その昔、このオッサンには姉さんがおりました。

 

わりと美人で自慢の姉だったんだが、思いがけずに若くして胃癌、それもスキルス癌(注1)という発見時にはもう手遅れだったという不運な病気に罹ってしまい、実際のところも1年たたないうちに亡くなってしまいました。

 

医者の告げた余命を聞いたあとはせっせと身辺整理を進め、2月に亡くなったんだがもう家の中には春の服もなかった、という徹底ぶりでしたな。

 

でも、このオッサンが小学生の頃、姉さんの誕生日にと父親に2000円もらって、たしかイノブンで買った(と思う)女の子が子猫を抱いている、水森亜土ふうの絵の描いてあるナイトランプが、身辺整理の後も捨てずに残してあったのには、徐々に人の心を失いつつあったこのオッサンも思わず落涙しました。

 

 こんな抱き方の絵だった

 

亡くなってから幾星霜が過ぎ、何もかもが遠い昔のことになっていきます。

 

この姉さんがうんと若い頃、フォーリーブスのファンだったのでうちには「地球はひとつ(注2)」のレコードがあったり、姉の万年筆はプラチナ万年筆(注3)だったりしたんだが、この曲の作詩が去年話題になった北公次です。

 

 ラーメンのCMもしてた(注4)

 

この人は80年代から、若い頃に受けた拒否できない境遇下での性被害を告発していたのに、長い間ほぼ全メディアがダンマリでしたな。

 

事務所が大きく瓦解したような今になってようやく、もはや禊にもならない批判を始めたりしているわけで、その態度の浅ましいこと限りなしです。

 

このトレンドの延長線上にあるのか、「大物お笑い芸人への性上納」なる話題も喧伝されるようになっていますね。

 

 1ミリも笑えない・・・

 

これは70~80年代の校内暴力・イジメの人たちが、当時の教室そのままのノリで年齢を重ねた結果なのでしょうね。

 

「お笑い」といっても病院の待合とかで不特定多数を相手に電源ONされてるのを見る程度でしかないんだが、「芸」とはいっても誰かをイジり蔑む言動の巧みさとか、周囲の笑いをとって味方につけるスキルとかが目立つばかりで、我先にと機先を制しては若手の発言を遮る場面はよく目にしても、テンポの良いウィットに富んだ「話芸」とかは滅多に見かけませんな。

 

校内暴力全盛期に学生だった同時代人としては、特に大物といわれる「芸人」なる存在は見ているだけでも不愉快なので、このオッサンは未来永劫、意図的には「お笑い」は見ないと思いますね。

 

あの時代の狂った風潮は、同時代人としてけっして美化すべきではないと思いますよ

親分・子分的な、アホっぽい上下関係やってるのを目の当たりにしました。

 

 

 半分が鬼籍に入ってしまった

 

弟として育ったけど、もう姉さんよりも随分長く生きたことになってしまうわけなので、とりあえず前半に関してはまだ自分の記憶がハッキリしているうちに、いろいろと書き残しておこうと思ったわけです。

 

注1:比較的若年での女性の罹患が多い(らしい)

注2:たぶん「ブルドッグ」よりも流行った。歌の前に「だって地球はまあるいんだもん」という科白がある。

注3:たしか4人でテレビCMしてた

注4:ジョイカップ101という名称だった