元しっかりヒーラーのしっかり人間活動ブログ ~Dancing through life ! 人生を踊り明かそう!
  • 12Aug
    • マッチングアプリを一週間だけやってみた話・2

      「マッチングアプリに登録してみたけど、ストレスが半端なくて一週間でやめた話」の続きです。前回の記事はこちら↓マッチングアプリを一週間だけやってみた話・1ちなみに前回の記事は投稿後に少し加筆とか編集をしています。話の大筋は変わんないけど。------------------------------好奇心でマッチングアプリに登録してみたものの、マッチング希望の「いいね」がボコボコくる状態に軽く引いて、一向にマッチングする気になれない自分。相手の年齢層は20代前半の学生から50代(60代もいたかな)まで幅広く…。あまりにも年下だと「年上のおねいさんと遊びたい」が透けて見えるし、すでにたくさんの女性会員から「いいね」をもらっていて人気会員ってことになっている人だと「いいね数稼ぎたいだけかな」と思うし、40代後半〜50代だとまず既婚者であることを疑う。年収4桁とか書かれているとまず「嘘だな」と思うし(あまりにも多い)狙ったかのような綺麗すぎる写真(企業のサイトに載ってるような人の写真)もなんか怪しい。筋肉を強調する服装で自撮りしているのも気持ち悪いし(ナルシスト感がすごい)snowで加工されてると「えっ…」ってなる。こんな調子。でもさすがにこの状態はどうかと思って、まず自分で検索していいなと思った人(※まだ私に「いいね」を送ってきていない人)に「いいね」を送ってみるも、相手からの反応は返ってこない。それならばと、(まだ気が進まないままではあるものの)とりあえず自分に対して「いいね」を送ってきた人の中から「まあいいか」と思う人を選んでマッチングして、メッセージのやりとりをしてみる。幸いにもスルーされなかった(マッチングしたのに返事が返ってこないこともザラにある世界らしい)ので、メッセージのやりとりをしてみるもののコミュニケーションが苦痛。苦痛に感じるということは合わないということなので、キリのいいところでやりとり終了。ここまで読んでたらだいたい分かると思うんですが、私自身に「恋愛しよう!」とか「人と交流しよう!」みたいなやる気があんまりないんですよね。心に何か引っかかりがある。でもその時点では、自分でもあまりやる気がないのは分かってたし心に引っかかりがあるのも分かってたけど、それを無視して進めていました。スパルタ的に。何か心の奥からモヤモヤしたものが湧き出てくるのは感じながらも、もう一人「なんかピンときた」別の男性とマッチングしてみました。その人とはメッセージが弾んだような“気がして”、相手から食事の誘いがきた時にOKをしました。ただ、スケジュールは都合があって少し先になったんだけど。------------------------------食事の日程を決める時、引っかかるものがありました。お互いのプロフィールに土日休みである旨が記載してあるにも関わらず、相手が提案してくるものは平日夜ばかり。→既婚者かもしれない。共通の話題があるにも関わらず、相手からそのネタに触れてこない。→食事に誘った目的が透けて見える気がする。企業のサイトに載ってるような、一眼レフで撮ったような写真。でも(アップ時に圧縮されるとはいえ)その写真の画質が少し荒すぎる気がする。→本人の写真じゃないかもしれない。そこそこ良い写真でプロフィールも上手に書いてあるしメッセージのやりとりも上手なのに、女性から「いいね」を貰っている数が少なすぎる。「いいね」の数が少ないということは新規かもしれないけど、新規の割に写真・プロフィール・メッセージが上手すぎる。→辻褄が合わない。違和感がある。最初にやりとりをした人(苦痛に感じてやりとりを終了した人)は、メッセージのやりとりに「慣れてない普通の感じ」があって、逆に信用できたんですよ。合わなかったけど。確かにメッセージは送りやすい。でも何かおかしい(理屈が合わない)気がする。そしてこの「会う約束をした」直後、彼と同年代の男性からのアクセスと「いいね」が急に増えた気がしました。それを見た瞬間に「あ、こいつらどっかで繋がってるぞ。」と思った。つづく。

  • 11Aug
    • マッチングアプリを一週間だけやってみた話・1

      前回の記事でちょっと書いた、「マッチングアプリに登録してみたけど、ストレスが半端なくて一週間でやめた話」こう書くと「直接何か嫌なことをされたのか」みたいに想像するのかもしれないですが、誰とも会ってないし、実害があったわけでもないのです。ただ、一週間とんでもないストレスだったのは確かで。そしてこのアプリをやっている期間、あまり見たくないものもネット上で発見してしまったりもして。------------------------------みちよさんのセッションで「マッチングアプリ」の話が出てきて、直後から色々と下調べをしたんですよ。同僚の男の子が超有名マッチングアプリ(書かなくてもだいたい想像つくくらい会員数最多の超有名なやつ)で出会った人と結婚してて、さらにその彼曰く「同じ会社の人もけっこうアプリ上で見かけた」と言っていたので、マッチングアプリ自体にそこまで抵抗感はなかったんです。下調べしたのは、仕組みとか年齢層とかプロフィールの書き方とか注意すべきこととかを念頭に置いて、どこのアプリを使うか吟味しようと思ったから。そしてなんとなく退屈だったある週末。「どんなもんかな?」という好奇心でアプリをインストールしてみたのです。事前に「すごく加工しているわけではないけど写りがいい写真」は何枚か用意してあったのでそれを載せて、プロフィールも9割は埋めて様子を見ていたら、すぐにアクセスがボコボコ増えていきました。最初の数日間はすごくフィーチャーされて、アプリのTOPに載ったり検索に引っかかりやすくなる仕組みらしいんですよね。年齢的には高めなので20代の子達よりは反応が劣ると思うんだけれど、それでも写真がそこそこいいと脊髄反射みたいにアクセスしてくる。分かってたけど。私自身がWEB系の仕事をやったりしているので、その様子を見ながら「へぇ〜」とか「ほほ〜」とか思ってました。最初は。「マッチングアプリ」なんでマッチングしなきゃ何も始まらないんですけど、数時間放置しただけで次々と「いいね」がきて軽く引いたのです。(※お互いに「いいね」を送り合うとマッチングが成立してメッセージのやりとりができるようになる)現象としては面白いんですよ。でも、一向に送り返す気にならない。ただ、あまり加工していない写真(明るさの調整とか撮った時にできてたニキビを消したりはしたけど、snowとかbeauty plusみたいなあからさまな加工はしなかった)を載せたので、「ああ私の容姿ってそんなに悪くないんだな」みたいな確認にはなった。これは嫌味ではなくて。私は子どもの頃に散々同級生の女子たちから容姿をボロクソに言われた上に母親からも顔について良く言われていなかったし、父親からも容姿に関するデリカシーのない発言(「昔は可愛かったのに」とか)をされたりしていたので、「醜形恐怖」に近いものを持っていた時期があったんですよ。30代近くになってようやく「別に容姿は悪くない」ということを自分で認められるようになったけど、今でも時々懐疑的になるし受け入れられない時があるから、確認としてそういう〈外からの評価〉が必要になる時がある。ほんとはそんなもの必要ないはずだし、そんな評価がなくても自分で自分をOKにして生きられれば理想的なんですけどね。登録の結果、最初の数日間で80人からマッチング希望の「いいね」がきて、やめるまでの間にそれが100人になりました。プロフィールへのアクセスは述べ1200人。面白かったけど、それが嬉しかったかというと全然嬉しくなかった。むしろすごく気持ち悪かったのです。つづく。

  • 04Aug
    • リトルまゆまゆと復活のジジイ・4(終)

