デンバーから戻って2週間になろうとしている。
デンバーでは書くことがいっぱいあったが、ここに戻るとなぜかしら書くことがない。書くということは脳梗塞で飛んで行った喜怒哀楽を呼び覚ますリハビリの第一歩のように思えるから、毎日何とか書こうとして、何度試みても、やはり書けない。
選挙のことや政治、一日おきにやってくるホームレスの変化、基地拡幅反対の辻立ちのこと、散歩で見聞きすること……書くことはいっぱいあっても、やっぱり、そうなのか!
五臓六腑に食らいついている死神がどいてくれない限り、無理なのか。
(かつては近所のちびっ子たちとよく川遊びしたものだ。懐かしいなあ!)
死神は食らいついて離さない。
声帯に、みぞおちに、脳髄や心臓に、あるいはふくらはぎにかじりつき、寝起きのいちばん気の緩んだ瞬間を狙って、毎朝、午前4時にせっせと断末魔を撃ち込んでくる。
今度こそ、息の根が止まったか?コン畜生め!!
のたくってないで、さっさと逝っちまえ!
どうだ?
どかどかどか!!
もう我慢できんだろう?
ドカーン!!
参ったか!?
全身を硬直させ、七転八倒して逃げまわり、何とか死神を追っ払って、汗びっしょりの朝を迎える度に、どんなもんだい!一日儲かったぞ!!
それ、まだ生きてるじゃないか。
ざまを見ろ!!
誰にともなく、そんな風にほざきながら、棚からぼた餅みたいな儲けもんの日々が、まさかとは思うがおよそ330日も続いている。
1年近くも。
(100日目くらいの時――去年の12月――まったくの意識喪失、救急搬送、呼吸停止、集中治療室で偶然、奇跡的というのか、信じられないことに、なぜか急に息を吹き返した。)
納豆と味噌汁の朝飯を終えると、身のまわりをきれいに整理したり、小さな庭を片づけたりして、それから散歩がてらに買い物に行く毎日だ。行動半径が極端に小さくなったが、それ以外は以前とたいして変わりない、何の変哲もない日常だ。
絶望もない。希望も、勿論ない。
夢も。
悔恨も、嘆きも、金や愛のどんな小さな欲望からもすっかり見放されてしまった。
―――つまりは、何もない。すっからかんの空っぽだ。
それでも、すべてが鮮やかに輝いて見える。毒に汚れた川の流れも、そこで生きるカモたちも、スーパーに集まってくる人たちも、延々と続く梅雨も、カビも。
(デンバーの鴨たち at Gate Way Park)
多分、腐乱した死骸からむっくり立ち上がった亡霊が見るように、すべてを見ているからに違いない。



