「“寺歩き”はかっこわるいけどね」といいつつ、古巣へ戻って来た“ばか” | ルンペン放浪記
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労働者のありったけ



電気・ガス・水道を止められて、煮炊きは木っ端、水はテニスコートの水道、灯りはローソク――国会前座り込みに行くのも新宿サウンド・デモに行くにも、電車賃をケチってチャリンコだ。

それなのに腐った屋根も修繕しなきゃならん、いかれた浄化槽を放流式の下水道に直結しなきゃならん、ムショ帰りのにーちゃんのために2階のトイレもなんとかしなきゃならん、ひーひーいっているところを狙ってNHKが、裁判やるぞと、雁首揃えて、いらっしゃいなさる。

「つまらない番組ばかり垂れ流しやがって。どうして払わにゃならん。あっち行け!しっ!今度来たら叩きのめすぞ。しっ!」


そんな折りしも折り、1年前釜ヶ崎に追っ払った“ばか”が、案の定、戻ってきた。



ルンペン放浪記-浅見勇
(去年、釜ヶ崎にずらかる直前に撮った“記念写真”。09年4/20、4:30pm。相棒を連れて、深夜バスで行ったが、飲んだくれの相棒のほうは行方不明。下戸の“ばか”は、いつでも、どこでも元気だ。)



郡山で3人の“乞食狩り”に襲われ、チャリンコはぶっ壊されるわ、悪がきのいちばん年嵩を追いかけまわしている隙に荷物は掻っ払われるわ、交番に泣きついても取りあってもらえないわ、腹はへるわで、およそ220キロをてくりにてくったという。

「腹へって死にそうだ。たすけてくれ」
たすけて貰いたいのは、こっちの方だ。
「飲まず食わずやってるんだ。他をあたれ」
「残った食いもんでいい」
「そんなもんあるか」
「ドッグフードがあるぜ」
ヨドコウの物置にめざとく見つけた成犬向けペディグリー6・5㎏をぱくつこうとするら、ワンワンだって、黙っちゃいない。
絹さやの植え込みから飛びだして来て、火炎放射器みたいに吠えたてた。

たまるかってんだ!

それで仕方なく庭に火を起こし、スーパーの籠のなかから拾ってきたキャベツの青いやつともらい物のソーセージを刻んで、ありったけの残飯を放り込んで、大鍋山盛りいっぱいの雑炊をこさえると、食うわ食うわ、こっちの分まで平らげ、ワンワンにお裾分けした分まで手を出そうとするから、薬指の付け根をがぶりと食いつかれた。

「おお、痛てえ」
「飼い犬に手をかまれたな」
「何で?」
「そいつも、捨て子や」
「なあーんだ。おらと同じじゃねーか。ごめんな。さあ、遠慮はいらん。よしよし、たらふく食いな。横取りされんようにわしがちゃんと張り番しといてやるからな」




そういうふうにして、“ばか”はちゃっかり、荷物置き場とチャリンコをせしめ、当座の食い代を寺歩きをやって――初日はすぐそばの円泉寺で700円と赤飯2パック。翌日はチャリンコで1時間半ばかりの川越で3000円とパン一袋。同じ日に西川越のお寺さんで6000円とおにぎり――ひと息つくと、やがて本業のカンコロ拾いをはじめた。


ルンペン放浪記-駐輪場
(駐輪場の一角は、いつしか、やっこさんの荷物置き場となった。寝袋、カンコロ、鍋、フライパン、毛布などが積まれていく。)





「キロ30円まで落ち込んだのが、今は105円だからね。踏みつぶして120リットルのビニール袋にいっぱい入れて10キロ、1000円になるぜ。一日2袋、2000円がノルマさ。東京じゃキロ115円だけど、そこらじゅうホームレスだらけで、商売あがったりさ」

「寺歩きやったほうが、楽ちんじゃねえのか」

「あれは、かっこわるいぜ。でも寒くて動けなくなりゃやるさ。仙台、青森、福島、水戸、つくば、茨城の坊主は吹雪の日に行くと最低でもおにぎりと300円の“わらじ銭”をくれるぜ。だいたいが500円とにぎりめしふたつというところが相場だな。茨城の坊主に一度だけ3万貰っておったまげたことがあるぜ。東京の寺は門前払いばっかし。創価学会もからっきしお呼びじゃねえ。キリスト教は、金はくれんが、着るもんはくれるし、日曜日ならめしも食える。夏でも天理教に行けばおにぎりをくれるぜ。でもよ、恵んで貰うっていうのはやっぱり恥ずかしいもんだぜ。働いて堂々と稼ぐのがいちばんさ」

稼ぎがあると、いちいちそのたんびに見せびらかしにお出ましなさる。
最初は19キロ2000円と缶コーヒー、次の日は雨に祟って3キロ300円、明くる日は、飯能の天覧山のそばにあるお寺さんで草刈りやって4500円だ。
それでもいつも、みんなにくれてやるから財布のなかは空っぽだ。




ルンペン放浪記-3000円、いただき
(今日は、クズ屋で半日仕分けアルバイトやって3000円のいただき。「前は4000円だったのによ」だと!撮影は、5/8 午後1時。)


読めない書けないどうしょうもないと、筋金入りの三重苦をぶらさげていたので、やっこさんは、仲間内で “ばか”と呼ばれていたが、そいつは憎めなさから来る愛称だ。
つまり、磔にされたキリスト様を拝むがごときまぶしさゆえに“ばか”と呼びならわされているのだ。