      やだ!ちょっとお久しぶり!!ハロー!!!梅雨が終わったと思ったらいきなりの酷暑ですが生きてます。「どんだけこの話題引っ張ってんだよwww」ってくらい書き途中のまま放置しててすいません。いやなんかもう、毎日毎日アップデートかかってる感じで、自分の中にあるテーマがコロコロ変わる。〈昨日の私〉と〈今日の私〉はいつもちょっとずつ違います。書き出すとむしろ脱線してえらいことになる&めっちゃ書くの疲れそうで、仕事や生活を優先してたらこんな感じになりました。「すいません」とは書いたものの、このブログは私のブログで仕事とか全然関係ないから義務も責任も発生しないわけで、「別に自分のペースで書きたいことを書いたらいいじゃん」と思わなくもない。とはいえ、中途半端なまま放置しておくと常に意識をそっちに持ってかれてる感じがするのでさすがにもう終わらせようと思いまして、今日は久しぶりにPCから書いております。もはやこれは仕事モード。というわけで、「3月にみちよ師匠に会いに行った話」の続きです。もう先延ばしたところであんまりメリットないから簡潔にいきたい。このあともなんか色々あったからそっちのことも書きたい。↓シリーズをアタマから読みたい方はこちらリトルまゆまゆと復活のジジイ・1(※アジェンダぽいもの)リトルまゆまゆと復活のジジイ・2(※本編はここから)リトルまゆまゆと復活のジジイ・3(ところでアメーバさん、なんでアプリで文字サイズ指定すると「font size="2"」とかなのにPCからだと「em」の指定になるの???そこらへん互換性もたせてほしい。微妙にサイズがバラバラになるの気持ち悪い)---------------------------2月に謎の動悸と不安感に襲われたのは、「自分の中にいる〈ジジイではない私=女子としての私=リトルまゆまゆ〉の訴え」というのがわかって、その日以来ドキドキ不安になった時はパッと切り替えて「まゆちゃんどうしましたか?」と自分自身に聞いてみるようにしたら、かなりよくなりました。「ほしいものが手に入るように、自分の力でほしいものを手に入れてやるぜ!もう私にはほしいものを自分で手に入れる力があるぜ!」みたいなノリで、これまで繰り返されてきた負のパターンをひっくり返そうとしてたけど、本当に向き合わなければならないのは「本当はこれが欲しかったのに」っていう、置き去りにされた感情の方だった。「だから、爆買いするのもいいけど、そのときの“まゆちゃん”の気持ちに寄り添ってあげてほしいんです」この「自分が本当にほしいものは手に入らないんじゃないか」っていう〈恐れ〉は、このときの自分が思ってた以上に根深い意識だということを、数ヶ月経った今になって噛み締めているんですが、それはまた別の話かな。------------------------------みちよさんのセッションでは脈絡がなくても「聞きたいことは全部出す」ので、このとき温泉水氏について自分が思っていることも話しました。というのは、このセッションの前に「彼は私も含めて、誰に対しても興味がない」と思うことがあったからです。以前のセッション(1年前)で「彼に近づいて行くには時間をかける必要がある。この人、仕事ではハートを開けるんだけど、プライベートではなかなか開けない。彼は、自分の内側に持っている〈自分のとても繊細な部分〉には触れられたくないので、鉄の壁を作って守ってる。ジリジリと少しずつ少しずつ、ほふく前進するみたいに近付いていく必要がある。」と言われていて、このとき長期戦覚悟で3年くらい見積もったんですよ。ほら私、根がジジイなので時間の感覚もわりとゆったりで。(書き出してみて思ったけど、この「年単位で見積もりを出す」とかめっちゃ男性性を感じる…)だけどセッションの前くらいにふと「あれ?わたし今が一番若いのにもったいなくない!?」と思ったんですよ。「本当は私、〈恋愛〉というアトラクションを人生の中で体験するのも楽しみにして生まれてきたはずなのに」「この人を待っていたら、私おばあちゃんになっちゃうかも」「他人の心を変えることはできないし、相手に『変われ〜〜』っていうのは執着とか呪いみたいになってしまう」と。みちよさんにその話をしたら「彼が3年でハートを開けるかどうかは、正直ちょっとわからない。まゆさんのことが気になってても、この人は自分が確実にいけると思ったもの(間違いない・成功する・安全であるみたいな感じのもの)にしか手を出さない。スピリチュアルなレベルでは合っていても、今は人間レベルで合っていない。人間レベルで合っていないとうまくいかない。“待つ”っていうのは、やっぱり聞き分けのいい〈じいやの意識〉なの。「そっかーハートが開けないんだねーじゃあ待っててあげるよー」っていう。だけど〈まゆちゃん〉はトキメキを求めている。動悸はその表現でもある。だから、まゆさん遊んだらいいと思う。それで女子として受け取る体験をしていったらいいと思う。仕事では男モードでもいいから、プライベートでは『ゴロニャン』ってできてバランスがとれていったら、男性性と女性性のハイブリッドになるから」当初からそうだったけど、このセッションを受けた時点でもやっぱり私は「この人と付き合いたいか?といわれると分からない。やぶさかではないけど」という状態だったんですよ。だけど「この人の中にあるものを見てみたい」「本当のこの人を見てみたい」っていう興味はずっとあって、やっぱり気になっちゃってしょうがないんですよね。でもみちよさん曰く「まゆさんが彼の中に見たいと思ってるものは、それは〈自分の姿〉よ」と言われて「なるほど確かになあ」とも思った。「この人はたぶん〈濃いめのソウルメイト〉で、だけど同じ魂が2つになったというよりは〈同じ木にできた“みかん”同士〉だと思う」っていう話(このとき書いたやつ)をみちよさんにしたら「いい例え方するねえ…」って言われたので、やっぱりすごく魂的(スピリチュアル的)に「近い」のよね。だけど〈人間〉としての足並みが揃ってない。「今はほら、マッチングアプリとかあるでしょ?ああいうのでいろんな男の人に会ってみたらいいよ。社会科見学みたいな感じで。今すぐじゃなくてもいいから。まゆさん、モテたらいいと思う。今が一番かわいいんだから」このとき「私、自他共に認める恋愛オンチなんですけど…」って言ったら「“自”は認めてても“他”は認めてないよwwwww」って笑われてしまうという。「でも(ディズニーにいるときのような)素の自分が表に出てきたら、たぶんモテる気がしてる」って言ったら「いつもディズニーで遊んでる時みたいにしてたらいいよ。今は無償でキャストやってる(私は良いからみんな遊んで状態)みたいになっちゃってるから。共感力の高さを自分のために使ってください」という感じで終了しました。------------------------------この話には続きがあって実はマッチングアプリやってみたんですよ。某有名なところの。オチだけ先に言うとストレスになって一週間でやめました。しんどかった〜〜〜〜〜〜〜。ストレスで泣いたくらいしんどかった。たくさん「いいね」してもらったんだけど(※お互いに「いいね」を送り合うとマッチングが成立してメッセージのやりとりができるようになる)途中で気持ち悪くなって無理だった〜〜〜〜〜〜。職場に同じマッチングアプリで結婚した同僚(男性)がいたから大丈夫かな〜と思ったんだけど、けっきょく誰とも会わないで終了しましたね。なんか「エサを催促する鯉が大量にビチビチしている池の淵に立ってるときの人間の気分」だった。この話はいずれ。

  • 30Jun
    • 永遠に続く魂②

      死んでしまった彼がまだ生きていたころ、当時の周りの人達は「アイツは腹黒いから気をつけろ」と私に言った。でも、当時の私の感想としては、彼が悪い人のような気はしていなかった。「頭のキレる人だ」とは思った。頭の回転が速い人。機転が利く人。コミュニケーション能力が高く、社交的。ただ、頭がいい人だから「言いくるめられる感じ」はした。掴みどころのない、飄々とした人。本当は何を考えているのか分からない人。本心が見えてこないから、漠然と「怖い」とは思っていた。でも「怖い=悪い人」かというと、そうではなかった。その人のおなかの中に、底知れぬ闇のような〈何か黒いもの〉があるのは感じていた。生き残ったほうの彼とは違って、内側に丸くブラックホールのようなものを持っていた。その〈闇のような黒いもの〉は怖いと思った。---------------------------真相のようなものに辿り着いて、今の私なら何となく分かるのだけど。この人は社交的でコミュニケーション能力も高いけど「他人に自分の本心は絶対に明かさない人」でだけどその鉄壁の下に、とても柔らかな感覚を持っていた人で「自分を後回しにして他人に寄り添える人」だったのだと思った。とても繊細な人だったんだと思う。彼がいなくなって十数年経った今になって、彼の中に自分と似たものを見いだした。彼もまた自己犠牲の人で、どこか自分を粗末にしている。少しニュアンスは違うけど「自分なんてどうでもいい」って思ってたこと自体に違いはない。彼が誰かに寄り添っていたことは、愛だったとは思う。でも100%ではなかった。人間だから彼自身も本当の意味で愛されたかったし、自分の存在理由を、価値を、証明したかったのだと思った。とても孤独な人だったんだと思った。彼は母親から大切にされていただろうし、彼自身も母親を大切にしていたかもしれないけど、〈自分の本当の姿〉を母親や家族に認めてもらえていたかというと、そうではなかったんじゃないかと思う。彼の「掴みどころがなくて飄々とした雰囲気」は、自分を隠していたからじゃないのか。彼の味方は誰もいなかったんじゃないかと思う。自分の外側にも、内側にも。彼の心が絶望に近い場所にいた長い期間、表向きはずっと飄々としていたけれど問題発言ともとれる彼の言葉の端々に、藁にもすがるような想いが本当はあって〈自分がここに生き残る理由〉を、たぶんずっと探し求めていてでもそれは周りの人達には伝わらなくて僅かな〈生き残る理由〉が次々に打ち砕かれていったんだと思った。どんな気持ちで、自分が抱えているものを分かってもらえない日々を過ごしてどんな気持ちで、自分が死んでいくのを待っていたんだろう。私と死んでしまったその人との関わりは薄かった。「もっと話をしてみたかった」と、初めて思った。他人の意見ではなく、自分の目で「その人がどんな人なのか」をちゃんと見てみたかった。---------------------------死んでしまった彼と私は似ている。死ななかった彼と私も似ている。死んでしまった彼と温泉水氏は似ている。死ななかった彼と温泉水氏も似ている。温泉水氏と私は似ている。私と宇宙男子は似ている。私と宇宙男子と温泉水氏は、内側に持っているものが似ている。死んでしまった彼と、死ななかった彼と、温泉水氏と、宇宙男子と、私は、みんな何となく似ていて血管とか、道路とか、ネットワークの図とか、そんなようなものみたいに何かが、どこか、少しずつ繋がっている。そうやって色んな人とみんな何となく繋がっている。死んでしまった彼はもういない。だから話したくても〈この世のその人〉として物理的には話せない。だけど、魂は永遠に真っ直ぐ続いているような気がしていて肉体がある期間はその一部に過ぎないのだと、なぜか思った。このことは多くのスピリチュアル本に書かれていることだけど「ああ、そうなんだな」と、映像のようなもので視せられた。「視る」とか「感じる」とかいう感覚の向こう側のような感覚でそう思った。---------------------------「助けたかった」っていうのとは少し違うのかな。ただひたすら「この人と話をしてみたい」と思った。それが叶わないことが惜しいと思った。お元気ですか。

    • 永遠に続く魂①

      昔、好きだった人が死にかけていたことがある。今でこそ、こういうブログを書くくらい「なんか見えないものが視える・わかる」という自覚があるけれど、当時は自分にそんな感覚があるなんて知らなくて「オーラってどんなふうに見えるのかな〜」なんて言って憧れていたくらいだった。ある時、好きな人を目で追いかけていたら、その人の周りに〈なにか黒いもの〉が視えた。確か、モヤモヤモヤ…としたススのような何かだった。なんだか分からないけど〈良くないもの〉というのはわかった。「この人、下手したら死ぬかもしれない!」と思った。ほどなくしてその人は休職した。黒いものが視えたからって「何かに取り憑かれていた」とかそういうことではなくて、その人は鬱病を患っていたのだった。彼がいない間、同僚達が彼のことを揶揄していた。ショックだった。だって「下手したら自らの手で死ぬかもしれない」のに。それで本当に死んでしまったあとで、人が後悔したり反省の弁を泣きながら述べたりするのを私は知っている。そうなってからだと遅いということも知っているし、舌の根も乾かぬうちに人が同じ過ちを繰り返すのも知っている。小学生のとき、同級生にずっと虐められていた男の子が病気で急死したから。私は、どうしてもその人を死なせたくないと思った。だから「自分の恋愛が成就する」とかそういうのは一旦置いておいて、その人が死なないように、恥とか捨てて全力を出すことにした。「勘違いして恥ずかしい」は自分の問題だけど「好きな人の死」は取り返しがつかない。そうやって孤軍奮闘していた。そしてその人は死ななかった。私の感覚が間違いではなかったことを、つまり「駅のホームで良くない事を考えてしまっていた」ということを、あとでその人自身から聞いた。これは全力の自己犠牲で、そして私は人魚姫になってしまったのでその後5年以上、苦しんだ。愛だったとは思う。でも100%ではなかった。私はやっぱり人間だから、自分が与えた分だけ貰いたかった。泡になって消えたくはなかった。---------------------------好きな人を死なせずに済んでしばらく経った頃、同僚が突然死んだ。「無断欠勤が数日続いて連絡もつかないので、住んでいた部屋に行ってみたら亡くなっていた」と偉い人が言っていた。表向きは「病死」ということだった。私はとても素直なので、その理由で受け止めた。その人の家族が「そういうことにしておいて欲しい」のなら、「そういうことにしておいてあげる」のが良いと思った。プロセスがどうであれ、何らかの理由で彼の心臓が止まって数日経ったのは確かなのだから。その人がまだ元気だったころ、貰ったものがあった。それは淡いパステルカラーをしていて、「似合うから」という理由でずっと私のデスクに飾られていた。彼がそれをくれたことに、特別な理由はなかったと思う。私も別に何も意識してなかった。「結果的に〈遺品〉になってしまっている」ということにも気づいていなかったくらい。だけどふと、「意識していない割に妙に大事に持ち続けている」という事実に気がついて、何気なくその人について検索をかけた。「生前のSNSとか引っかかるのかな?」みたいなことを思った。本当にその程度の軽い気持ちだったのにその人がいなくなって十数年経った今になって、当時の真相のようなものにたどり着いた。どうして今になってそれを見ることになったんだろう?どうして今までコレにたどり着かなかったんだろう?本当に不思議なんだけど、たぶん「タイミング」なんだと思った。それを知るのに適したタイミングが今だったんだろう。

