今朝は地元の同級生の訃報の連絡で起きました。😞
 
事故にあったとのことで…。
3人の子どもを残して
天国へ逝ってしまったそうです。
 
 
その子とは
中学で一緒だったんだけど
 
直接絡んだことはほぼなく、
でもお互い顔は知ってるかな?ってくらいの仲。
 
 
 
なので中学卒業してからも
関わりが一切なかったんだけど…
 
今思えば不思議にも
 
この前の春に私が日本に帰国した際
久しぶりに会った中学の友達が
その子の話をしてきたんです。
 
 
(亡くなった同級生=以下、Aちゃん)
 
友達「いまだに中学の友達でよく会うのは
   Aちゃんかな〜!よく遊ぶよ!」
 
私 「あ〜!Aちゃん!懐かしいね!
   仲良いんだ〜」
 
 
 
私的には
 
「そんな子いたね〜!」
 
くらいのテンションだったんだけど
結局、その帰国の間に
他の子からもAちゃんの話を聞いて
 
「今回、やたらAちゃんの名前聞くなぁ」
 
と思っていた。
 
 
 
まさかこういう形でまた聞くとは、、、。
 
 
そのとき会った中学の友達はきっと今
とてつもない悲しみに暮れているんだろうな…😞
 
 
 
そしたらとても身近に感じちゃって
心がザワついた今朝。
 
落ち着かなくて
日記に思いをバァ〜って書きました。
 
 
 
死ぬってなんなんだろう。
どういう意味があるんだろう。
どうしてこうならなくちゃいけなかったんだろう。
 
 
そんなことをグルグル考えちゃうモヤモヤを
とにかく言葉にして頭から出したかったんだうーん
 
 
以下、その時に思いついて書いたいろいろキラキラ
 
下差し下差し
 
 
 
どんな人も最期がくる。
 
誰にでも訪れること。
 
改めて、生きるいること、生命が尊い。
 
もちろん、魂はなくならないし
 
亡くなっても永遠に「私」は魂として
存在し続けると信じているけど…
 
 
この人生。
 
この肉体と共に過ごし、体験するこの生涯。
 
これってかけがえのないことだよな。
 
 
 
魂は永遠でも、この身体は今期のみ。
 
大事な大事な「私の身体」との時間。
 
それも体験したくてうまれてきたんだよなぁ。
 
選んで生まれてきたんだよなぁ。
 
 
だからもっと
一瞬一瞬を大切にしたいね。
 
自分の身体と仲良く繋がって。
 
 
 
 
私たちはもともとワンネスだから
 
今こうして分離を経験して
 
「他人」を「他人」としてみれているのって
 
すごく貴重なこと。
 
 
触れることができるし
 
愛しあえるし
 
いろんな感情が湧くし。
 
 
今日だって
 
こうしてAちゃんを尊むのも
 
哀れむのも
 
この世界の、この姿だからできること。
 
 
 
分離は体験。
 
これがしたくて生まれたんだ。
 
 
 
 
 
Aちゃんの死を通じて
死ってなんなんだろうって見つめた先に
色々出てきた想いや考え。
 
生命は儚くてすごく尊い。
 
 
 
 
私にもきっと
生まれる前に決めてきた人生のシナリオがある。
 
その最期は必ずくる。
 
 
 
それを迎える瞬間に
後悔なくいれるようにいたい。
 
「今」を後悔なく生きていたい。
 
 
 
 
 
です!
 
 
今日はちょい暗いトーンでごめんなさいねっ泣き笑い
 
気分を味わったので
ここまでとします!✨
 
 
 
 
接点があまりなかったけど
私の世界に現れて
色々考えさせてくれたAちゃん
 
ありがとうございました。
 
心よりご冥福をお祈り申し上げます。🙏
 
 
 
 
悔いなく生きよう🥰
やりたいことやろう🥰
 
それではまたほっこり

 

Love & Gratitude,
Uka

 

 

 

 

 

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