圏が広がったからか、

今年は仕事の幅も広がりました。

「好きな地域の仕事がしたい!」と

言いまくっていたところ、

幾つか機会に恵まれることに。

 

打ち合わせも遠いところでは

母方のお墓がある茨城県へ

クルマで向かい、

近いところでは自転車で5分の

地元の企業さんに

伺うことになったり、等々。

 

そんなこんなで年賀状を書くため

年末の特番なんかも

流し見状態でしたが、

つくづく有難いことだなと。

 

来年は久々に旅先で年越しなど

してみたいもんだなぁと思うのですが、

そのためには年内早めに

年賀状は終わらせないとなぁ、と。
今からの宿題です。

 

 

しんどいことも多かったですが、

とはいえ仕事は充実していて

楽しいことも多い1年でした。

 

年々「人生で最も物騒な1年」を

更新しているようにも見えますが、

近年出会う機会が増えた

10代20代の人たちと話していると、

未来は明るいようにも思えます。

 

常々祈ることといえば

「世界平和」「家族の健康」

「いい仕事できますように」

くらいのものですが、

2024年、少しでも安心して

生活できる日々が

続くよう祈るばかりです。

 

 

今となっては誰が読んでいるかも

わからない日記ではありますが、

今年もありがとうございました。

2024年がよい年でありますように!