  • 25May
    • 急に咳が治まってきた話

      前回の記事で「ずっと咳が続いてる」って書いて、「ああ、私は心の底では〈病気〉にメリットを感じているんだなあ」って自覚してたんですけどその「咳止めもイマイチ効かないしつこい咳」が、ある出来事のあとビックリするくらい急速にラクになってきたんですよ。一応まだ咳は残ってるので診察してもらいに行ったけど、「もう治りかけだから」って冷たくあしらわれるほど。(最初は印象よかったけど失礼な医者だなオイ)真っ赤だった喉もほとんど赤みが引いているそうで。何をしたかというと「職場で溜まった不満や本音を、上司に正直に話した(ゲロった)」んです。前々回の記事で、閉じ込められた「言いたいこと」は咳として出ているし、閉じ込められた「怒り」は熱として出ている。って書きましたけど自分の上位者にコレを話して受け入れられる(認められる)ことによって、ちょっと癒やされたんですよ。たぶん。人生最初の「自分よりも上位のもの」って〈親〉だと思うんですが、その〈親〉に頑張ってもなかなか承認してもらえなかった体験を積み重ねている私は、ここへきて初めて〈上位者から認められている〉という体験を重ねていてちょっと上司たち(複数いる)が親の代わりを果たしてくれている感じがしています。もちろん本人たちに「親代わりをしよう」なんて意識は全く無いはずですが、なんか自然にそういう役割になってるんですよね。体調不良だから自分を取り繕う余裕もなく、「負担だよー」「つかれたよー」「具合悪いよー」っていうのがそのまんま表に出てきて発言がネガティブなんだけど「つぶれちゃうほど頑張らなくていいよー」って返ってくる。子どもの頃に親に同じことを言ったら、「甘えるんじゃない」「できるだけ頑張れ」「なんでも努力しろ」って返ってきてた。それが身に染みついてるから自分に鞭打って頑張っちゃうし、どうせ自分の「つらい」を認めてもらえないから、つい平気な顔をして「全然問題ない」「大丈夫」なフリをしてしまうんだけど〈新しい価値観〉で、〈鞭打つ思い癖〉を解除してくれる。数年前にも書いたけど、いまだかつてないほど「自分が認められている」と実感できているので、これは私の人生ではかなり凄いことが起きている。そうはいっても30年以上持たされ続けた価値観(思い癖・頑張り癖)ってそんなすぐに解除されないので、「これは練習が必要なんだな」と思った。進んだり戻ったりしながら、最終的にイイ感じのところで着地したらいい。ところで私は上司から見ても「かなり正直に話す人」らしいですよ。いやだって、本質的にはハートがフルオープンですもの。それだと傷つくから閉じてるだけで。本来の自分は相当なオープンハート人間なので、いくら自己防衛でハートを閉じてても節々にそれが出てくるんだろうなと思った。その人の本質って、わかる人にはちゃんとわかるようになってるんだよなあ。それはスピリチュアルの人とかではなくてもね。しっかり人間@ukkari_healer思うんだけど、魂ジジイだからって自分の身体使って病気の実験するのやめてほしいぞ自分。 https://t.co/gBNRFwWaTF2019年05月25日 13:35

  • 24May
    • 病気にメリットを感じているかもしれない話

      咳が出始めて2週間経過。一時的に薬が効いてラクになったものの、またしてもぶり返してきました。これ、風邪じゃないわ。仕事はしてるんだけど、なんか関わってる人に対してすごいイライラします。「どうして自分で決めないの?」「どうして自分でやろうとしないの?」「どうして自分で考えないの?」「どうして自分で責任を持とうとしないの?」みたいな。私もメンタル弱ってたときは〈決められない女〉で、自分の感覚とか全く信用してなくて人に判断を委ねてたけどでもそういうのとはまた別でなんか都合のいい人扱いされてる感じがする。「この人がやってくれるからいいや〜」「この人は私より優秀だし、答えを知ってるだろう。考えてくれるだろう。」みたいな。いま体調がこんななので余計に「いや、そのくらい自分でやれや」「私こんなボロボロなのに、なんでこの人責任放棄して私にぶら下がってくるの?」「さんざん仕事の邪魔してきて後始末は私に丸投げして先に帰るんかい」ってなことになっていてなんか、心の底では元気になること(治ること)にメリットを感じてないんですよ。むしろ「ここで私が仕事できない状況になったら、この人たちにお灸をすえられるかもしれないな。しめしめ。」くらいのことを思ってるんですよ。それはつまり、「病気になることが私にとってメリットになってる」ということ。私は子どものころ体が弱くて、よく熱出したり吐いたりお腹下したり気管支喘息になったりしてたんだけど喘息の発作はマジで苦しくて地球の空気が半分になったみたいで寝れないし時にチアノーゼ出しちゃったこともあるし本当に死ぬかと思うくらい辛くて二度と体験したくないことなんだけど病気になると少しだけラッキーだったんだよね。学校行っていじめられるのを回避できるし。家族は優しくしてくれるし。熱が下がったり発作が治まってきたらテレビ見れるし。一人でお人形遊びもできるし、一日中絵も描いていられるし。「この世の終わりか」「死ぬかと思った」っていうくらいの苦しさと引き換えに、〈病気〉を使って〈自分にとってのメリット〉を子どもの頃から享受してたんだよなと。「体が弱いのに頑張ってる」とか「喘息持ちだしビリだけど持久走大会がんばる」とか(※持久走は母親が休ませてくれなかった)そういう“健気さ”って大人は好きだし、「○○だけど頑張ってる」って評価される時代だったでしょう。人の優しさや、愛や、承認がほしくて、〈健気にがんばる私〉でいるんだよね。今でも。仕事で都合のいい人扱いをされた日に、帰りながら明確に「つらい」って思ったんですよ。それが本音で、本当は〈病気〉なんて不幸せな手段を用いないでこの状況から自分を救い出さなきゃいけない。だけど今のところ、「ワタシ体調崩してるのに頑張ってる」「でもコイツは仕事しないんです」「ワタシ可哀想でしょ?」っていうアピールに本気で魅力を感じちゃってるんだよね。被害者でいることにメリットがある。そのくらい頑張っちゃってて、責任を背負い込んじゃってて、やりすぎちゃってて疲れてるんだなあと思った。そんなふうに思ったからといってその気持ちから特に脱却はしてなくて、「処方薬が切れてまた医者行って検査とかしてもらってそこそこの病名がついていい塩梅の期間仕事休むことになって仕事しないあの人が大慌てで頑張らざるを得ない状況に追い込まれたほうが面白そうだなあ」くらいのことは思ってます。正直なところ。

  • 21May
    • 「本当の私になりたいの」

      10日ほど前から体調を崩してしまいまして「よくなってきたー!と思うとぶり返す」というのを2日おきくらいの間隔で繰り返しています。一度38℃台の熱を出して、そのあと処方薬で一旦平熱に戻ったと思ったらまた上がって、そのまま数日微熱が続いています(現在進行形)下がっても36.8℃とかなんだな。メイン症状は咳と熱です。始まりも咳だし、ぶり返したのも咳。それ以外にも、ありとあらゆる風邪の諸症状をフルコースで堪能しました。下痢と頭痛が特に嫌だったな。今「みちよ師匠に会いに行った話」が書き途中になってるんですけど(※風邪ひいたから止まってる)「このとき言われたことがそのまんま体の症状として出ている」っていうのはすぐに分かった。閉じ込められた「言いたいこと」は咳として出ているし、閉じ込められた「怒り」は熱として出ている。「咳が猛烈に出てしまう時」と「不思議と咳が全然出てこない時」があるんだけど恐らく〈咳が出てこない時〉は〈本来の自分の姿に近い時〉だと思った。おっとり、のんびり、ぽけーっとしていて、少し抜けていて、子どものような反応をし、感情表現が豊かな私。だけどそれだと周りをイラつかせるから、適応すべく必死で「社会性」をカスタマイズしてきたのだ。職場で猛烈に咳をしているとき、自分の内側から声がした。「本当の私になりたいの!!」そうだよなぁ…と思いながら振り返ってみると、咳が出る場面の“私”は、大抵「しっかり者」の皮をかぶってる。「大人でいる時」がつらいのよね。私の本質にはやっぱり「子ども」がいる。---------------------------↓師匠のブログに、体の症状と感情との繋がりについて一例が載ってるんだけど、自分で考えたあとで読んでみたら「やっぱりそういうことよねぇ」ってなった。あと、自分が生物として弱ってるときに温泉水氏と会議で同席したりすると、なんか異様に気持ちいいということが判明した。(温泉なだけに…)何気ない声が気持ちよくてリラックスできて「あ〜〜ちょっと今のなに〜〜〜すごい気持ちいいんですけど〜〜〜」ってなってビックリした。よく「猫に好かれる人の特徴」で〈声〉のことが書いてあったりするけど、まさにアレだと思った。猫の気持ち理解したわ。というわけで止まってます。ごめん。なんならこの記事も雑でごめん。

