好きなように生きる――これが一番楽なように思えるが、実際はなかなかむずかしい。好きなことなど、そうそうないのである。
楽しいことも、おいしいものも、自然を愛することも、怠けることも、“やり過ぎる” と、どん底にたたき落とされる。
わかっていた。
それでもかまわず“怠けること”を暮れから一週間ほど無理矢理やってみた。
はらわたをさらけ出せ。ボロッカスだらけなんだから。
飲んだくれてはへべれけになり、血のような赤ワインをゲロゲロ吐いたり、呆け果て夢幻をさまよったりして、買いだめしたワインがなくなったその日、何とかよたよたしながら、無理をして近場へチラシ撒きに出かけた。
撒き終わってワインを2、3本買って帰るためである。
元気な頃は、テント野宿して、熟睡するにはどうしてもアルコールは欠かせなかったが、それでも体に良くないとわかっていたので何度となく“禁酒”を試みた。何度目かの沖縄行きで、思い立って禁酒し、滞在中の6日間つづけ通して、それが最長記録であった。
よたよたした足取りで、昔よく配っていた家々を一軒ずつ配っていると、なぜかおもしろくなってきた。
すべては終わっている。とっくの昔に。
それなのにまるで新しい何かが、始まっているみたいだ。
老いぼれた建て売りにはどうにも手のつけようもないあばら屋も目立が、大半は玄関口まで真新しい手すりがついている。
古ぼけた建て売りを抜けると若い夫婦と子供が住んでいる新築の建売住宅がベビーカーやアニメの飾り付けを並べている。
新しい建て売りにはかならず何軒かは、広告やチラシはお断りします、と貼られている。
何の希望もないのに何か別口の希望があるみたいだ。
――――そんなことを思いながらチラシを一軒一軒配っていくのはひそかに楽しく、1時間ほどで100枚の束を配り終えると、ふと、これっきり“禁酒”したらどうだろうと考えた。
それから14日が過ぎた。
紙を一時間がかりで買いに行って印刷を繰り返し毎日せっせとチラシ撒きを繰り返し、疲労困憊してダウンして、その日、危うく酔いの誘惑に負けそうになったが、暗いなかをすぐ近くの酒屋に行くだけの体力も気力もなかったので運良く飲まずにすんだ。
(印刷したビラの束1、300枚。すでに7、700枚印刷している。エプソンのインク代もB5の紙代もできるだけ安いところで手に入れている。)
昔、金のない家庭の子だけ入れる東伏見学生寮に入って、先輩に無理やり酒を飲まれてからというもの何十年も酒に入り浸って、まったくの中毒だったというのに。
いや、酒に入り浸ったおかげで、何とか狂わずに、生き延びてきたというのに。