目玉の群れ、山谷・玉姫公園の“越冬・炊き出し”にて。 | ルンペン放浪記

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労働者のありったけ


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はじめてここへたどり着いたときの感動は、決して忘れることが出来ないだろう。


その底知れぬ活力といい、安上がりでやりくりするその、舌を巻くような知恵といい、血を売るやつも、生き血を吸うやつも、喧嘩腰でからだを売るおなごも、誰もが昂然と頭をあげ、てっぺんの危険な足場を渡るときのように、それぞれの矜持を握りしめ、汚く罵りあい、浅ましくのぞき込み、陽気に冗談口をたたきながら、……そこには、恐怖も、みじめさも、切れば血の出る欲望も、嘆きも、切なさも、世界を吹っ飛ばすほどの憎悪も……つまり、この世の一切合切が、あからさまにのたくっていた。
世界の底が抜けようと、たとえ、やつらの猥雑さが花壇のようにきれいに刈り込まれようと、たとえ根こそぎ抹殺されようと、そのことは、永遠に変わらない。


みずから買って出て、けんちん汁に入れる“そば”の盛りつけをこなしながら、あたりを見まわすと、ぼろとぼろの隙間を、叩きつけるような寒気が吹き抜けていた。
火の粉が飛び、あちこちで炎がゴオゴオと唸りをあげる。
ここは、ひとつところにとどまることもぶら下がることも出来なくなったやつら――見捨てられ、傷つき、蔑まれ、みずから望んでこの世を見限るほかはなかったやつらの――ほんとうの故郷だ。
どんづまりの砦だ。



ルンペン放浪記-炊き出し
(テーブルに群がる人たち・2008・12・31 6:30pm。この日は251食が炊き出された)


病人もいる。
酔っぱらいもいる。
おそろしくみじめなやつもいる。
おそろしく疑り深いやつもいる。
一から十まで文句たらたらを吠えつづけるやつも、自分よりみじめな人間を物色に来た鼻持ちならぬやつらもいる。


湯気がもうもうとあがり、着ぶくれしたはらのまわりに、誰もが、不幸をいっぱいぶらさげ、黒々と群がっていた。
さわればぱたんと倒れそうなひょろひょろの老いぼれも、きちがい女も、てらてら光るぼろのおっ乞ん食も、いかすねーちゃんも、ちんばも、腰のひん曲がったのも、斑点まみれの死相も、もはや、再起不能と思える弱り切ったやつも、廃人のごとき髪ぼうぼうも、うすのろも、誰もがいちように、死の淵に踏みとどまり、待っていた。


夜明けがなくとも、たとえ殺されようとも、今は、テーブルで湯気をあげる飯皿とけんちん汁だけが、全世界より貴重な何ものか、だった。
盛りのいい飯皿に狙いをつけるやつらの、不気味な目玉が、無数にひかる。
そこまで来れば、精神が肉体とともにいるかどうか、疑わしい。
肉体だけが、生きながらえる“今”を確信して、鋭い眼光をかたちづくっていた。
その、ぎらぎらした目のひかりは、殺人と紙一重だ。


それにしても、いったい?
おれたちにあわれみをかけて何になる?
おれたちを親切に扱って?


だが、はにかんだような声が響いた。


「どうぞ、取ってください」


ああ!
そのひとことで、どれほど多くの人たちが、心をあたためられたことだろう!
(さあ、遠慮せずに、どうか、食べてください!)
その、奇跡のようなひとことを、おれたちはどんなに待ち焦がれたことだろう!


着ぶくれした黒い群れが、お目当ての皿を手にした瞬間、おぞましい目の色は、たちまち、優しく、敬虔な色に変わっていく。
数本しかない歯や、一本も残っていない歯ぐきの土手で、もぐもぐと噛みしめ、めしは噛めば噛むほど甘い香りがにじみ、ごくんと飲み込むたびに気が遠くなりそうだ。
ぺちゃぺちゃ、もぐもぐ、誰もが、鼻水をすすりながら噛みしめ、何ともいいようのない幸福感につつまれていく。


ああ、うまいの、何のって!
おい、見ろ。今日も何とか無事だったぜ!


途絶えていた人の声が、あちこちから洩れ、すべてのやつらに行き渡った飯皿が、それぞれの手で洗われ、やがて、誰からともなく、ひとり、またひとりと、ブルーシートやダンボール、地下道や路上の冷たいねぐらへ、まるで自分たちの境遇に満足しきっているかのように、ゆったりした足取りで戻っていく。


遅くまで残っているのは、この三十年、“越年・越冬闘争”を連綿と引き継いできたやつらと吹きさらしの玉姫公園に蒲団を敷いて野宿するねぐらのないやつらだ。
私は、彼らのことは、何ひとつ知らない。
名前も知らないし、ことばを交わしたこともない。
一片の砂鉄が、磁石に引きつけられるように、寝袋とテントを背負って、埼玉のはずれから、やって来たまでだ。



ルンペン放浪記-テントでくつろぐ人たち
(テントでくつろぐ人たち 2009・1・4 7:30pm at 玉姫公園)



それでも、彼らといると、ひとりでに会話が弾み、胸が躍り、血が沸き、肉が踊り、そして、何ともいいようのない安らぎにくるまれる。
でっかい鼻の、えらの張った髪ぼうぼうの男も、眉の濃い沖縄のにーちゃんも、切り刻んだ面構えの鷲鼻のインテリ風も、肩幅の広い温厚そうな顔立ちも、所持金22円の41歳のハケン切りも、マスクで覆面をした活動家たちも、みな、いちように薄汚れ、私と同じようにひどく醜かった。
それでも、万力で締めあげるような残酷な仕打ちも、彼らの魂に何の被害も与えていなかった。

彼らこそが、顧みられることなく滅んでいく人たちをこっそり支えているのだ。
他でもない彼らが“闘う”からこそ、人は人でありつづけ、この街はこの街でありつづけ、世界は世界でありつづけているのだ。


やがて、公権力は、この街のあちこちにこびりつく血のぬくもりをあとかたもなく消し去るだろう。
地球を、も。
世界を、も。
いや、たとえ生態系が絶滅しても、ここは、(もしこういういいかたが許されるなら)私にとっても最後の砦だ。
私にとっても永遠の故郷、幻の砦だ。


彼らといっしょにいると、ガザを思う。
釜や辺野古やデンバーを思う。
不運の星に生まれてきた人たちを思う。
どんな目にあっても決して「まいった」といわなかった人たちを思う。
彼らといっしょにいると――吊され、虫けらのように殺され、闇から闇へ葬り去られていった膨大な人たちの、血塗られた地下の歴史につらなっても一向にかまわないと、思う。



ルンペン放浪記-都庁で吠える“実行委員”たち
(底辺を見殺しにするなと、都庁で吠える彼ら。2009・1・5 9:30am……その後、厚労省で同じ趣旨の“申し入れ”が行われた。同日 11;00am )




●二度立ち寄った、日比谷公園の派遣村は華やかで、別世界のようだったが、そこにもまた彼らと同じような人たちがおおぜいいた。一晩過ごした渋谷・宮下公園にも、彼らと同じような人たちがたくさんいた。きっと、そこにも、ここにも、どこにでも、そういう人たちがいて、死に瀕したこの世を、崖っぷちで支えているにちがいない。●




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