2012年11月19日
思うに
魅力的な人にはたくさんの人が集まる。良い人も悪い人も。
うちはどうなんだろうか。あの人は魅力的だからそうやって集めれるみたいだが
うちはどうなんだろうか。
わからない。うちはまだまだ自己本位だ。自分のことをしていたい。
というより死ぬまでそれで終わってしまうんだろうなって思う。
つらいことも苦しいことも共有しきれないで悩んじゃうんだろうなって。
弱音をはくことは良くないって言われる。
情けない話だが他人の芝は青く見えてしまう。他人の弱さを見ると慰めたくなるが同時にうらやましいという気持ちにもなる。
俺は自分の悩みを言葉にできない。しようとしてもまとまらないので困ってしまう。
自信がないのだろう。これ言っちゃったら終わっちゃうって不安なんだろう。
そこを思い切って言えたならうちはもっと強くなれるのだろうか。
しかし、下手に人を不安がらせるのもよくない。弱音と思われるのもダメだ。
というと、沈黙は金には間違いないと思う。
僕の弱さを誰が求めてる。それに尽きる。うちの弱さなんていらない。強く、気丈に、気高く生きる姿を一番求められてるはずだ。
大多数の人のように怒りや悲しみを言葉にできるほどうちはできてない。
あの人たちは慰められる。うちはこう生きろ、こうなった方が良いと言われる。無条件に大丈夫と甘やかされる時期は終わってしまったのだ。
というよりどこまでが甘いでどこまでが厳しいのか。もうわからない。
みんながうちを甘いと思ってるならうちは厳しく生きて合わせるべき。
みんながうちを厳しいと思ってるならうちはどうしたらいい。そのイメージを大事にして生きるべき。
ならば、うちはうちに対してまだまだ甘いのだ。強く強く生きないといけない。
中途半端が一番苦しい。しかし極端もよくない。まるでギアを変えるかのように徐々にアクセルをふみこむように自分の人生を加速させれるならよしとしていたい。
正直、人に会えば会うほどにもっと頑張らないといけないなって言う気持ちが強まるばかりだ。
もっともっと深い深い奥をのぞき続けないといけないなっていう気持ちが。
よし、だいぶ整理ついてきたかもしれない。
もっと頑張る。やることをしっかり見定めてやり続ける。
人と会うのもほどほどにする。逢う時間も大事にしたいがそれよりもやることが多い。
息抜きの練習だな。もうすべて脳髄で済ませてしまいたいと誤解したくなる。
これも逃げてると言われるのだろうか。
うちは俳優だ。舞台の人間だ。毎日の仕事をしないで遊んでなんかいられないって思うんだよ。