『あたしね、そんなふうにして、嫁入りしたの』と、しなびた婆さん。
友人たちがそれとなく就職活動をはじめたころ、あんたは、わざわざ「さようなら」といいに来たわ。
新学期の始まる二ヶ月ほど前のこと、ね。
そのときの、あんたの青ざめた顔を、今でもまざまざとおぼえているわ。
あんたがいなくなって半年して、あたし、アパートをたたんだわ。本もノートもバイオリンも、父も母も、過去も、婚約者も、年をとってから懐かしむはずのアルバムも……、あんたの写真を一枚だけ残して、ほかはぜーんぶ、捨てたの。
それから、探したわ。製鉄所の社宅、京都の親戚、高知の桂浜、川崎の工場街区、寿町のドヤ……、くたびれて、国分寺のアミーという珈琲屋にへたり込んでいて、偶然、一橋の知りあいから釜ヶ崎が熱いと聞いたの。
それで鈍行をキセルして、釜ヶ崎にたどりついたわけ。
朝がはじまったばかりだというのに酒盛りをしている男たちが、いたるところにいて、饐えたような臭いがするの。
この臭いだわ。
あたし、ここにまちがいないと思ったわ。
あんたは、こんなところが好きだし、こんなところにいるとくつろげるんだもの。
酒盛りのおっさんに、「この人、見ませんか」と、アルバムから剥がしたあんたの写真をとりだして見せたら、「その兄んちゃんなら、二階にいるぜ」って、ぶっきらぼうに教えてくれたわ。
どきどきしながら二階に駆けあがると、寝転がった男たちで足の踏み場もないの。
みんな、ダンボールを敷いて、汚れて、貧しくて、ひん曲がっていて誰が誰やら、わけがわからないの。
それでも、あんたを見つけると、何だか涙があふれて、どうかなりそうになったわ。
あんたは新聞紙をかぶって、エビみたいに丸くなって、くたびれ果てて眠っていたの。
新聞紙をどけると、そこにまぎれもなくあたしのよく知っているあんたがいたわ。
かわいそうに、髪は伸ばし放題、髭も剃っていないし、まるで乞食の行き倒れみたにがりがりに痩けていて、ろくに食べていないし、お風呂にも入っていなかったのね。
思いきって、あんたのがさがさした唇にそっと唇を触れたの。
生まれてはじめての接吻よ。
あんたは、びくりと痙攣して、ゆっくり目を開けたわ。
充血したどろんとした目だったけど、芯は燃えていた。
「あたし、来たの」
そういったら、あんたの口からことばが堰を切ってあふれ出るの。
「日雇いの組合を作っているんだ」
「まあ」
「たいへんな仕事だぜ。血なまぐさいし、みんな、おそろしく疑り深い。でも、おれはやるぜ。おれにゃ腕っぷしも、銀行強盗に押し込むくらいの度胸もあるし……。海千山千のやつらをまとめあげるには、おれがいなきゃだめなんだ。おれは、やつらといると人が好きになるんだ。わかるか?」
「ええ、わかるわ!」
よくわからなかったけど、そう叫んで、あたし、あんたに飛びついたの。
それから何十年になるかしら。
若いころは死にものぐるいよ。あとは、いろいろつらいことばかりあって、とても、ことばでいいあらわせないわ。
死んだふりして、嘘のしあわせにしがみついているのも、つまんないし……まあ、生きるって、こんなものなのね。
「でんぐりかえってみても“あばよ”しかないね」とホームレス稼業の爺さん。
警察にかかったら、まったく、人権も糞も、あったもんじゃないぜ。
いくらうるさいからといって、縄で首を絞め、もうろうとしたら、気付けスプレーでしゅーしゅーやって、「減らず口を叩きやがって!思い知ったか」と両足を持って逆さ吊りにするんだからね。ぶち殺しそうになって、ふと、「やべえ。450(汚れ)なんて殺す値打ちもねーや」とわれにかえって「このへんでやめてやるさ。ありがたく思え」と、“憲法”がご覧になったら腰を抜かすような虐待を来る日も来る日もやってやがるんだからな。
ちょっと前ならまだなんとかなったさ。
「へえ、へえ……はい、はい……ええ、ええ、そうでっか。おっしゃる通りですわ。えろう、すんませんね」と、やりゃよかったのさ。
それから、腹の中であっかんべ喰らわして、外で唾吐いて、隙を見てパトカーのボデイをどかんと蹴飛ばし、知らんぷりして、屋台のねーちゃん相手にくだを巻きゃ、ね。
今は、おれたちを絞め殺したいやつらと、のるかそるかの戦争だぜ。
狙われたら、いちころさ。
やつらは増える一方のブラック・リストを、しらみつぶしに潰しにかかって、たれこむやつのポケットに報奨金を詰めこんで、入りきれない分を猫ばばしてやがるのさ。
やがて、みんな片っ端からぶち込まれるぜ。
もはや、泣き寝入りもへったくれもないさ。
喜び勇んで恭順の意を表わして、しなびたちんちんに白旗くくりつけて撃ち殺されるか、それとも、「ひとりずつ、つけ狙って、ガードに逆さ吊りして、気を失いかけたらバケツの水をぶっかけ、ダガーナイフでずたずたにしてやるぜ」と、凄むのか?
