読者の皆さん、良いお年を! | ueno63jのブログ

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 最後にブログをアップしてから早いものでもう半年以上経ってしまいました。その間書きたいことはいろいろあったのですが仕事に追われたことと、僕の中でまだ考えがしっかりと形になっていなかったこととで、いい加減な雑文をアップしたくなかったので伸ばし伸ばしになってしまいました。まだ僕の中でははっきりとした判断のもとにしっかりと明文化出来るものにはなり得ていませんが、大みそかを迎えた今、読者の皆さんに一年の締めくくりとしてご挨拶だけでもしておくのが礼儀と思い、まとまらないなりに来年書き綴る予定のことをメモ式に以下に述べます。

 

1.イギリスのEU離脱とそれに合わせるようにヨーロッパ各地で起こる反EU旋風、アメリカにおけるトランプ大統領誕生、フィリピンのドゥテルテ大統領の言動、シリア難民を中心とする難民問題とそれに対する各国の反応などを見ると、世界は今非常に右傾化が懸念されます。国際主義的考えとは真逆の、民族主義に基づく「国粋」的な感情論の台頭です。この問題に対して我々はどう考えるべきなのでしょうか。と言うより、そもそも「国際」「国民」「国家」といった概念を我々はどう考えるべきなのか、そこからこれらの問題は考えられなければなりません。

 

2.1.で示した問題とも最終的には接点を持つことになるでしょうが… 最近僕はチェンバロで演奏されたバッハの音楽にはまっています。もともとはショパンやシューマンといったロマン派の音楽が好きで(もちろんクラシックだけでなくジャズや、そう、今年ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランも大好きですが)バッハに対しては比較的遅くなってからその魅力を知ったのですが、それも近代ピアノで演奏されたものばかり聞いていました。ところが、最近ちょっと興味が生じてグスタフ・レオンハルトのチェンバロ演奏を聴いたのです(ちなみに僕は以前からチェンバロという楽器は好きで時々聞いてはいました)。 これには「現代のバッハ」とまで評されたレオンハルト自身の大変気品のある理知的な演奏そのものの力もかなり影響していることはもちろんですが、彼の演奏するバッハの音楽を通して、音楽において最も大切なことはメロディーでも、ましてリズムでもなく、絶妙にブレンドされた和音が紡ぎだす「調和」(ハーモニー)にあるのだ、という、「当たり前」のことに改めて気づかされたのです。「調和」と「バランス」の音楽 ― それは単にメロディーのきれいな音楽やリズムの生き生きした音楽などとは次元の違う完成度を誇るものです。

 そう、音楽だけでなく、人間の営むあらゆる文化活動や精神活動において最も大切なもの、それは「調和」であり、その調和を生み出す「バランス」なのだということを、音楽という実例を通して具体的に再確認させられたのです。このことは、ひとり文化活動、精神活動のみならず、最終的には経済活動、ひいては政治活動にも当てはめなければならない重要案件だと、僕は思うのです。芸術の世界では実現可能な(もちろんそのためには高度な、たゆまぬ努力が成されなければなりませんが)そういった「調和」と「バランス」を、経済や政治の世界、さらには人間自体の存在の中で実現するにはどうしたらよいのでしょうか(世界中が「調和」と「バランス」によって保たれるならば、戦争はおろか人種差別や偏狭なナショナリズムの問題、さらには自己嫌悪、高慢、疎外といった問題は解決出来るでしょうに)。

 

来年からは以上述べたようなことに対し、皆さんと考えあっていけたらいいな、と考えています。どうぞ来年もよろしくお願い申し上げます。皆さんにとって、来年が幸多い充実した一年でありますように。

 

                 上野 潤 拝