  • 07May
    • リトルまゆまゆと復活のジジイ・3

      超!間が空きましたし連休も終わったんですが、「3月にみちよ師匠に会いに行った話」の続きです。【令和】になってから初投稿ですな。(ところで全然関係ないけどネットで上皇陛下のことを「平成天皇」、現在の天皇陛下のことを「令和天皇」と表記しているのをチラホラ見かけるんですが、「元号+天皇」は崩御後の呼び方なので今それを使ってしまうのはとても失礼なんだそうですよ。うっかり書いてしまう気持ちはわかりますけれども。Twitterで指摘している方がいてひとつ賢くなりました。⇒ここにまとめられてる)↓シリーズをアタマから読みたい方はこちらリトルまゆまゆと復活のジジイ・1リトルまゆまゆと復活のジジイ・2(※本編ここから)今まで特に説明してこなかったけど、カッコ付きの紫色文字のところはみちよ師匠の言葉です。(だいたいいつもこのルールで書いてる)---------------------------「なんかね、〈じいや〉が戻ってきてるのよ。あらお久しぶり〜(手をフリフリ)って感じで」「それでね、まゆさんの中の〈まゆちゃん〉が隅っこのほうでしょんぼりしてるの。」「胸がドキドキするのはね、その隅っこにいる〈まゆちゃん〉の訴えなの。“動悸”って“ハート”でしょ?」ジジイ、お前かーーー!!!前回も書いたとおり、私自身は「自分がジジイの感覚に戻ってる」という自覚がありませんでした。でもみちよさんが視てみると、「欲しいものが手に入らない問題」も元はここから始まっているようです。魂が老人の私は〈物わかりが良すぎる子ども〉で、何らかの事情(おもちゃが売り切れてたとか)で自分が本当に欲しいものとは違うものを与えられたときに、普通だったらそこで「ほんとは○○がほしかったのにーーー!!」ってギャン泣きするところを「そっか。じゃあしょうがないか。」って、〈自分を納得させてしまう癖〉があるんだそうです。それはもう子どものときから。このことを象徴するようなエピソードがいくつかあるんだけど、その一つが「クリスマスプレゼントの話」で。私は小さい頃サンタさんからお手紙をもらったことがあって、要約すると↓こんなようなことが書かれていたんです。「まゆちゃんが欲しがっていたおもちゃは、まゆちゃんよりももっと可哀想な境遇の子が欲しがっていたので、まゆちゃんには代わりにコレをプレゼントします。まゆちゃんは優しくていい子だからわかってくれるよね?(サンタクロースより)」これが代替品のプレゼントと共に枕元に置かれていて、そのときの私は子どもながらに「そっかあ…じゃあしょうがないかあ…」って納得してしまったんですね。そのおもちゃは本当に欲しかったおもちゃの類似品だったんだけど仕様は全然違ってて、今思い出してみると「コレジャナイ感」をずっと抱えつつ、大人の前ではさも喜んでいるかのように振る舞っていたんです。本当は枕元のプレゼントを見たときすごくガッカリしたのに。たぶん、人気商品で売り切れてたんだと思うんです。もしくは、商品の金額が想定よりも高かったか。なんだか大人たちのために本音をゴクンと飲み込んでしまったんですよ。だって、サンタさんは私のことを「優しい良い子」だと見てくれていたし。でもよく考えるとそれって、子どもであるはずの私の〈優しさ〉に、“サンタさん”が甘えたってことですよね。もう少し大きくなったときにまた似たようなことが起きて、その時も「本当に欲しかったものの代替品」を与えられて、それはそれで素敵ではあったんだけど今度は“サンタさん”ではなく「祖父母」と「母親」のために、「両方の顔を立てるため」に行動したら、もっとガッカリするような不本意な結果を自ら招いてしまって、心が暗くしおれてしまった。なぜかいつも大人たちがガッカリしないように、望ましい姿でいるようにしてしまう。そうやって「大人たちの事情」を子どもであるはずの自分が汲んであげて、「みんな事情があるし、しょうがないか」って、〈自分の本当の感情〉を脇に追いやって引っ込めてきた結果欲しいものが手に入らないし、脇に追いやられてしまった〈まゆちゃんの訴え(=感情)〉が〈動悸〉という形で表に出てきている。ということなんだそう。「だから、胸がドキドキして不安になった時ほど〈まゆちゃん〉と向き合ってあげてほしいんです。」「このまま〈まゆちゃんの感情〉を無視し続けてしまうと、パニック障害になりかねない」自分でも薄々「これ、酷くなったらパニック障害になってしまうよな」と思ってたので、自分がそのことを口にしてないのにみちよさんの口からその話が出て「あ、やっぱりそうか」と思ったのでした。つづく

  • 30Apr
    • 平成最後の「更新止まっててごめん」更新

      待っててくれてる人がいるのかどうかは不明ですが「つづく」って書いておいて何週間も止まったままゴールデンウィーク突入しちゃってごめんなさい前回の記事を載せた直後に外部の打ち合わせ予定が入ってその準備(リサーチやら作戦会議やら資料作成やらなんやらかんやら)して打ち合わせして企画動いてルーチンワークでゴールデンウィーク進行して…ってやってたらブログ書いてる余裕なかった。ほぼ同じ期間胃の調子が悪くて「きもちわるい…」とか言ってたし。(ちょっと驚いたり緊張するとキリッと胃が痛む)そして連休に突入したらしたで、ごみ収集が通常どおりに運行すると分かるやいなや荒廃した部屋の大掃除を始め、忙しくてやりたくてもできなかったこと(美容室行くとか採寸して家具の下見に行くとか仕事帰りには開いてない店に行くとか)を消化してたらうっかり平成最後の日ですよ。(ごみ収集の人達もそうだし、お店もそうだし、連休関係なく働いてくれている人たちがいてありがたさの極み。)で、その平成最後の日に何してたかって体調不良で湯たんぽ抱えてずっと寝てるという残念っぷり。まあ、よく買い物に行く新宿は今日とてもカオスだったようなので寝込んでて逆に良かったのかもしれません…。とりあえずブログの文章書ける程度まで回復したんで、【令和】になる前に簡単な更新だけしようと。(そうじゃないと連載?に余談が増えるから)私にとっては【平成】って序盤から10年くらいしんどい体験をして、その後の10年は最初の10年の影響を強く受けたままコツコツコツコツ“一人で”社会性を身につけるべく奮闘した「ひとりリハビリ期」。次の5年が「スピリチュアル期」で、直近の5年が「回復期(前期)」って感じです。確かに国内で物理的な本当の戦争は起こらなかった。でもイジメられていた期間が長かった(小中合わせて9年)ので、私個人としては精神的には戦争と同じくらい生き残るために必死だったし奮闘していたと思う。そのあと人間不信のままだったけど、やっぱり生きるためにどうにか社会性は身につけようと十数年ほど孤軍奮闘して(根が人間不信でプライド高いから一人で頑張るしかなかった)ここ最近の5年くらいでようやく何かを取り戻しつつある。(まだ不安定)三十代の私はそれまでの人生の大半が【平成】だったわけだけど、「平成」の音と字面の割には辛いことが多かった。人生をトータルでみたら喜びも悲しみも同じくらいでプラマイゼロになるのかもしれないけど、今のところまだマイナスのほうが多く残ってる感があるんですよ。頑張って生き残ってるけど取り返してない感じ。(それを「とりっぱぐれ」と呼ぶんだけど)精神的な色んなもの(躾・習慣・世間体・常識・固定観念・トラウマ・義務 みたいな言葉で言い表されるもの)にがんじがらめにされて、それまでに積み重ねられてきた〈そういうもの〉から完全に自由になるところまではいかなかった。次の【令和】では、私の中にあるそれらがいい意味で全部ひっくり返って解き放たれていったら良いと思ってる。もっと自由に、もっと遊ぶように。人生を自分のもとへ取り戻したい。「ひょっとしたら【令和】は【平成】よりも私にとっては生きやすいかもしれないな」なんていう予感?もちょっとある。世間的にもお祝い・お祭りムードで、こういう改元は明るくてとても良いなと思ってます。新しい時代が、自由に向かって羽ばたく翼のようでありますように。平成31年4月30日

  • 08Apr
    • リトルまゆまゆと復活のジジイ・2

      予告しといて書くの遅くなりました。_(┐「ε:)_4月に入ったのに思ってたより忙しかった…。忙しいというより、休むほどでもない微妙な体調不良(貧血とか頭痛とか肩こりとか色々)で仕事の効率が下がって首が絞まるパターンにはまっておりました。貧血でぼーっとしてたら指をヤケドしてしまったり…4月頭なので報告書とか請求書とか3月末までの各種数字をまとめたりとか、組織だ人事だGW進行だなんやかんやあるので、フラフラしながらもがんばって集中してどうにか生還しましたよ。余談ですが肩こりがひどくて頭痛に移行してたとき、コレ↓をレンチンして巻いて寝たら翌朝かなりスッキリ回復してました。目もと用も買おうかな。夢みるここちのピップほっとリフレ 首・肩用1,154円Amazon---------------------------そんなわけで予告だけしといてお待たせしていた「3月にみちよ師匠に会いに行った話」。セッションの予約をしたのは動悸とか息切れが出る前の「木の芽時だからか、なんか胸がザワザワして変だな」と思っていた時期です。(この記事のあたり)何故か無性に「みちよ師匠に会いたいなー」と思ってて、でも「何か特別聞きたいようなことがある訳でもないのになんでかな~」とも思ってて、少し躊躇したんです。で、最初は「みちよライブ」の方に行こうかと思ってたんだけど、仕事のことであまり人前では話せないようなものもあるので(※ヤバイ仕事してるとかそういう意味じゃなくて)「お茶しに行く」くらいの感覚でセッションの予約をしました。なんかそのとき「話が通じる人と話したい」っていう気持ちもあったんですよね。スピリチュアルオタクじゃなくて、どスピリチュアルがベースにある〈ど人間先輩〉と話がしたいなと。あと、私自身が宇宙系(宇宙に魂のルーツがある人)でみちよ師匠も宇宙系なので、「ど人間やってて、どスピリチュアルがベースにある、宇宙人の先輩」とか、なんかそういう感覚なんだと思う。私が「宇宙系の人だ」っていうのはみちよ師匠から度々言われてたけど(今回のセッションでも雑談の中で出てきた)、自覚はあまりないんです。ただ昔から星は好きだし、「アンドロメダ銀河」の字面にキューンとしたりはします。たぶん私の両親も揃って宇宙系の人たちだと思うんですよね。出身星は違ってそうだけど。昔から星の本や星座の早見表や写真がたくさんある家だったんですよ。月の地図や星座のポスターが貼ってあったりとかね。(父は「昴」ことプレアデス星団大好きマンで、谷村新司の同名曲も超好きです。母はたぶん「インディゴチルドレン」と呼ばれる人たちのなかでも“だいぶ早めにきた人”。ニベア青缶の色を少し濃くしたようなブルーが私には視える。ちなみに、みちよ師匠はラピスラズリの綺麗なブルーに所々金が混ざったような感じに視えてます。これが何の色なのかはよく分からないけど、「その人の本質を示す色なのかな?」とは思ってます)私の周りを見る限り、けっこう宇宙系の人ってホイホイそこらへんにいるんですよね。〈宇宙人度〉と〈スピリチュアル度〉と〈人間度〉と〈魂の熟成度〉と〈地球エンジョイ度〉みたいなのは人によって違うんだけど、存在自体はそんなに珍しくはなくて、よく遭遇する。うちの職場が特殊なのかもしれませんが。話逸れたけど、そんな感じでセッションの予約をしたあとで、例の動悸とか息切れとか不安感に襲われました。でもこの時点では、まさか動悸とか息切れの話がメインになるとは微塵も思ってなかったんですよ。「何話すかは当日決めます〜」みたいなノリだったので。そして迎えた当日。前に書いたとおり出かける直前まで仕事してて、さらに外に出たら本降りの雨。さっきまで雨やんでたのにいきなり本降り。前にも書いたかもしれないけど、私がみちよ師匠のセッションを受けるときいっっつも雨降るんですよ…もはやネタになるレベルの降水確率。この異様な雨率の高さについては師匠とも共有してるんですがたぶん二人とも雨女です。雨のなか新宿へ行く途中でまた動悸と不安感がやってきて、時間に余裕を持って家を出た(不安であるが故に早めに行動をしていた)ので、ちょっとスタバに寄って温かいものを飲みながらゆっくりセッションルームへ向かいました。そしてみちよ師匠に「今日聞きたいこと」を話す段階になって、開口一番に「実は最近、動悸と息切れで眠れなくなってしまうことが続いてて、『まあ私、子どもの頃から不安になりやすかったしな』と思って自分を責めたりアラ探しはしないようにして、一旦は漢方薬で対処してるんだけど、今日もここ来る前に変だったんだ」という話をしました。真っ先にそれが口から出たんですよ。そしてそのまま雑談をするようにベラベラと・いつも欲しいものが手に入らないから、欲しいものを自分自身で与えようとした話・仕事を頑張ってること・職場の状況について・温泉水氏について思っていることを話しました。ひと通り私の話を聞き終えたみちよ師匠が最初に言ったのが「なんかね、〈じいや〉が戻ってきてるのよ。あらお久しぶり〜(手をフリフリ)って感じで」…!?えっ、ジジイ?????「気づいてた?」気づいてませんでした…!!毎度のことですが軽く説明すると、私は魂が老人(※何度も何度も転生してて魂的には経験豊富なベテラン)で、男性性のほうが強い(※魂は誰でも男性性と女性性の両方を持ってるけどその割合は人によって違ってて、私の場合は“男度”が高い)ので、みちよ師匠からは一時期「じいや」と呼ばれていたのです。私の中にはその「“じいや”な自分(ジジイ)」と、今生をメインで生きている「女子な自分(小娘)」が同居している状態なんですが、みちよさんからは数年前に「もう“じいや”じゃなくなってるよ」と言われていたんです。要は、「女子としての自分」をメインとして生きるようになっていたと思って…た……んだけ…ど………???そして、なんとそれが動悸と不安感の原因でした。つづく

