温かい日になりました。
昨日の四月十日、四十二歳を迎えた。
SNSを通じて本当に沢山の方から祝福の言葉を頂きました。
個別にお礼も言わせて頂きましたが、この場を借りて改めてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
めちゃくちゃうれしかったです!!
いやぁ…今年の頭には、(これはきっと世界中の誰もがそうであろうが)まさかコロナ禍の真っ只中で誕生日を迎える事になるとは夢にも思っていなかったなぁ…。
でもね。
世界的な疫病の蔓延というショッキングな状況下においても、それでも人々の営みは続いているんだなぁって、昨日思いました。
病気と闘っている人々の隣りで生まれてくる命があって、
誕生日を祝ってる人々の後ろで亡くなった方を想って泣く姿がある。
きっとそれは平穏な暮らしの中でも、
少し視野を広げれば同じ景色だったはずなのに。
平和ボケと、バタバタと忙しない生活の中で、
生と死が隣り合わせである事を忘れて、
気づかないふりをしていた事に…
大事なことを見ない日常を過ごしていた事に…。
気づいた。
気づいてしまった。
気づいちゃったらもう、どうにも自分の誕生日すら祝ってはいけないムードの様なものに飲み込まれてしまって、自分から「誕生日です!」という例年の(笑)アピールはしないつもりでいました。
なんたって舞台も映画もストップしちゃったしね…お祝いされてる場合じゃないよね…なんて自分に言い聞かせて。
それでも誕生日を覚えてくださっていた方や、プロフィールから誕生日をお知らせしてくれるSNSの機能のお陰で、お祝いの言葉を頂き、改めて自分の言葉で報告をさせて頂いた次第です。
お陰様で温かい気持ちで誕生日を過ごすことができました。
今回のことを通じて思ったのは、震災や豪雨被害の時に、被災して大変な方がいるんだからと「幸せ」や「楽しい」を自粛しようとする傾向が強い日本社会の中で、自分も知らぬ間にどっぷり浸かっていたのだなぁという事。
そして、その自粛は、無理にしなくていいんだなぁという事。
誰かの死を悲しむ気持ちと、自分の誕生を喜ぶ気持ちは同居できるし、
誰かの誕生を喜ぶ気持ちと、自分の不運を嘆く気持ちも同居できるのだ。
人間は、一つの感情でしか物事を捉えられないわけじゃない。
だから、喜びの自粛はやめよう。
こんな時でも、誰かが自分の誕生日をこんなにも祝ってくれるのだ。
こんなにも温かい気持ちになるのだ。
だから俺も、誰かの誕生日は全力でお祝いすると決めました。
思いっきり叫びます!!
今日お誕生日の皆さん!!
あめでとうございますっ!!
生まれてきてくれて!!
ありがとうございますっ!!