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「世界遺産」という考え方はどうやって生まれたのか

植竹


世界遺産ってのは、まずどういう経緯で設定されたのでしょう?

1.世界遺産の発端
まず、ユネスコが設立されてから、1954年にハーグ条約が採択され、武力紛争の際にも文化財などに対する破壊行為を行うべきでないことが打ち出されました。
第二次世界大戦や、その後の国家の独立や領土確定の紛争で貴重な建物や街並みが破壊されてしまったからです。

1960年、エジプト政府はナイル川流域にアスワン・ハイ・ダムをつくろうと計画しました。このダムが完成した場合、ヌビアという遺跡が水没してしまう事になってしまいます。
この時、ユネスコは、ヌビア水没遺跡救済キャンペーンを始めて60ヶ国の援助をもとに技術支援、考古学調査支援などを行なって、ヌビア遺跡内のアブ・シンベル神殿をなんとまるごと移築をしたのです。


これは石像を運べるサイズに切断してからダムに沈まない丘の上まで移動させて、再びミリ単位まで精密に接着するというビッグプロジェクト。

この一連の出来事がきっかけで人の利便を追求するための開発から歴史的に価値のある遺跡や建物等を国際的に守ろうという案が出ました。

1965年には関連する国際組織である国際記念物遺跡会議が発足。
その頃アメリカではホワイトハウス国際協力協議会自然資源委員会が1965年に「世界遺産トラスト」を提唱し、自然を護る国際的なシステムが模索されており、当時のリチャード・ニクソン大統領府も1971年の教書において、
アメリカで国立公園制度が生まれてから100周年に当たる1972年までに具体化することを打ち出しました。


2.世界遺産誕生
1970年にユネスコは「人間と生物圏(MAB計画)」(Man and Biosphere Project)を決定し、商業・工業活動等を含む「」の営む全ての活動と「環境」の相互関係を理解して資源の持続可能な利用と環境保全の促進を提言。
 また、同年にユネスコ総会では「文化財の不法な輸出、輸入及び所有権譲渡の禁止及び防止に関する条約」が採択され、一方のIUCNでも自然保護に関する国際的な条約の原案作りが進められていました。


この二つこの二つの組織の「財産」に対する働きが1972年6月スウェーデン・ストックホルムで行われた国連初の国連人間環境会議で一つにまとまった結果、同年11月16日、ユネスコのパリ本部で開催された第17回ユネスコ総会で、世界文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)満場一致で成立しました。1972年にユネスコ総会「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)が採択されました。

1973年にアメリカ合衆国が第1番目に批准、締結し、20ヶ国が条約締結した1975年に正式に発効しました。

1978年第2回世界遺産委員会で、アメリカのイエローストーン国立公園やエクアドルのガラパゴス諸島など12件(自然遺産4、文化遺産8)が、第1号の世界遺産リスト登録を果たした。

3.日本の世界遺産誕生
日本は、先進国では最後の1992年に世界遺産条約を批准し、同年の6月30日に125番目の締約国となりました(日本についての発効は同年9月30日)。
※ちなみに現在のリストでは124番目になってるけど、これは日本が締約した後ににユーゴスラビアが解体して繰り上がったから

日本でもいろいろ重要文化財とかあるんだから、もっと早くに批准しててもおかしくないはずなんですけど、


国内での態勢が未整備だったから、
世界遺産基金の分担金拠出などに関する議論が決着しなかったから、
木造の文化財が多い為、当時石造物件が多かった世界遺産に登録されるのは難しいと考えたから、

などなどさまざま。
果たして真相はいかに…。

ちなみに2010年現在の条約締約国は187か国です。