  • 31Mar
    • リトルまゆまゆと復活のジジイ・1

      3月ちょー忙しかったーーーーー自分が中心になっているものが複数同時に動いたので、土日や有休でも数時間仕事をする(せざるを得ない)とかけっこうありました。思考とかめっちゃ男モードだった。男スイッチ入りっぱなし。また一緒に組んでいる男性が良くも悪くもすっっごく女性的な人で、予測のつかない事態が起きたときにその人のほうが「どうしようどうしよう」ってパニクってアワアワしてて、正真正銘の女性である私のほうがすっっごく冷静でテキパキ指示を出す…みたいなことも起きました。いやお前がしっかりせぇや。みたいな。みちよ師匠の恋愛ブログのほうで「映画で、慌てて敵の前に突進して真っ先に矢に打たれる人=旦那」っていう話を書いてたけど、まさにそれだった。(その記事はこちら)(誤解のないように書いておくんですけど、別に男女関係なく動揺するのは構わないんですよ。でも、慌てたところでどうにもならない状況ならどこかで気持ちを立て直して優先順位を考えた上でしっかり自分のするべきことをちゃんとやってほしいし、ましてや下の人に指導をする立場なら尚更しっかりしてくれ〜〜〜〜仕事しろ〜〜〜〜〜全体で動いてるスケジュールは止まらないんだよォォォォォォ期末だしーーーーー!!!…と思った。これ相手が女性でも男性でも仕事の場面だったら同じことを考えます。)有休とってみちよ師匠のセッションを受けに行こうとした日も直前まで家で仕事してて、セッション後にもまたちょっと家で仕事するとかそんな状況でした。「うおおおおおおおおお!!」ってバリバリ捌いていくという…一段落したので(期末だし)、その反動で土曜日は二度寝して昼過ぎまでベッドで過ごしてやらなければならない家事は無視して急ぎじゃない仕事も無視して寝まきのままテレビをぼんやり見たり、食べたいものを作って食べたり(※私にとって料理は苦にならないことなので体調が良ければ積極的にやります)ベッドに横たわってスマホいじったりマイペースで超のんびり洗濯をしたりとにかく好きなように過ごしていました。ぐうたらしたらちょっと元気になってきた。しばらくのあいだ頭めっちゃ使ってたし、頑張りすぎたーーーーー---------------------------そんなわけで、「みちよ師匠のセッションを受けた話」を書こうと思ったんですよ。ちょっと前に続いていた動悸と不安感の正体がわかったり、これから恋愛をどうしていくかとか、今の自分の状態がどうなってるとか、これまで欲しいものが手に入らなかった真の理由とか。まあ、記事のタイトルが全てを物語ってるんですけどね。次の記事から本編を始めようと思うんですけど、ざっくり書くと・ジジイ復活☆・ときめきたいの・アイツのことは置いていけ・You モテちゃいなよ・いつもディズニーランドにいるみたいに・共感力の高さを“自分”へって感じです!わかる人にはだいたい中身の想像つきそうだけど「は?」って感じよね!笑気分と体調を見ながらぼちぼち書いていきます。正直ベラベラ色んなこと喋って話を聞いてきた感じなので「うまくまとまるかな?」って感じだけどやってみる!

  • 27Mar
    • 喜びの影響力

      突然ですが・・・羽生くん観てきたのーーーーーーチケット取れたのは男子ショートプログラムの日だったんですけどね!もう、さいたまスーパーアリーナの500レベル(5階)まで超満員で、座席をご用意されたのが奇跡かと!!あのネイサンとの超熱い戦いを繰り広げた男子フリーはチケットとれなくてテレビ観戦になっちゃったんですけどでも、もし目の前であんな激戦見せられたら興奮でどうにかなってたかもしれません〜なんせ、ショートプログラムの日も最終グループの6分間練習が始まったときに「どうしよう!好きな選手しかいない!!!はわわわわわ…!!!!!」ってなってましたから。笑もはや「ヤバイ」しか出てこないという…人ってこんなにも語彙を失うものなんだね?よく考えたらネイサンの演技を生で観るのも初めてだったし(話題の衣装が全然気にならなかったくらいすっっごくカッコ良かったんですよ!!!惚れる!!!)大好きなジェイソン・ブラウンが目の前のリンクでめちゃくちゃ良い演技して文句なしのスタオベかまして来ました。やだもう、すき!!!(落ちついて…?)「アイスショーじゃなくて競技をしている羽生“選手”を一度現地で観てみたい」という自分の夢が叶って、眼精疲労ヤバかったけど満足です(※ちなみに私は俗に言う「ニース落ち」です。羽生選手のファンになったタイミングによってこの呼び方が違っていて、例えば平昌五輪でファンになった人のことは「ぴょん落ち」と言うそうです(語感が可愛い)。「ニース落ち」は2012年の世界選手権でディカプリオ版ロミジュリを演ったときです。これ有名な神演技なんだけどまだ見たことない人は探してみて?怒りに燃えるロミオそのものの少年が氷上にいるわよ。ブルーレイにもなってる。ミッツさんもNHKの番組で語ってたわ…っていう説明を事細かに付け加えるくらいフィギュア好きです。アクセル以外見分けつかないけど。アイスダンスのツイズルとか超好き。ところでなぜ私は途中で二丁目口調ぽくなっているのか…)それから・・・ディズニーの年間パスポートを買ったんですよ!私はそうでもないけど最近周りでザワザワと動きがあって、そういうちょっと不安定な時だからこそ逆に「自分の喜び(幸せ・好きなもの)を手放さないようにしよう」と思ったんです。で、「自分の体が動ける状態なら(入場日に条件はあるにせよ)1年間は確実にパークに入れる」という保証を手に入れました。やったね!---------------------------冒頭の「羽生くんを見た話」と「年パスを買った話」ってただの近況報告ではなくて、これから書く話に関わってくるのです。この前、自分に話しかけてきた同僚(男性)に「年パスを買った話」をめちゃくちゃハイテンションでベラベラ喋ってしまったんですよ。どのくらいハイテンションだったかって、「デュフフw」って笑い方を何度もするくらい、言ってしまえばオタク丸出しの状態だったわけですが、その話をやや一方的に聞かされていた同僚(つまり話しかけてきた男性)がポツリと「なんか俺も幸せな気持ちになるわ〜」って言ったんです。めちゃくちゃ嬉しそうに一人で笑いながら話す様子を見てそう思ったらしいです。で、私はそれを言われて「えっそうなの!?」って驚いたんですよ。私は酔っぱらうとずっと笑ってる(“箸が転んでもおかしい”みたいな)タイプの人なんだけど、このときはそういうときの自分の状態に近かったんです。「子どものような自分(素の自分)」に近い状態。なんにもしてない、ただ自分が喜んで話をしていただけで、なぜか勝手に相手がハッピーな気持ちになっている…?という衝撃。そしてそれは「羽生くんを見た話」でも同じで、久しぶりに連絡を取り合っていた友達(女性)に「羽生くんを見たんだよーーー!」って報告をしたら「なんか私まで嬉しい!」って返ってきたんです。よく考えたらこれって、最近の私がずっと言っている「みんな“自分自身”でいるだけで、自分の役割とか使命は自動的に達成されているしみんな常に“自分がいるべき場所”に自動的に配置されていて、何か(使命とか役割とかスピリチュアルとか)を意識してやろうとしなくてもそこで影響を与えている」ということそのものだと思ったんですよ。もちろん、自分が喜んでいることに対して妬んだり否定してきたり喜べなかったりする人はいるし、自分自身も他人に対してそんなふうになる時もあるけどその妬みやなんかはその人(喜べない状態の人)自身の問題で、私は構わず〈自分の喜び(幸せ)〉に向かっていけばいいし「喜んで生きている」というだけで、周りが勝手に嬉しくなったり、癒やされたり、ホッとしたりするんだ。と思ったんです。これが私の進む道だと思ったの。「こっちの方向だ!」って。今回は喜怒哀楽の「喜」と「楽」の影響力だったけどきっと「怒」や「哀」にも同じことが言えるんじゃないかな?と思ってる。他人を見て「あ、これは怒って(怒りを感じて)いいんだ」とか「あ、これは悲しんで(悲しみを感じて)いいんだ」ってホッとすることも全然あるからね!

