少し前にTVで「最近の若者は"。"が怖い」という報道を観た。

 

若者が感じる「マルハラスメント」

 

え、これ冗談でしょ?と思いながら観ていたが、どうも本当のことらしい。

 

会社の20代の子にそのことを話したら、

「いえ、仕事では別に怖くありません!・・・でも友達とやりとりする時はあまり使いませんねー。」

だそうで。

句読点を使うことで、真面目というか堅苦しさというか圧力のようなものを感じてしまうのかなあ・・・

 

記事には「文末に"!"や絵文字をつけるといいですよ」と書いてあったが、未だガラケーユーザーの自分はニコちゃんマークを文末に書く勇気がない。

 

最近の若者だけに限らないと思うが、世間全体が相手に嫌われるのを非常に警戒しているように感じる。

コミュニケーションがLINEやメールなど、文字(絵文字含む)に頼るようになったことで余計にその傾向が強まったのだろうか。さらに語彙力の低下が加わって気持ちの表現を文字だけで伝えることが困難(下手)となり、無難な言葉や絵文字で相手に都合のよい解釈をしてもらうようになった、のではないか???

 

こんなことを書いている自分が文字だけでまともに相手に伝わる表現をしているか? それほど自信はない。

けれど相手から何か指摘があれば修正するし、「自分が分かっていることを他人が分かっているわけではない」のを前提として文章を書こうという気持ちは持っている。

 

会社の作業日報でも、現場にいた人ならいいが、そこにいなかった人が読んでも分からないことを、さも分かっているかのように端折って報告していたりする。相手にそれを指摘するとあまりよい顔をせず、ふてくされたように「はい、直します」と言って、修正前とあまり変わらない内容だったりすることもままある。

 

「マジで」という言葉はもう日常的に使われるようになった。最初に使われるようになったのは20数年前くらいからだろうか。

会話の中に「〜、マジで」とか「マジで〜」があまりに多いと、(「マジで」はいらないからマジでないところに「冗談で」と入れてくれないかなあ)と心の中で突っ込むことがある。

 

そうか、人にもよるだろうけど、真面目な会話が前提ではなく「冗談半分で聞いてくれ」というスタンスだから、真剣な部分に「マジで」とつけるのか(しかしながら「マジで」後の言葉は正直言ってマジでなくてもよい内容だったりする)。

 

もやもやしていたところで良い記事が挙がっていた。

 

「句読点はおばさん構文」にピシャリ

 

いやあ、俵万智さん、本当に良い仕事をなさる。

 

日本語は素敵な言語だ。大切に、丁寧に使えばとても強力な力となり、人の心をふんわりと包み込む優しさにもなる。