♪毒死列島 身もだえしつつ 野辺の花♪ (石牟礼道子さん) | ルンペン放浪記

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労働者のありったけ

表題は「苦海浄土」の彼女が3・11の時、誕生日の84歳になったときの句というか、ことばだ。

あれ以来、どれほど多くの人たちが苦しみながら放射能から逃れるかと、絶望していたのに、すべては逆、逃げた人たちを非国民としてお縄をかけ、あろう事か鹿児島や四国にわっかをはめて、手込めにする。さらに、貧乏人をぶちのめし、アメちゃんの戦争に放り込む。
希望も絶望もありはしない。

すべてめちゃくっちゃ。


そんなときに、辺野古の戦いが水俣を知り、放射能に直面した彼女の「野辺の花」だろう。

暴動は駄目だ。
目的は手段を浄化しない。
ここに来て、戦争法案可決に抗う人たちが全国津々浦々で声を荒げて、叫びはじめた。
わたしは知っている、釜の暴動や山谷を。そこで手配師に脅かされながら、どん底で働いたことがあるからだ。

暴動は、必ず鎮圧される。

うまく成し遂げても必ず堕落する。

昔、「戦争と人間」(五味川純平)で読んだひとつを引っぱり出してみた。


関東司令部の将校たちは、ごく少数をのぞいて、毎日のように宴会に出たり、遊興のために行方をくらましたり、酒に酔って女中に戯れたりしていた。戦を好んだのは彼らであり、戦わなかったのは彼らであり、傷つかなかったのも彼らであり、戦功をになったのも彼らなのである。


たぶんもっとひどいことになるだろう。
わかっている。

戦争より前に、きっと放射能でやられるかも知れない。

そういう今をきっとわたしたちは生きている。

それでも「野辺の花」に感動する人たちがいる。
鳥や、猫や、花が、放射能にやられて滅びそうになっているが、目をこらすと生きようと必死になっている生命をまだ目にすることが出来ることに。