  • 23Mar
    • 光と闇

      自分のことを「光だ」と思っている人ほど、私には圧倒的に「闇」に見える。少なくとも、自分のところにやって来るクライアントさんのことを「面倒」とか「厄介なもの」として捉えてしまうのは、「光」とは言えないと私は思う。自称するときほど人は危うい。「自分は圧倒的な光の存在である」みたいに思い込んでいると、必ずどこかでおかしくなる。そういうスピ系の人を何人も見た。気づけないまま活動している人もいる。光は闇に転じるし、闇は光に転じる。そういうのをいっぱい見た。“誰もが”光の存在であるというのに、自分だけ真っ白で「光しかない」なんてことはないよ。“自分”のなかには「光」も「闇」もある。その2つと共に生きるの。自分を「何者か」として定義したくなるときは“自分”を見失っている。「あなたはこういう人です」って定義してもらって、それに合わせたり従ったりするほうがよっぽどラクだったりするけれどあなたも私も、何者でもないの。自分はどこまで行っても“自分”でしかないし、“自分”以外の何者にもなれないの。

  • 16Mar
    • 時空を超えた友達

      めちゃくちゃ忙しくてブログ書く暇もありませんでしたこんばんは。先日みちよ師匠に会いに行って、そのあと前回書いた不調が超改善されたのでその話も書きたいんだけど、それは後回しにして今日は親友の話を。---------------------------私には出会ってから25年以上関係が続いている親友がいます。普段お互い連絡を頻繁に取り合っているわけではないけど、誕生日がとても近いので毎年メールやLINEでずっと「ハッピーバースデー」は送り合う仲です。彼女の話はチラホラここにも書いてるけど、出会ったときがとても面白くて不思議で。クラス替えの初日に転入生の彼女と初めて会った瞬間、私「○○(※親友のフルネーム)だよね!?」友「●●(※私のフルネーム)だよね!?」と言い合って、初対面なのにその日のうちに何時間もずっと話をし続けていたのです。まるで“再会”を喜ぶかのように。顔を見たのも初めてだったはずだし、名前を見たのも名簿が初めてでした。それなのに、彼女が「彼女だ」と分かったんです。親友も同じことを言っていて、ずっと「不思議だね?」と互いに言い合っていました。いま考えると、明らかに魂レベルでご縁のある人なんですよね。そんな親友と数年ぶりに「会おうよ!」となったんですが、会った瞬間にそれまでの時間の空白が埋まって、まるで昨日まで普通に会って話をしていたかのように距離がすぐに縮まります。これ本当に不思議。「久しぶりって感じしないね?」ってお互いに言うんですよ。でも、「そりゃそうだな」と後で思って。だって、魂が悠久の刻を超えて再会しているんだから、「人間界の数年」なんて瞬きにも満たないくらい一瞬の出来事なんですよ。面白いよね。私達は特に似ているわけではない(と当事者は思ってる)し、ライフステージも違うし(彼女は既婚・私は未婚)、経験してきたことも違うし、人間レベルでは知らない事もお互いにあると思うけど、魂レベルでは本当によく“知っている”のです。彼女は子どもの頃に様々な苦労をした人で、私はそれを近くで見てきていて、「これを人生で経験しよう」と決めて生まれてきた彼女の魂の強さを本当に尊敬してる。「バイバーイ!また会おうねーーー!」って子どもの時と同じように手を振って別れたあとで「こんな相手に生きているうちに出逢えるなんて、なんて有り難くて素晴らしいんだ」って感動してしまったんですよ。何も気負わなくても会話できるし、いい意味で“空気”。こんな素敵な〈再会〉が人生には用意されていて、「あ。人生って捨てたもんじゃないな。生きてるって素晴らしいな」と思わせてくれました。ありがとう。

  • 02Mar
    • 「ぜんぶ僕のせいだ」

      仕事で色んな曲を聴く機会があるんですけど、この曲を聴いたとき息が止まるような感じがしたんです。『黒い羊』一回聴いてみてほしい。(→歌詞)欅坂46は『サイレントマジョリティー』が好きでiTunesで買ったことがあるんだけど、そのときの「好き」とは違うんですよ。胸の奥のさらに奥にあるものを引きずり出されて歌詞に書かれてしまった感じ。「全部 僕のせいだ」って言うんですよ。そこで息止まっちゃって。矢が「ストッ」て胸の奥に命中したような感じ。「泣く」とか「感動した」とかそんな形容できる感情じゃなくて、強いて言うなら「…あ、」って感じ。びっくりして「なんだこれ」って衝撃を受けたんだけど、「それは私がずっと心の根っこに持っているものだ」と思った。MV見たら勝手に涙出てきちゃって。なんだこれ。すごいな。人って「ストーリーに感動した」とか「歌詞に感動した」とか、なんか理由があって涙が出たりすることは多々あると思うんだけどそういうんじゃなくて、勝手にだらだら涙出てきてしまう。身に覚えがあるんですよね。もう忘れたり慣れたと思ってたのに。子どもの頃に「受け入れられたい」って思ってどうにかしようと奮闘してたのにやっぱりダメで、それ以上傷つかないように、受け入れられることを諦めて心を閉ざしてしまった気持ちが炙り出されてくる。私の中の「言わないようにしてたのにな」みたいなものが曲の中に描かれてる。それにしても、この歌詞を書いたのが本当に秋元康なんだとしたらすごくないですか。純粋に「すごい」と思ったんですよ。自分の心の暗部や繊細な感性を引っ張り出してこないと書けないでしょう?自分の中の〈ネガティブ〉と〈ポジティブ〉の使い方がすごく上手だなと思ったんですよ。この人のアイドルビジネスは好きじゃないんだけど、こういうバランス感覚はすごいと思ったし、自分の中にある〈ネガティブ〉を作品として昇華するとすごく良いものができる好例かなと思う。---------------------------【追記】心理学に「黒い羊効果」という言葉があることを知りました。この曲を聴いてると、小学生のころ放課後の教室に女子だけ全員残って魔女裁判にかけられたのをありありと思い出します。「問題解決という名の魔女裁判」に「魔女(クラスの問題)」として吊るし上げられたときのあの居たたまれない気持ち。早くその場から消えてしまいたい気持ち。歌詞の中の「そうだ僕だけがいなくなれば良いんだ」っていう、まさにそれです。

    • 木の芽時の不調・2

      前回「恐らく木の芽時のせいで調子が変だ」って書いたときには、この話の続きを書くつもりがなかったんですが、そのあと「動悸と息切れと火照りで眠れない」「寝ても眠りが浅くて苦しい夢ばかり見る」「昼間も動悸が続く」というカラダ的にしんどい状態になって、それに対してどう対処したかを記録しておこうかと。(なので、前回のタイトルに「1」ってつけました)先に結論を言うと、漢方薬がとてもよく効きました。助かった。---------------------------日曜日(2/24)の夜、寝ようと思って布団に入ってうつらうつらしてたんですが、入眠しそうになるとハッと頭が冴えてしまうような状態に陥りました。眠っていても約90分ほどで目覚めてしまう感じ。寝ている間は苦しい夢を見てしまって、その影響も併せて目が覚めちゃう。私が「眠れない」って言うときって大抵この状態です。思考がフル回転しているのにいつの間にか寝ていて、気がついたら寝坊していたり一駅乗り過ごしたりする。それだけなら「まぁたまにある」という状態なんだけど、今回はそれに動悸と火照りが加わって、さらに息切れもセットで発生し、さらにさらに頭痛薬が効かない頭痛もあって、とりあえず「なんだこりゃ〜〜〜〜〜〜」ということになっておりました…。以前、体調が悪いときに熱いお風呂に浸かったあと心臓がバクバクして死ぬかと思ったことがあるんですけど(その時の記事)、あれにちょっと似てるのかな?もしくは、アレルギーの症状を出しかけたときにも似ていました。(※私は食べちゃいけないものを食べると動悸と息切れが発生します)時期的にPMSも考えられるし、アレルギーにも似ているし、血圧なのかホルモンなのか自律神経なのか分からないけど、とりあえずおかしい。「えっこれ『救心』を飲むべきなのでは???家にないけど!飲んだことないけど!今すごく飲みたい!常備薬として薬箱に入れておくべきだったか…ううう」…とかグルグル考えるから余計に眠れなくなる悪循環にはまり、そのまま寝たり目覚めたりを繰り返して朝を迎えました。↓これね、これ。【第2類医薬品】救心 30粒1,815円Amazon朝になっても動悸は残っていたんですが、こういうときって判断力が鈍っているので何故か職場へ向かい普通に仕事してました。「いや、休めよ」って症状が落ち着いている今は思うんだけど、うつ状態の時と同じで脳がいつもよりちょっと変になってて、大抵そういうときは何かちょっとしたところが抜けたり判断ミスしますよね。後になって「あのときの自分は変だったわ」って気づくけど、渦中にいるときは何が変なのか分からなくなってる。「これはきっと漢方薬が効くに違いない」という謎の確信はあったので休み時間にドラッグストアへ行き、いくつか物色するものの判断力が鈍ってるので選べず。「いや、薬剤師に聞けよ」「とりあえず『救心』買えよ」って話なんだけどその判断力も鈍って(以下略時間がないのでとりあえず昼休みは諦めて、職場に自分が常備してるペパーミントティーを淹れて飲んでみたら、これが一時的ながらものすごく気持ちが落ち着く。ポンパドールハーブティー ペパーミント 20TB427円Amazonそこでようやく「ペパーミントって鎮静作用があったよな…?それで動悸がおさまるということは、昔処方されて飲んでた安定剤のようなものが効くということなのでは…?」と気づく。つまり、PMSと仮定して対処するより「何らかの方法で気持ちを落ち着かせることを考えたほうがいいということなのでは?」と。さらによくよく振り返ってみると、この日の私はものすごく神経過敏で、ちょっとしたことでもクヨクヨ考えて自責しがちな傾向がありました。アタマでは「気にしなくていい」って分かっているのに、身体の反応はそうじゃないんですよ。妙にビクビクしている。そんなに重大に考える必要のないことに囚われている。この状態は病院に通ってた初期の頃と似ていました。ただあの頃と違うのは、メンタル不調を引き起こす明確な原因が、いま自分が置かれている環境の中にはないことです。仕事も人間関係も特にトラブルを抱えていません。でもとりあえず身体がその頃の状態と似ているなら、一時的に精神安定剤的なものを使って症状を落ち着かせる(冷静になる)必要があると思いました。ミントティーは効くとしても1時間ほどで効果が消えましたし。濃く煮出したり飲み続けていると下痢になる体質なので使い続けられないのです。深呼吸とかお風呂に浸かるとか、そういう悠長なアプローチは効かないレベルで不安感を伴った動悸と息切れが続いている。でもすぐに病院には行けないし、何科に行けばいいのかメンタルクリニック案件なのかも判断がつかないくらい判断力がない。じゃあどうしよう?と思ったときに出てきたのがコレでした。【第2類医薬品】クラシエ薬品 漢方セラピー 「クラシエ」漢方 桂枝加竜骨牡蛎湯エキス顆粒 8日分 (24包) ケイシカリュウコツボレイトウ 神経質 神経症1,392円楽天桂枝加竜骨牡蛎湯(ケイシカリュウコツボレイトウ)→クラシエさんの解説ページ私、明らかにコレじゃない???というわけで、消滅しそうなマツキヨポイントとクーポンを使って買って飲んでみたら大当たりでした。私にはすごくよく効く。動悸はおさまって、いつもの冷静な状態の自分に戻りました。「あれは何だったんだ」ってくらいケロッと。寝不足なのも相まって眠気もやってきて、不眠も解消。超弱い安定剤を飲んだときと似てるかな。でも、安定剤は「無理やり抑え込んでいる感じ」だけど、こっちは「元に戻す(バランスをとる)」って感じかなあ。状況が違う(明確なメンタル不調の原因がある/ないの差)ので純粋に比較はできませんけど。人によって合う漢方は違うので、本当は漢方医に診てもらうのが良いんですけどね。たまたまアタリらしきものを引けたのでどうにか乗り切りました。ただ、神経過敏なのは変わらずで、漢方薬飲んでないときに想定していない物音や非常音やなんかを聞くと必要以上にドキドキして不安定になります。こういうときに限って駅の非常停止ボタンが押された場面に遭遇したり、自分が動揺するような出来事が周りで起きたりするからつらい。「なんで今のタイミングでそれ起きる???」ってツッコむ勢いで。PMS疑惑もあるのでしばらく様子を見たあとで漢方医のところへ行こうかなと思ってます。これ以外にも「何科に行けばいいの?」な微妙なラインの症状もあるので。(太田漢方胃腸薬がよく効く胃痛とか)偶然にも近所に西洋医学と東洋医学両刀の病院があって、前から知ってたけど今こそ出番なのでは?と。たぶん気質によるところが大きいと思うんですよね。「精神的なもの」というよりは「物理的なもの」。例えば「指が長い/短い」とか「髪が硬い/柔らかい」とか、そういうのと同じ。前は「こうなった原因を突き止めなくちゃ」って心の中をあら探ししてたけど、持って生まれた気質だったらそれを責めてもしょうがないからねえ…工夫することで多少改善はできたとしても、ベースとして持ってるものは変えようがないので、受け入れて折り合いをつけていく気持ちでいると自責から解き放たれて少しラクになれます。感覚の繊細さとかね、しょうがないんですよ。だって繊細に生まれたんだから。しょうがないけど、「じゃあどうしたら自分がやりたいことをやれるか考えよう」って感じですね。諦めざるを得ないことも確かにあるけど、そればっかりじゃない。繊細さ、感受性、想像力の豊かさ、虚弱体質な割にやたら生命力はあるとか笑(わたし生命線2本あるらしいですから)他の人たちと同じじゃないけど、工夫すればたぶん大丈夫。そのための想像力と生命力な気もする。

