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文学座アトリエで、古川健さん脚本に高橋さん演出の「かのような私 或いは斎藤平の一生」でした照れ

キャスト
斎藤平…亀田佳明
斎藤智夫/平の祖父…関輝雄
斎藤信一/平の父…大滝寛
斎藤伸子/平の母…塩田朋子

大熊誉/信一の友人…川辺邦弘

千坂多佳子/平の友人・妻…大野香織
安田誠/平の友人…萩原亮介
吉江恵二/平の友人…江頭一馬

齋藤学/平の息子…池田倫太朗
宇佐美真理/学の恋人…梅村綾子

翔太/真理の息子…河合耀祐
菜緒/真理の娘…田村真央

ネタバレ全開なのです

時代と人の変化が鮮やか

物語は1948年12月23日、平が生まれた日から始まり…同じ日を10年or20年スパンで追い続け、最後は2028年で終わります。

智夫や信一たちの終戦直後は、ちゃぶ台や火鉢があり。家長の前では居住まいを正し…言葉遣いも崩しはしません。長男が生まれたことを「でかした!」と叫ぶ時代です。

そこから、平が20歳になった頃は着物じゃなくなり、テレビがあり、火鉢がストーブに変わっていて…母親の前で寝転んで漫画を読む。斎藤家の居間を定点観測する中で、家具や小物の変化が時代としてわかりやすいです。

言葉や女性のあり方の変化も鮮やかで、河合くんたちの世代になると、妹に「うるせえ、黙れ」「殺すぞ」なんて言葉を使うようになってたりして。


亀田くんは今回ほぼ出ずっぱりですが、20〜80歳を繊細に演じられてました。歳をとった時の足が上がらない感じや、座ったりするのが億劫なとこ、姿勢や声も丁寧で好き(*´ー`*)

1968年の親子喧嘩の場面を稽古場見学会で拝見させていただいたのですが、本番との差がとても興味深かったです。


学生時代の場面は、4人それぞれの個性が出ていてニヤニヤしながら見てましたw

萩原くんの安田はインパクト強くて楽しいけれど、刹那的で悲しくて。彼のような人生を送った人は実際にたくさんいたはずです。

逆に江頭くんの吉江は、まっすぐでブレがなくて…川辺さんの大熊とはまた違うタイプの人。吉江が平たちのそばにいてくれて良かったなって。


平が「父親のようにはならない」といいながら、気がつけば息子に同じように接していて。でも、母親や多佳子に諭されて気付けたところが好きでした。学に「教師になれ」とは言わなかったな、とか。

親が決めた職業や結婚相手じゃなくていい…そういうおおらかさは、時代の変化の「良い面」だと思います。

学からのプレゼントを喜んで、即着ちゃうのかわいいですw


女性でいうと、やはり塩田さん演じる伸子が素晴らしかったです(*´ー`*)

1988年になると信一が要介護(たぶん寝たきりなんだろな)で。伸子は介護で膝を悪くしたものの、しっかりしていて「こうなってみれば、かわいいもの」とか。亭主関白だった時代から、信一よりもずっと周りが見えていたのだと思います。←働いてたら出世してそうw

平の友人の吉江くんが襲われたとき、「転んだ」という嘘をしっかり見抜いてたりしてねf^_^;


大野さんの多佳子、梅ちゃんの真理という2人の女性も時代を象徴してるタイプで。多佳子の自分の意見をハッキリ言うところが好きでしたキラキラ

そして斎藤家の男たちは、なんだかんだで女性に支えられたんだなあって。←ラストの途方にくれてる平が特に


女の一生へのオマージュ+α

「誰が選んでくれたのでもない。 みんな自分で選んで歩きだした道ですもの。 間違いと知ったら自分で間違いでないようにしなくちゃ」

文学座の財産演目「女の一生」のセリフです。観た時「強いなあ…」と感じたことを覚えています。そうでも思わないとやりきれない、だったとしても。


今作品は斎藤平の80年間を描いていて、高橋さんたちが語られてる通り「男の一生」ともいえます。でも、作品に出てくる一人ひとり、なにより同時代を生きてる観客一人ひとりの「歩んだ記憶」でもあると思いました。ラストの「或いは…」は、そういうことではないのかな、って。

安田のように悲しい終わり方もあるかもしれません。多佳子のような人生も。どれひとつ取っても、同じものなんてない…自分だけの「一生」。


登場人物のセリフにも似たような言葉があります。「自分で選んで決めたこと」って。

平にもそんな台詞がありますが…言った上で「なんとなく生きてきてしまった」とも言わせるところが「古川さん凄い」と思って!


