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今日は、すごく・・電卓をたたく日だ。

海外も含め、あちこちで「豪雨災害の支援」の寄付募集が出てる。

 

日本語は変になるね・・。

「災害支援」だと災害側の応援をしてるかのようだから・・、

「災害の事後、救済者支援の支援」と書いたほうが何か良い気はする。

 

それは置いておいて・・

今月はまだ給料は発生してないけど、通帳で去年のを参考に・・

来月分の暮らし方を計算してる。

出せる金額はほとんどねぇ・・。

10月の気温次第では、飲み物代の全体量を削れるかとか・・、

それ以外で浮く分はないな・・と、いろいろ計算してる。

 

寄付なんてのは、意思と任意だから別に無視しても構わないのだが・・、

最良条件を失った低賃金は身動きが取れないな・・。

1年前までのように分散寄付をパッと・・できないからねぇ。

副収入はない状態で、できてたことだけど・・。

副業も考えたが、今の仕事をやめてボランティアがしやすい仕事に就くか、

休みがとりやすい個人事業主になるか、そのほうが身動きが取れるかと思ったが、

最近の「国税」の話題とインボイスとか、余計に身動きが取れないなって、

そう思ってくるから、何しようとも物理的なボランティアができるスキがない。

 

それを突き詰めていくと・・

必然的にお金だけの寄付になってくるから「何か違う」感覚に陥って、

すごくモヤモヤと憤りを感じる。

少額のお金だけでいいのかって、そもそもお金でいいのか、野暮すぎないか、

お金だけの寄付は下品じゃないか・・いろいろ考えてしまう。

世の中の「善」や「偽善」よりも、お金だけのボランティアは正しいのかどうか・・

そこが一番引っかかってる。

神社仏閣への賽銭はいいのだけど・・向こうにいるのは「人」だから・・。

何か違うなぁ・・迷いがすごい。

 

日本は寄付文化が流行らないのは、他人の驕りもあるが、

そういうモヤモヤをハッキリさせれないことが、一番ネックなのだろうなぁ。

対人への寄付は、意味があるのかどうか。

投資・投機以外で、お金の流れがあるのは気持ちが悪いって思うのだろう。

 

しかし、シミュレーション、十人十色の考えでも、その答えが出てこない。

経済の概念に囚われてないからか、研鑽不足からか・・。

 

物理的なボランティアでも「ここは危険」「ここは重機を使う」など

災害後の対応の形を作りすぎて、行動制限があるようにも思えるから、

自由さがないのかも・・という恐れもある。

物理も、お金も・・どちらかで支援したくても、明らかに身動きが取れない。

 

それに経済重視の世の中になりすぎて鬱陶しい。

脅され、鎖で椅子につながれてる感覚だわ。