科学史の匂い、ルーヴル美術館展 | 京都を遊びつくすブログ

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京都市美術館で開催されている、

ルーヴル美術館展に行ってきました!

期間は、2015年6月16日(火)-9月27日(日)です。



はぁぁぁぁもうすごく圧巻させられた企画展だったので、

どこから書けばいいか。。。

3時間くらい滞在してましたからねwwww

まずね、もう、

フェルメールの『天文学者』でしょう。

私の好きな物理学者、

ライプニッツ木魚セロリ先生がツイッターで、

この作品について言及していたことがあったのを思い出して、

この作品に出会えたことが嬉しくって、

思わずニマニマしながら屈伸を繰り返しましたからね。

変質者ですよもはやw

ちょっと話ずれますが、

私はお気に入りの学者さんに、

私だけのニックネームをつけるクセがあるのですが、

それでよく嫌われてアカウントをブロックされるんですよね。

ドゥルーズやガタリを研究している学者さんに

ブロックされたりですね、えぇ。




話を戻しましょう。

フェルメールの「天文学者」については、

今は言及しません。

何を書いてもただのコピペになるだけで、

自分の言葉ではまだ何も言えないからです。



さて。

自分の言葉で紹介できる作品に移りましょう。



ピーテル・ブリューゲル1世 『物乞いたち』


最晩年の作品だそうです。

パッと見、丸尾末広の作品のようだと思いました。

ホンマの人間社会を描いた。

この作品には、

帽子によって、王、司教、兵士、市民の象徴を

表現しているそうです。

また、狐の尻尾も描かれているのですが、

当時フランドルでは、これは賄賂に使われていたそうです。

中世の日本では賄賂のイメージがないので、

ちょっと想像しにくいのですが、

社会階級のヒエラルキー間で賄賂があったということでしょうか。

また、この作品の右端に、托鉢をしている僧侶、

もしくは乞食?とも読み取れるような人物がいます。

でもこれは、日本人の私から見た感覚なので、

当時のフランドルでこの人物はいったいどういう立ち位置の人物なのか、

わかりません。

ヨーロッパにも、中世日本のように、

天皇とケガレを行き来していた職業があったのでしょうか。



ジョヴァンニ・パオロ・パニーニ

『神殿から追い出される商人たち』


廃墟を描く有名な画家に、パニーニとユベール・ロベールがいます。

彼らの廃墟の比較は、

どんな風に研究が進められているのかが気になるところですが、

個人的には、パニーニの方は、廃墟の建築描写は簡素で、

そこにいる人々の描写が細かいイメージがあり、

ロベールの方は、とにかく廃墟の描写が細かいというイメージがあります。

もう、塵一つまで書き上げる執念、みたいな。

で、私はそのパニーニの、人物の描写が好きでしたw

廃墟の中で開き直った人物の姿に

笑えたり(それはまた別の作品でしたが)。

ただ、『神殿から追い出される商人たち』からは別段、

強く印象に残ったものはありませんでした。

まぁよくあるメッセージかしら、くらい。



ジャン・ミシュラン

『旅籠屋で休息する兵士たち』

兵士の絵なのに、なぜかフラスコが描かれている。

フラスコはおそらく、科学的思考の象徴なんじゃないかと

憶測しているのですが、

(この時代の「科学」の範囲、「魔術」の範囲についても、

ライプニッツ木魚セロリ先生はツイッターで言及していました)

兵士とフラスコですよ。かけ離れていません?

ちょっと気になりました。




第Ⅳ章には、狩りの風景を描いた作品がいくつも展示されてありました。

一貫して、優雅な貴族の狩りの描写に笑えましたw

ターゲットに対して指を指すだけとか、

もはや何も狩らずに山でハイキング気分とか、

そういう描写。

対して庶民の狩りは躍動感に満ちていました。




シャルル・ブラン『キリストのエルサレム入場』

これ、別に西洋の世界ではどうでもいいことなのかもしれませんが、

キリストが右前の衣装を纏っていたのが気になりました。

あと、全身青色ね。で、黄色い布の上にどっしり座っている。

それと、エルサレムなのに、跪いている人がいるのが不思議でした。

え、だってエルサレムですよ。

あと、左端に、黄色の衣装を纏った人が、キリストに指を指して

否定しているのも描かれていました。




ジョゼフ=マリー・ヴィアン

『アモルを売る女』


この作品は、古代ローマの壁画の図像を作品に取り入れたことで

賞賛を得たそうです。

女性の髪形も古代ローマっぽいらしいのですが、

現代日本人の私の感覚からすれば、

かなりモダンな夜会巻、という印象でした。

簡単に説明すると、貧乏な女性が、貴婦人に「愛」を売る

絵なのかなと思いました。




クエンティン・マセイス『両替商とその妻』

私は今回の企画展で、2番目に衝撃を受けた作品です。

(一番目はもちろんフェルメール)

ゼニの勘定をするダンナ、聖書を読もうとするけどダンナが気になる妻。

背景にはフラスコ、リンゴ、銅鏡のようなものがある。

で、私はこのリンゴは、ニュートンの発見した万有引力と

関係があるものかと思い込んでいたのですが、

この作品は、万有引力の発見より前に描かれています。

だったらこのリンゴは何を象徴しているのでしょうね。

フラスコはおそらく、科学的思考の象徴でしょう。

また、鏡には読書をする老婆みたいな人物と、

キリスト教会のようなゴシック調の建物が反映されています。

そして、扉の向こうには老いた男女二人の会話が描かれています。

なんだか暗示がてんこ盛りですねw

鏡に映る老婆が読む本が、当時主流の思弁の学問だと仮定すると、

この作品のテーマは

「綺麗事」と「現実」の対比

もしくは

権威の流転

なんじゃないかと推測しました。

いやはやかなりの独断ですみません。



最後の方に、ユベール・ロベールの作品が展示してありました。

彼は、先ほども紹介したとおり、廃墟をよく描いた画家でした。

また彼は、ルーブル美術館の整備と運営にも深く携わっていたそうです。

詳細は思い出せませんが、建築家である磯崎新さんが、

『磯崎新の建築・美術をめぐる10の事件簿』という本にて、

この人物を取り上げていた記憶があります。

この本は読んでから実家に送ってしまったため、

どんな内容だったか詳細は覚えていませんが、

たしか、ルーブル美術館の本当の画策について、

書かれていたように記憶しています。




さて、今回の企画展の流れとしては、

常識と権威の変容の過程を追従する、

というものだったかと思います。

日本における科学史は、

疑いもなしに明治政府は輸入学問を盲信したという

イメージが私にはありますが

(本当は違うかもしれませんが)

ヨーロッパにおいて、

測量する、ないしは実験するという方法論が

どのように人々に認識されていったのか、

その激動の時代を再現したと、私は体感しました。

専門外すぎて的外れなことを言ったかもしれません。


このブログを書いた人
山本和華子

本を出版しました!