  • 20Feb
    • 木の芽時の不調・1

      一度「不安障害・強迫性障害」と医師から呼ばれているものを発症した私、最近は通院することもなくなったし安定剤を飲むこともなくなりましたが、久しぶりにやって来ました原因不明のザワザワ感。どういう感じなのかを自分なりに比喩で表現してみると、「胸にクレーターができている感じ」「柔らかいプリンの表面をスプーンで掬って凹みができたような感じ」「胸だけ水の中にぽこーっと浮いているような感じ」です。まいった。先週の土曜日くらいから急に。日曜の夜なんて全然寝付けなくてヤバイと思ったんですよ。ふとした瞬間に子どもの頃感じてたものと同じような不安感が襲ってきます。「時間に間に合うか」とか「具合悪くなったらどうしよう」とか「私が話をちゃんと聞いてなくて間違ってたらどうしよう」とか「これやっちゃって良かったのかな」とか。最初は2/19深夜のスーパームーンのせいかと思ったけど、たぶんどちらかというと木の芽時のせいだと思います。本当は3月くらいかららしいんだけど、これまでの傾向だと私の場合は2月後半あたりからちょっと変になりますね。とはいえ、出てくる不安感って「今まで抑えられていた(飼いならされていた)」というだけであって、元々持ってたものなんだろうな。子どもの頃に〈自分〉をありのまま表現して天真爛漫に過ごしていたのを、急にバシッと「ダメ!」ってされたショックだと思う。だって不安になるときに出てくるものって、つまり「みんなの前で私が〈私〉になってしまったらどうしよう」ってことだと思ったんです。基本的にのんびり屋で、時間の感覚が時々変になる(見積もりが甘い)自分とかすぐにお腹を下したり、体調を崩してしまったり、食べられないものと食べたくないものが多かったりする自分とか空想の世界に思いを馳せて話を聞き逃す自分とか周りの人に共感されにくいものが好きだったりする自分とか「○○だったらどうしよう」と思うとき、その後ろ側に本来の自分の姿が透けて見えるような気がする。一度発症すると、脳がもう「そんな風になりやすい脳」になるらしい?ので、そういう自分の肉体とか体質とか気質と折り合いをつけながら上手く付き合っていくしかないかな、と思ってます。逆にいうと、こういうのは「心身にメンテが必要だよ」とか「ちょっと気をつけろ」みたいなアラートの役割になってくれているわけで、悪いもんでもないんだよね。自分の内側から出てくるものをよしとする。こういう自分もいる。「これは月の満ち欠けか気候のせい」って思って必要以上に自分を責めないようにしつつ、出てきた不安の根っこを見るようにするのがいいかな。とりあえず「あ〜きたきた春ですね」って感じ。

  • 11Feb
    • 「ライトワーカー」の話(辛口)

      この前、家に宗教勧誘の人が来たんですよ。50代〜60代くらいの女性二人組で。以前から度々家のポストに宗教系のチラシが入れられていることがあって、「これどういう人達が入れてんのかな…」と思いつつすぐに資源ごみ行きにしてたんですけど、ついにご対面。宗教勧誘だと分かった瞬間にお断り対応に切り替えたわけですが(同じアパートの人とか大家さんかな?と思って出た)、めげずにチラシに書かれた内容について話を続けようとする二人組(笑)宗教の人「ここに“人生の道に迷ったときは…”って書いてあるんですけd…」私「あ〜わたし、自分の人生迷ってないんで大丈夫でーす。必要ないでーす。失礼しまーす^^」って感じで一方的に扉を閉めて(チェーンをかけたまま話してた)強制終了させたんだけどこの二人組の雰囲気は、スピリチュアル系セミナーによくいるような人達と同じ雰囲気だったな、と思ったんですよ。穏やかで、にこやかで、人畜無害そう。でも、ちゃんと身体機能としての目(物理的な目)は開いているのに、イメージで捉えるその人の姿は「目を閉じたままで生きている」ように視えるんですよ。現実じゃなくて、その人の頭の中に作り上げられたものを見ている。現実世界から目を背けて夢の中にいるように、何か「自分よりも強そうなもの」を崇めている。無意識のうちに自分を「非力で何もできない弱者」として扱っている。だから自分よりも絶対的に強いものや揺るぎないものを必要としている。現実を生きていない。私がもっと若かった頃、「スピリチュアル系」と「宗教」を混同されるのがとても嫌だったんだけど、今なら分かる。外から見たら、どちらに傾倒していても同じに見えるんです。本当に同じにしか見えない。そこに向かう心が同じだから。「何にすがりついたか」の違いだけだと思った。もちろんそれで救われることもあるけれど、私はこんなふうに束になって啓蒙活動していくスタイルに対しては、いつもいつも「違う、そうじゃない」と思ってる。---------------------------「ライトワーカー」って言葉があるんですけど、それは「地球に愛と光を運ぶ使命を持った人々」のことを指すそうです。私はドリーン・バーチューのオラクルカードを愛用しているけど、その中にもこの言葉は出てきます。では、「愛と光を運ぶ」ってどういうことなんでしょうか。この記事が目にとまった人達はどういうことだと思いますか?多くの人は、先の宗教勧誘の人達みたいに束になって「スピリチュアル」を啓蒙していくスタイルをイメージしそうな気がします。完全に予想ですけどね。実際、そんなふうにしている人達もいると思います。ネットとかで束になって同じことを呼びかけたり、束になってデモに参加したり、束になってスピリチュアル系な人を政治家にしようと押し上げたり(過去に見た。その様子が気持ち悪かった。)とか、なんかそういうのも含まれます。あるいは「スピリチュアルなんたらかんたら」になって、活動していくことだと思ってる人達もいると思います。私も前はそうでしたね。だから一度は「スピリチュアルカウンセラー」を目指そうとしたんです。やめたけど。あるいはあるいは、普通の人たち(スピリチュアルに傾倒していない人たち)の中に紛れ込んで、「スキあらばスピリチュアルな話を説法していこう」とするスタイルもあるかもしれません。言い方は悪いけど「スキあらば教えてやろう」みたいなやつですね。もっとマイルドな言い方をするなら「スキあらば救ってあげよう」かな。これも身に覚えがございます。人によっては、何かの団体を作って教祖みたいになろうとする人もいるかもしれないですね。「みんな俺に続け!」みたいな。自分を崇めてもらう感じ。私はそれ、死ぬほど嫌いですけどね。教祖になろうとする人も、教祖を崇め奉ろうとする人も大嫌いです。他人から「すご〜い」って崇め奉られて、「自分とは違う人間だ」扱いされて線引きされるのが、私は心底嫌いです。この理由は後述します。アイドルとか芸能人とかもちょっとそんな感じで信者を抱えてますよね。見てると「この人たちだってちゃんと自我のある〈ただの人間〉なのにな」って思ってしまいます。さて、「愛と光を運ぶ」ってどういうことかって話なんですけど今の私は、上に挙げたものはどれも「違う」と思っています。人によってはプロセスとしてそれらが必要かもしれないですけど、私自身は「本当はそういうことじゃない」と思っています。上に挙げたものはどれも「〈人間〉の世界(=地球)で生きていない」と思うんですよ。あ、「スピリチュアルなんたらかんたら」に関しては一概には言えないかな。師匠みたいに本当に好きで楽しんでやっている人もいるし、色んな人がいるから。でも、もし「スピリチュアルなんたらかんたら」になろうとする理由が、「人を救ってあげるのが自分の使命だと思ってる」みたいなものなのだとしたら、それはやっぱり違うと思います。すべてのケースにおいてそうですが、「動機が何であるか」が大事。なんかおかしいんですよ。「地球(=人間の世界)に愛と光を運ぶ」って言ってるのに、その人自身は〈スピリチュアル界〉みたいな狭い殻の中に閉じこもったままで、「地球(=人間の世界=現実世界)」を生きていないんだから。人間界(現実)に存在しているのに、意識は人間界(現実)にいないように感じる。強めの言い方をしてしまうと、「現実世界から逃げているだけ」の人がたくさんいる。逃げたくなる気持ちはわかります。自分も派手に逃げましたし。でも、これからの世界はそういう世界じゃないです。それが通用する世界ではないはず。もう下の世代ではすでに変わっていると思います。〈現実世界から逃げている人〉の言葉に耳を傾けるのは、同じように〈現実世界から逃げている人達〉だけです。それは本当に「地球に愛と光を運んでいること」になるのでしょうか。---------------------------私は〈調和〉をしたい人です。どこにいても、何をしていても、子どもの頃からずっと。これはあとの記事で書くかもしれないですけど。対立する2つ以上のものがその場に存在するとムズムズする。だから、スピリチュアルなものに傾倒している人達が作る殻の中の狭い世界(箱庭のような世界)だけでは、私は生きていられない。だって〈調和〉って、2つ以上の異なるもの同士が上手い具合に混ざり合ってちょうどよくなることでしょう?スピリチュアルに傾倒した人達が作っている〈スピリチュアル村〉と、色んな価値観を持って普通に生活している様々な人たちがいる〈人間村〉があるとするなら、両者の間に壁を作ってるのは殻に閉じこもっている〈スピリチュアル村〉側のほうに見えるんですよ。スピリチュアル系の人たちは、あたかも「人間村にいる普通の人たち」のほうが目覚めていなくて、時にそれが可哀想であるかのような言い方をしたり、自分たちが迫害されているかのように語ったりするけれど。目を瞑っているのはそちらの方だと私は思う。「ライトワーカーだから何かをしなきゃいけない」っていうのは、それ自体がもうすでに〈調和〉ではなく〈分断〉なので、私が求めているものとは違うんです。勝手に崇め奉られて「あなたは自分とは違う人間だ」扱いされて線引きされるのが心底嫌いなのも、その「線引き」が〈分断〉だからです。私の中にあるものは、「あなたと私は違うけれど同じ」というものなんです。それは横並びの意識で、イッツ・ア・スモールワールドの歌詞「みんな輪になり手をつなごう 小さな世界」の感覚。だから「上下」とか「優劣」の縦並びの意識で線引いて分断されるのが、私は耐えられない。「目覚めていなくて可哀想だから救ってあげなきゃ」とか、「束になって世の中を変えてやろう」とか、「スピリチュアルリーダー」とか言って教祖みたいになろうとするとか、それ、ライトワーク(愛と光を運ぶ仕事)とかじゃなくて「ただの個人の承認欲求」です。自分をわかってもらいたい、受け入れてもらいたい、認めてもらいたい気持ち。そういう承認欲求を持つことが悪いわけじゃないですよ。でもそこからくるものは、もう全っ然スピリチュアルなお告げとか使命とかそんな「神聖そうな何か凄いもの」とかじゃなくて、これまで〈人間〉として生きてきた〈人間としての感情〉からくるものです。それを派手に装飾して外に出すと、「使命だから」とか「ライトワーカーだから」とか「導かなきゃ」とか「救ってあげなきゃ」とか、表向き「なんかそういう感じ」になる。でもその中身は〈承認欲求〉と〈被害者意識〉で、そこにキラキラトッピングをしただけです。自分にも身に覚えがあります。〈人間〉としての自分の形が曖昧で、それでもどうにかして生きようともがいていた頃。自分が周りから浮いていて、馴染めないと思っていた頃。「自分」と「他の人たち」を分断しているのは、自分じゃなくて外の世界にいる人たちの方だと思ってた。実際、子どもの頃に学校でのイジメや家族のあり方・態度によって、周りから切り離される経験をしていたから。そうやって理不尽な理由で外から分断される経験をして心が深く傷ついていると、「未来永劫ずっとそういうものだ」と思い込んでしまう。でも、実際は違います。大抵の人たちはみんな最初は好意的です。歩み寄ってくれます。けれどそれを〈分断〉してしまうのは、「私は人とは違う」「私は分かってもらえない」と思い込んで心を閉ざしている自分自身です。誰かを「可哀想」とか「救ってあげなきゃ」とか「理解してあげなきゃ」とかする前に「わかってもらいたい」「受け入れてもらいたい」「認めてもらいたい」って思っている、〈自分自身から放って置かれている自分自身〉が誰よりも可哀想だし、救ってあげなくちゃいけないし、分かってあげなきゃいけないです。ライトワークなんて「使命だ」と思って意識してやるものじゃないです。自分が楽しかったり、ワクワクしたり、そういう〈自分の喜び〉と一致しているからやるんです。自分たちの〈使命〉なんてたった一つで、「私が私でいること」しかないのだから。このカードに書かれている、下の一文の意味が分かったんですよ。『他者にポジティブな影響を与えるために、話をしたり、本を書いたり、ヒーラーとして働く必要はありません。』本当にそう。私が〈私〉として、自分自身の「楽しさ」や「喜び」の感覚に従って、〈本当の自分〉として生きているだけで、地上での役割(ライトワーク)は果たされている。何度も書いていることだけれど、それが真実なのだから何度でも書きます。私は「スピリチュアルなんたらかんたら」っていう世界に自分を押し込めて制限を感じるのが喜びではなかったし、その狭い世界の殻を破ろうと思うのなら、他人に殻を破らせるのではなく、自分が自分の殻を破らなければならない。「他人を変えてやろう」とすることは、どんな理由であれコントロールであり支配です。例えそれが「救ってあげたい」だとしても。〈私〉しか変えられないし変わらない。でも、変わっていく私を見て、感じて、その人自身がその人自身のタイミングで「変わろう」と思うことはあるかもしれない。けれどそれを期待して何かをするのはやっぱり違う。私達は〈自分の道〉しか歩けないから。「地球に愛と光を運ぶ」っていうのは、「自分が自分として存在していること」ただそれだけ。私はそう思ってます。『あなたがあなたでいる事以上の「光の仕事」はありません。』