そりゃ、たしかに、そうさ。


“ばか”は、ほっつき歩いているときも、とっ捕まったときも、死にそうなときも、逃げまわっているときも、ごみを漁っているときも、鍋やフライパンの柄をたたき落としているときも、スーパーのためし食いをぱくついているときも、苦心惨憺してたどりついた居宅保護をおっぽり出してずらかるときも、卑しさのかけらもなく、ふしぎに、お天道様みたいにポカポカしてやがる。
首に生年月日の札をぶらさげて捨てられた1歳から64歳まで、拾われたり、売り飛ばされたり、おっぽり出されたりして、だまされ、襲われ、こき使われ、けちょんけちょんの目にあってきたというのに、やっこさんだけは、はじめてお目にかかったときからいつもご機嫌だ。

「何で、おまえ、いつも、ばかみたいにポカポカしているんだ?」

「くそったれどもとやりあうからさ。ひでえのとやりあってりゃ、ひとりでにポカポカしてくるぜ。どんなに叩きのめされてもな。『はいはい、すんません。どうか勘弁してください』なんてやって、テレビのばか騒ぎをぽかんと見ていりゃ、そりゃ、だれだって落ち込むぜ」

もちろん六法全書も知らないし、聖書の教えも、学問も、偉人賢人立志伝中も、坂本龍馬も、娑婆がありがたがる知識も情報もかしこいノウハウも、だれがもてはやされ、だれがけちょんけちょんにこき下ろされているかも知りゃしないが、なにが正しく、なにがまちがっているか、なにが醜く、なにが卑しく、どういう行いが恥ずかしいか、そして、どんなやつがくそったれかは、ちゃんとわきまえていた。


●ホームレスは人間のクズと“ばか”にしているやつらが、くそったれなのさ。●


「ホームレスだったら、住基カードをこさえたらいかんのか。糞が!どっちだ!」
掻っ払われた郵便通帳を再発行して貰うため、いっしょに住基カードをこさえに入間市役所に行ったとき、“ばか”は、市民課の窓口に突然、火を噴いて食ってかかった。


●おまわりは、やくざと同じさ。ひとりじゃなんにもやれないぜ。「そのチャリンコ、どうした?」と来たから、「ダチに借りているんだ」といったら、ねぼりはぼり聞くから、うるせえ、ホームレスいじめやってないで、糞して寝ろといってやったんだ。そうしたら、ちょっと待て、といって助っ人を呼びやがるから、そのまま、豊水橋へづらかったんだ。やつら、白バイに乗って来たぜ。3人も。豊水橋にゃ、内藤の親爺はくたばっちまっていないが、実の兄貴がおまわりやってる長谷部のおとんがいるからな。「おれが貸してやってるんだ」と、おとんが凄んだぜ。「防犯ステッカーと名義が違うけど」と来たら、長谷部のおとん。「おまえら、ノルマがあんのか。時給いくら貰ってるか知らんが、ぐだぐだやってる暇があったら、裏金作りの署長をパクらんか!」と吠えたぜ。それでも、粘ってやがるから、おとんとわしとふたりで、3人のおまわりに体当たりくらわして叩き出したぜ。やつらがまちがっていて、おれたちが正しい。それだけのこった!●



なるほど、その通りだ。
八重樫と名乗る狭山署のおまわりがその日の夕方、7時頃、家に来た。

「警察手帳を見せろ」

NHKの職員もそうだが、上の方のやつらは、あれこれいって、身分証を見せない。

「ホームレスと見りゃ何でいちいち、職質をかますんだ。いい加減にしねーと、『ホームレスいじめの張本人は狭山署だ!署長は出て来て、土下座して謝れ』とやるぞ。いいか!くそったれめ!覚悟しとけ!」
といってデジカメをぱちぱちやったら、“ばか”たちふたりに叩き出された3人の上司らしいそいつは、びっくらこいて、すたこらさっさと逃げだした。



ルンペン放浪記
(肖像権があるといって逃げまわるおまわり。そんなものがどこにある、「見せてみろ」といって、一発撮影。4/30、6:55pm、at自宅。)




顔写真や指紋をとって、果ては、綿棒を突っ込んだり、けつの穴まで調べて、恥ずかしいと思わんのか!

読めない書けないどうしょうもないの“ばか”のほうが、はるかにまっとうだ!!

学があろうが、位が高かろうが、弱いもんをとっちめて点数稼ぎやってるおまえらこそ、制服をまとった人間のクズだ!


やっこさんの爪の垢でも煎じて飲め!






――――記――――



昭和20年7月21日生まれの彼は、1歳の時、横田基地で働いていた調理師夫婦に拾われた。5歳になったとき飯能の材木商に使い走りとして売り飛ばされた。当時の材木屋は、猫の手も借りなきゃどうにもならんほど忙しかったらしい。からだが出来てくると、材木運び、伐採、農繁期の農家との期間契約にぶち込まれ、からっきし公民教育を授かることはなかった。

17歳の時、材木商の親爺が死んだ。
遺産相続の権利のある彼を、跡継ぎはおっぽり出した。
それで調理師の元に泣く泣く助けを求め、飯能の造園屋に口を得て、20歳になると、こぶつきのねーちゃんと同棲した。
造園屋がパンクした32歳のとき、同棲生活は破綻した。

打ちのめされた彼はやがてたてなおり、以来32年間、ずっと野暮らしを張って踏ん張りつつ、今にいたる。