日本人は「総括」したのだろうか。

「なんとなく」という言葉からさかのぼり。

観ていて最初に刺さったのは、1948年12月23日の場面で、東條英機たちが処刑されたことを語り合う三人の会話でした。


「生徒を戦地に送ってしまった『責任』」として、智夫は、自ら教職を辞め。復員した大熊は「教師に戻らない」と語ります。大熊が捕虜としていた間も「人としての尊厳」は守られていたこと、智夫は前の戦争の時は日本も捕虜を大切にしてきたのに「今回の戦争では…」と。

信一は大熊に「アカなのか」と問いかけるけど…彼が見たものは、出征を免れた信一が知ろうとしなかった「現実」だと思います。


その場の智夫の「たった40年で、どうしてこんなに変わってしまったのか」と。教職を去るという2人の選択に対して、ピンときてない様子の信一が語る「仕方なかった」「僕たちは悪くない」「逆らえなかった」「東京裁判で裁かれた」みたいな言葉の数々がとても引っかかりました。

古川さんの「旗を高く掲げよ」のハロルドや…「ゲッペルスと私」のポムゼルさんの言葉が頭に浮かんできて、きっと…この頃の大多数は信一のように思ったのかもしれない、って。


そう思ってしまった1948年の結果が、2018年で平がいう「僕たちは『なんとなく』生きてきてしまった」「その時々では真剣に向き合ってきたけど」っていう何気ない台詞にまで、ずっと繋がってる気がしました(だいたいそんな台詞)。


悪いことをして怒られると「怒られるからやめよう」って「なぜ悪いのか」を考えなくなる、と聞いたことがあります。

「ぼくたちは罰を受けた」「悪いやつはいなくなった」から終わり…にしてしまうと「なぜ、そんなことが起きたのか」を考えない。考えないと…また、やってしまう「かも」しれない。

それは、とても怖いことです。


私たちは何を「共有」できるのか

安田が亡くなった時に、吉江が譲り受けた吉本隆明の「共同幻想論」について語り合う場面が好きです。かつて、日本はそれぞれの時代で「大東亜共栄圏」「高度成長」「バブル」という幻想をみんなで抱いていた。共同で幻想を抱けなくなったいま、自分たちには何があるのか…って。

先日、パートナーズの方達からバブルのお話を伺った時「たった10年やそこらなのに、聞けば聞くほど別の世界の話みたいです」ってワタシは言いました。←それで智夫のセリフに反応した

「頑張れば報われる」と信じたいけど「報われないことの方が多い」と知ってしまって。でも努力は前の世代以上に求められて、疲れてしまったこともある年代で…舞台の学と同年代なんです。

だからか、学の「夕暮れ」という言葉が身近に感じました。ワタシの胸の奥には、どこか「あんな好景気なんてこない」「そんなに長生きしても、税金上がるし物価は高いし、いいことなさそう」っていう虚しさや諦観があります。

翔太たちの年代はブラックな職場っぽいし…f^_^;


でも、智夫、信一、平、学、翔太…それぞれに同年代の人ならではの響く部分(共感、とは別に)ってあるんだろうな、と思います。

「全員が同じ方向を見る危うさ」も知っているからこそ、それくらいで丁度いいんじゃないかな?とも。←ゆるい


もし、共有できるとしたら「さびしみ」なのかも知れません。


悪いことばかりじゃない

描かれた2018〜28年の「未来」。

斎藤家の血筋は途絶えたとしても、想いや愛情はちゃんと孫の2人につながれているし…平のいう「父さんと母さんは生きてる間、「家」を大切にしてた。それで満足してると思う」っていう、家族のあり方の変化。

翔太の恋人との話もそう。

受け継ぐものが「血」である必要はないんだなって。思いや愛情…知識、そういうのだって充分繋がっていける。


智夫の「なぜこんなに」には哀しみがあったけど…良いことも、そうでないこともある80年間で、そんな風に続いてくのかなって。

「良いこと」の方が多いようにしていきたいけど。


それは、そのまま文学座という大きな「家族」に対しても同じなのかな、って思います。

杉村春子さんはとても大きな存在です。でも、亡くなられてから20年余…これから先「生で観たことのない」人が増えていったとしても、色んな変化があったとしても。演劇へ思いは変わらないよね?って。

上手くいえませんが、なんとなく古川さんのエールのようにも感じました。

この次の公演が「女の一生」なのも良いですキラキラ


あと4回みるので、まだまだ楽しみな作品です(*´ー`*)ラブラブ←超オススメ


 



あ!あとですね!!

後ろの時代ごとの映像も細かくて面白いです。写真やチラシ記事だったのが白黒映像やカラーに移り変わってく(カラーテレビ型になつのも楽しい。北海道の地震が入ってて「早!」って💦