釜のやつらは、間髪を入れずビラ撒きやって、「出て来て謝れ」「ふざけんな」とやったわけさ。はやりの言葉でいえば “抗議行動”ってやつさ。府警のおまわり、放水銃かまして、二度と刃向かえないようにかたわにしようと躍起になってやがるんで、やつらは、自転車から線路のぐり、自販機のワンカップのありったけ投げつけて、躍りこんでいったわけさ。
つまりは暴動さ。
参考: 実録“釜ヶ崎第一次暴動”へ
いくら屑しか集まらんといっても、警察も、霞ヶ関と同じさ。骨の髄まで腐りきってねーと、一日だってまわらんのさ。
みんなちょんにして、すべての業務は、ホームレス支援のNPOに委託したほうがましなくらいさ。
府警のやつら、地団駄踏んで、仕返しに筋金入りを持って行きやがったらしいが、屑が束になってかかっても、びくともしないぜ。
筋金入りがどんなやつか知らないけど、たぶん、そんな爺いさ。
手こずったらパック3でも劣化ウランでも、国連軍でも、FBIでもぶち込んでみりゃわかるさ。
おれたちもそうだがね。
嘘八百かまされて、コケにされて、誰が尻尾をまくか、ってんだ!
一方じゃ、サミットサミットと、歓迎ムード一色の八百長レースに「いらはい、いらはい」と浮かれ騒ぎ、ふざけるなというやつには、免許の住所が違うの、失業保険をごまかしやがるのと、見えすいた因縁をつけ、ずかずか土足で踏み込み、金玉にしゃぶりついてるぜ。
誰がもてなすかと、びらを撒いた“ふとどきもの”を一網打尽にして、それでも黙らないやつらに猿ぐつわをかまそうと、ビザ留保、通行許可証、検問、交通規制……と、まるで本土決戦の物々しささ。
そりゃ、まっとうなやつらは毛嫌いされるさ。
警察、自治体、政府、マスコミはもちろん、いっしょに働く同僚からも、いっしょに住んでいる家族からも、何十年も飲み歩いた友達からも、こてんぱんな目にあわされるさ。金にもならんのにわざわざ関わりあうこたあねーぜ。知らんぷりしてろ。だんまりを決め込むのがいちばんさ、とおれもずいぶんやられたからね。
わかってるさ。
でも、おかしいことはおかしい、と吠えるって震えるほど楽しいぜ。一度思いきって吠えてみればわかるがね、病みつきになるさ。
自分自身に唾を吐きかけて生きのびるより、やつらに唾を吐きかけて殺されるっていうのが、生きるってことなのさ。
それがおれの結論だ。
やがて「さようなら」が、何でもないやつらのところにも、どかどか、落ちてくるぜ。
そうなる前に、いつでも、どこでも、「あばよ」と、しっかり腹をくくっときゃいいのさ。
●テントと寝袋を自転車にくくりつけ、しばらく、北海道をよたよたと徘徊してまいります。松野さんの生まれ故郷、下北半島をめざして、苫小牧港→夕張・炭鉱長屋→洞爺湖サミット・キャンプイン→ホームレス・札幌バスターミナル→函館経由で→六ヶ所村にいたる路上ホームレスです。●