  • 07Feb
    • 喜びの連鎖

      前回の記事に書いた「自分のためのお弁当作り」続いてますよ!義務とかでもなんでもなく、本当に単純に楽しくて続いているんです。よく考えたら、料理ってものすごく想像力とか五感とか手先を使うんですよ。「冷蔵庫に残っている物+αで料理を考える」とか、「この食材ならこの味付けが合うかな?」とか、「手間がかかりそうな料理でも、こうしたらもっと簡単に作れるんじゃないか?」とか、「お弁当箱に入れたときの彩りはどうか」「日持ちさせるにはどうしたらいいか」「(大雑把に考えて)栄養のバランスはどうか」「あの店で食べたあの料理を再現」などなどなど…創意工夫。めちゃくちゃクリエイティブ。それでいて野菜を千切りやみじん切りにしたり、じっくり炒めたり、挽き肉をこねたり、春巻きの皮で具を巻いたりする時はその作業に集中するので、割と頭の中が【無】になります。ちょっと「瞑想している」みたいな。その作業に集中して没頭する感じが、エネルギーが余ると思考過多に陥りがちな自分には良いみたいなんですよね。「何の料理を作るか?」とか「どうアレンジするか?」とか考えたりしながらレシピ検索やら本やらを見ていると、「自分の頭の中だけで展開している現実ではないこと(つまりネガティブな妄想)」はあまり考えなくなってきます。面白いことで頭の中がいっぱいになって、暇じゃなくなるからね。ストレス発散にもなるし、美味しいし、何よりも自分が楽しい。そしてそして、痩せてきた!気がする!体重は測らない主義なんだけど(数値に一喜一憂して自分を責めたりしがちなので)お弁当ランチを始めてから10日くらい経過した頃、お腹や太ももの脂肪がフニフニ柔らかくなってきていることに気づいて。そういえば太ももやお腹を直に触ったときのヒンヤリ感が以前ほどではなくなってきているし、(気候のせいもあるかもしれないけど)心なしか血流が良くなってポカポカしているし、むくみも軽減している気がするし、身体も動かしやすいし(階段とか)、顔を触ったときの肌触りも良くなってる。それで「もしかして」と思って試しに去年キツく感じてたスキニーやタイトスカートを履いてみたら、普通に履けたんですよ。全然キツくない。別にダイエットが目的でこれを始めたわけではなくて「自分にとって楽しいことを単純に続けてみたら、副産物として体型の変化もついてきた」って感じなんです。「これで痩せたらもっといいな〜」くらいの気持ちでいて、「痩せなきゃ!」みたいに修行をするような気持ちではやってない。自分が食べたいものを食べたい量だけ(心地よい量だけ)食べたい!【=自分にとっての喜びを求める気持ち】↓自分が気に入るお弁当箱で食べたい!【=自分にとっての喜びを求める気持ち】↓ピッタリなお弁当箱発見!【=喜び】↓自分で作ったご飯おいしい!【=喜び】↓料理たのしい!【=喜び】↓ご飯おいしい!【=喜び】↓体が動かしやすいし、あったかくて快適【=喜び】↓痩せてきた…!?【=喜び】↓服がラクに着られる!【=喜び】↓おしゃれ楽しい!【=喜び】…みたいな。喜びが喜びを呼んできて連鎖しているような感じ。分かりやすいですよね。良いスパイラルにハマっている気がします。面白い。これらは全部「私にとっての喜び」であるというところが非常に大事で、表面的な「お弁当にしたらみんな痩せる」っていう話でもないんだと思います。私にとって料理は「楽しいこと」だけど、他の人には「楽しくないこと」かもしれない。楽しくないことを我慢して続けていても、それは【喜び】ではないから、期待した成果ってあまり得られないんじゃないかと思います。私の場合は「外食すること」が妥協だったり我慢(本当に食べたいものを食べていない我慢)だったことと、もともと自分が料理好きだったり、クリエイティブな部分を本質として持っていたので、総合的にうまくハマったんじゃないのかな。子どもの頃の感情の成仏も兼ねていて、心の底から喜んでいる感覚です。ある人にとってはこれが何らかのスポーツだったり、別の趣味だったりするかもしれない。【本当の喜び】は本人にしか分からないから。---------------------------私がやってるのは本当に「適当クッキング」だけど、頭は使うし自分のクリエイティビティは満たされるし楽しいし美味しいしランチのとき嬉しいから、すごく単純にハッピーです。「休憩室で幸せそうにお弁当を食べてる人」になってる。それによって他人(外側)から評価されたり認められたり褒められたり…みたいなことはそんなに起こらないし、たとえそういうことが起きたとしても「それは自分にとって大して重要ではないな」と思うんですよ。〈自分〉が楽しくてハッピーだから、外側からの評価って別になくても構わない。もちろんそれがあっても嬉しいけれど、そんなに重要ではない。自分の内側に「満足」や「幸せ」がある。子どものころ毎日学校で嫌な目に遭ってたんだけど(イジメられてたから)、そういうとき家に帰ったら必ず「自分のオヤツ」として何か料理を一品作ってたんですよ。お菓子作りも好きで、生地をこねたりしていると自然に気持ちが安らいでいくのが良かったんです。絵を描くことに没頭したり、料理やお菓子を作ることに没頭して、無意識に過酷な状況から自分を助けていたんだなあと思います。いま仕事でもそうなんだけど、こういう「子どもの頃の自分のささやかな楽しみ」が、今になって芽を出している感じです。何処に向かっていくのかな…?コレがどうなるのか、はたまた特に何にもならないのかは分からないけれど、人生の中で何度となく「地獄かな?」みたいな思いをしてきた自分にとっては、いま私自身の心が元気なのがとても嬉しいです。