家族の終わり | 馬鹿日報・弐

家族の終わり

 

昨晩は義姉の誕生会でした。

 

義兄は仕事で不参加だったものの、

嫁さん側の親族が

近場のレストランに集合。

 

(写真は食後テレビに食い入るキッズたち)

 

当初主役であるはずの義姉が

キッズ3人のいるテーブルで

子守り役になったので、

「主役でしょ! 代わるから」

と、席を交代。

 

(甥っ子姪っ子ともに外で

 散々美味いものを食べていることもあり、

 特にすることもなく至ってラク)

 

となると、もう片方のテーブルは

お義父さん、お義母さん、

義姉、嫁さんという家族の構造。

 

下戸の嫁さんを除いて

ワイン片手に

過去の家族旅行の話などをして

談笑する様を見て、

「いいなぁ」

としみじみ思ったり。

 

 

……翻って我が家のことを

思い出してみると、

そもそも両親が祝い事をはじめ

親族で集まったりすることは

好きではなかったので、

パーティーなどした記憶などなく。

 

唯一家族4人で

和やかに話せた記憶があるとすれば、

東日本大震災の際

宮城県で保険の仕事をしていた兄が、

なんとか仕事に区切りをつけて

東京に戻ってきた時くらい。

 

その時は「俺がご馳走するから!」と

家族でステーキハウスに行って、

(酒に強い人間は1人もいないのに)

ワインボトル2本空けた記憶が。

 

 

……そしてそんな我が家が、

終焉を迎えつつあるのが今。

 

元から肺を悪くしていた父が

コロナ肺炎を患ったことで重症化し、

ほぼ寝たきりのような状況に。

お医者さんからも明確な

余命を伝えられました。

 

母は母で昨年末に

ステージ4の癌を患い、

近年発展の目覚ましい

遺伝子治療のおかげで

延命はしたものの、

この先劇的にいい薬が出ない限りは

リミットが見えているのが現状。

 

そんな母の状態を顧みず、

父は「家に帰る」の一点張り。

毎回お見舞いに行くたびに

両親がもめていて、

担当医さんを困らせている状況。

 

看護師さんやケアマネさん、

ソーシャルワーカーさんに至るまで

「自宅介護は無理」と

裏でアドバイスはして頂くものの、

(奇しくも全員女性)

病院としては方針の強要ができないため、

お医者さん(男性)からは

「戻れないことはないです」と言われ、

それがゴタゴタにガソリンを注入。

 

……そしてその調整で翻弄されているのが

事実上の家長となっている兄で、

忙しい中仕事や甥っ子のサポートを休んで

(なにせ甥っ子がとんでもない

 野球のエリートで、

 今は進路のかかった重要な局面)

病院に赴いて話し合ったり

今後移動できそうな施設探しに奔走したり。

 

自分は自分で兄ほどの役割はないものの、

(兄が医療関係に詳しいので

 足を引っ張らないのが一番かと)

フリーランスで時間の自由が利きつつ

家族で唯一運転できることもあって、

週1くらいで母の通院や買い物、

父のお見舞いの付き添いなどで

実家に行っている状況。

 

…まあ、新聞の投書欄で目にする

仕事を辞めてまで24時間体制で

介護をしている人などを思えば

全然ラクな方ではあるとはいえ、

なかなか時間を食うのは事実。

娘のお迎えに戻るため、

慌てて首都高を飛ばすこともしばしば。

 

 

父はこれまで九死に一生どころか

五生くらい得てきた人なので、

今回も何度か病院から

「今夜が山です」「今週が峠です」

などと電話がかかってくるものの、

コントかよっていうレベルで

復活を遂げる。

 

嫁さんからは

「後悔のないようにお見舞い行ってくれば?」

と言われるものの、

どうにも足が向かず。

 

…というのも、昨年のちょうど今頃

家族で温泉旅行に行ったのですが、

やはりその半年前に父が脳梗塞で倒れ

そこから奇跡の復活を遂げたので、

「きっとこれで最後だろうなぁ」と

家族旅行を企画したわけです。

 

嫁さんと娘がいたことが大きくて

終始和やか、

「嫁と孫ってスゲえ!」

と体感したわけですが、その際も

「父と腹を割って話す

 人生最後のチャンスだろう」

と大浴場に向かったものの、

父は自分の姿を認めた瞬間に

そそくさと退散。

 

(その間母は嫁さんと娘と三世代で

 露天風呂を楽しんだそうで)

 

…とにかく他人に心を開かない

父ではありましたが、この時も

「この人はこうやって色々抱えたまま

 死んで行くんだろうなぁ」

という諦めのようなものが

生まれてしまい、自分としてはそこで

糸が切れた感もあるわけです。

 

なので、

「お見舞い行っても話すことねーし」

というのが本音というか。

 

せめて家庭の最後くらい

穏やかに終わろうよって言いたいけれど、

余計なお世話なんだろうし、

言ったところで伝わらないし。

 

果たして自分が同じ状況になった際、

何を思うのでしょうか……。

嫁さんには

「そんな状況になる前に殺してくれ」

と言っていますが。

 

 

……と長くなりましたが、

そんなこんなが終わりゆく我が家を

見ながら抱いている今の思いです。

正直長年変わってない部分も

多々あるわけですが、

とはいえ忘れちゃうことも多いので

ちょっと書き残してみようかと思いました。

 

似たような思いをしている人も、

ちょっとはいますよね。きっと。

 

この手のことはこれまで何度も

(父が危篤状態に陥るたびに)

下書きしては消してきたんですが、

いい加減形にするのは

今のタイミングなのかなぁと。

 

現時点でも我ながら酷いことを

書いていると思いますが、

両親がいなくなった後に出したら

もっと酷いというか、

そうなった時には出さないまま

忘れて行く思いなんじゃないかなと。

 

 

……でまあ話は最初の

義姉の誕生会に戻るわけですが、

帰り際、酔った勢いってわけでもなく

お義父さん、お義母さん、義姉に向かって

(先にだらだら書いたような事情を

 知ってもらっていることもあって)

「本当に『結婚してよかったな』って思います」

と思わず言ってしまいました。

 

わりと家庭環境の似た者どうしで

結婚したつもりでいますが、

やはり家庭によって文化も様々。

 

そうやって違う環境で育ったものどうしで

結婚して、また新たな家庭を作って行くことは

個人的にはとても面白いことだなと思います。

 

最後の最後で大揉めしている

我が家を鑑みての愚痴というか、

長年「家族でこんなことしたかったな」

という思いをたくさん抱えてきた

自分としては、

それが実践できている今を

かなり幸せに感じています。

 

嫁さんと娘が何を思うかを

100%知ることはできないですが、

自分が死ぬときに

「いい家だった」って思ってもらうのが

この先最低限のようでいて

最大のミッションなのかなと。