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こんにちはもみじ

 

 

前回の落穂拾いの続き 「釈迦の舎利(真骨)を祀る寺」-覚王山日泰(ニチタイ)寺の紹介-後編をお届けいたしますニコニコ

 

 

(前編はコチラベル

 

 

 

 

 

 

 

 

3.日泰寺には本物の仏舎利が祀られている

 

 日本仏教界が一致協力して運営する、それ程重大な歴史上の事件が有ったのです。そんな歴史上の経緯を以下に紹介します。

 

 明治三十一年英領インドの北部(ネパール国境付近)でイギリス駐在官が古墳の発掘中に偶然蝋石(ロウセキ)の壺を発見します。その壺の側面に書かれていた古代文字(紀元前三世紀頃)を解読した処、釈迦が火葬にふされた際の遺骨が安置されたものである事が判明したのです。それまで、仏教の教祖である「釈尊」は伝説上の人物、或は物語であると思われていましたから実在した事が証明されたのです。このスクープは十九世紀の東洋史上空前絶後の大発見でした。

 

 明治三十二年にインド政庁は、発掘された舎利瓶や副葬品の呈出を受け、カルカッタの博物館に収蔵します。但し、発掘された「仏舎利」の重要性を十分に認識していなかった事から当時の東アジアの仏教国の中の独立国(干渉国)であったシャム王国の王室に寄贈されたのです。この時のシャム国王(ラーマ五世)は、同じく仏教国のセイロン(現スリランカ)やビルマ(現ミャンマー)に分与します。この時、日本のシャム国公使が日本仏教徒に対してその一部を頒与(はんよ)せられん事を懇願。その後、「日本国民への贈物」としてシャム国国王より下賜されたのです。

 

 

 

 

 

 

4.何故名古屋に日泰寺が建立されたのか?

 

 我国の仏教界は、協議を経て一致協力して此れを歓迎受け入れする事になります。(明治三十三年)盛大な使節団を要しシャム(タイ)国より真骨を拝受し、我国に持ち帰ります。

 早速、真骨をお祀りする為の寺院の建立計画が協議される事になるのですが、問題はその建設場所が決まらなかったことです。特に東京を中心とした仏教界と京都を中心とした仏教界の争奪戦が長く続く事になったのです。それ以外にも誘致合戦が続いたのですが、最後には官民を挙げて一致協力した名古屋が誘致を勝ち取ったのです。※注3

 

この時に用意された敷地は十万坪でしたが、現在では約四万坪に削減されたため、現舎利殿が別敷地となっており、徒歩で十分程離れています。

 

 

 

 

 

5.さいごに

 

 覚王山日泰寺は明治三十七年に竣工します。因みに、仏舎利を安置する舎利殿以外にも、奉安塔が大正七年に建設されています。

 広大な境内には「ラーマ五世像」が建てられており、タイ王室の方々も日泰寺を訪れ両国の親善友好に大きく寄与しているのです。

 

 

 

 

 

 

ラーマ五世像

 

 

 

 

 

 

※注3

覚王山日泰寺:名古屋市千種区法王町1-1

 

 

 

(完)

写真・文責  児玉 博文

 

 

 

 

 

 

 

「釈迦の舎利(真骨)を祀る寺」-覚王山日泰(ニチタイ)寺の紹介-はいかがでしたか目はてなマーク

 

 

 

 

本物のお釈迦様の舎利が祀られているお寺が日本にもあることに驚いたとともに、仏教界の深い歴史に触れることができましたひらめき電球

 

 

 

 

 

次回の落穂拾いもお楽しみに!!

 

 

 

 

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