今日の新聞に歌手の高石ともやさんが

 

8月17日に京都市の病院で死去されたと

載っていました・・・(享年82)

 

 

思う所があってすぐさま故郷に住む

年子の妹に連絡を入れますと・・

 

 

高石ともやさんの息子さんと

同じ小学校へ通った甥っ子達が・・・

 

 

ユーチューブでの報道を受け

その内容をメールで送ってくれたそう・・

 

 

「家族同然の人が亡くなって

とても淋しい・・・」と年子の妹が

嘆いていました・・・

 

 

妹宅はその当時村内で唯一の

結婚式やお葬式などの

オードブルやお弁当やお寿司桶類などの

料理の仕出しや・・

 

食料品やお総菜、学用品から

衣類やお酒やタバコ類などに至るまで

 

墓石とガソリン以外

ほとんどない物がないほど

取りそろえて売っている

昔から続く万屋でした・・・

 

 

旦那の祖母とご両親に自分たち夫婦と

アルバイトを2.3名雇ってる

という繁盛ぶりで・・・

 

 

その頃京都市からど田舎へ

音楽活動のために越してこられたのが

高石ともやさんご一家でした・・

 

 

妹宅から見える距離の

道路一つ隔てた葛屋の廃屋に

しばらく高石ともやさんご夫婦は・・

 

 

住んでおられお子さんもそこから

地元小学校へ通学されていました・・・

 

 

ご本人は音楽活動で

長期家を留守になさるので・・・

 

お子さん達は年子の妹宅を

実家のようにして毎日通ってこられ・・・

 

 

お子さんが急病の時には

亡き妹の旦那が自分の車に乗せて

隣町のO病院まで

診察に連れて行く

というようなこともあり・・

 

 

村内に於いては有名な芸能人の

高石ともやさんではなく・・

 

本名の「尻石さん」で村人には

通っていたそうです・・・

 

 

関西出身の亡き奥さんは

「実は私・・高石ともやさんの

追っかけをしていたのよ」と

年子の妹に話され・・・

 

 

年子の妹と奥さんは

誕生日が一緒だったため・・・

 

 

いつも二人でお店に並べてある

ショートケーキで

お誕生祝いをしていたそう・・

 

 

お互いに「Tみさん」「Hみさん」と

名前を呼び合う仲だったと言います・・・

 

 

高石ともやさんの子育ては

とてもフレンドリーで・・・

 

父親のことを子どもに

「お父さん」じゃなく

「トックン」と呼ばせ・・・

 

 

ともやさんはご長男のことを

「ノックン」と

お互いに呼び合っていたそう・・・

 

 

それで自然と友達も正式名じゃなく

「ノックン」と親しみのある

愛称呼びになったそう・・・

 

 

ともやさんのご実家のある

北海道の雨竜町へ帰られるとお土産に

 

 

布袋に入れたバター飴とか

アイヌの刺繍をしたお財布などを

お土産に下さったとか・・・

 

 

妹も帰られると聞くと

名田庄漬けの詰め合わせなど

地元名物をお土産に持たせたとか・・・

 

 

お正月には年子の妹宅に

お義姉さん夫婦や

義妹さん夫婦が帰ってこられて

宴会が始まっていると・・・

 

 

高石さんご家族も見えて

その輪の中に溶け込んで

食事タイムを盛り上げて下さり・・・

 

とても気さくな・・・

お人柄だったと言います・・・

 

 

村内の方には無料で(整理券は必要)

コンサートを行なったり・・

体育系行事に参加したり(マラソンなど)・・・

 


村民一体となって村おこしのために

一生懸命活躍して下さった

高石ともやさん・・

 

 

今日の新聞に旧名田庄に17年 

「大恩人」

 

グループ名に「ナターシャー」

 

 

 

 

と大々的に報道されていましたが・・・

 

 

偉大な人が亡くなり

本当に寂しい限りです・・・

 

心からご冥福をお祈りいたします・・

 

              

             合掌