大坪係長

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私の思い出の中でも強く感銘を受けた方の一人大坪係長さん。1961年都城工業高校電気

 

課を卒業した私は電気技術者としての第一歩を愛知県名古屋市中部電力株式会社

 

を選んだ。当時産業発展の気流に乗った日本経済。東京オリンピック開催、東海道新幹

 

線開通、東名高速道路開通と社会インフラと名だたる大企業が工場を次々と拡張していた

 

時代であった。名古屋市大同町社員研修所で初任教習を受けて四日市火力建設所に配属

 

された。 辞令 四日市火力建設所電気課計測係勤務を命ず。望む処だったやるぞ~。

 

世界最新鋭の火力発電所の建設に加わった。18歳そこそこの私が沢山の工事業者さんと

 

共に名目は施工監督者でありながら、実情はいろんなことを教えて頂きながら産業発展の

 

原動力である電力を早く多量に電気を作れ!!。との社会の委託に答えるべく無我夢中で

 

あった。まだ週休2日制でなく毎月毎月100時間を超える過酷な現場で鍛えられた。苦しかっ

 

た、楽しかった、日本発展のために尽くしているという誇りもあった。

 

その職場での二度目の上司が大坪係長であった。海外留学もされ、すらりとした良い男。仕

 

事も教えて頂いたが上司と部下でありながら人間と人間としての接し方に尊敬していた。誕

 

生日にはお宅に招かれジンギスカン料理を戴いた。英語を話し、ゴルフされて、とにかく

 

士であった。日本人じゃなくアメリカ人と言っていいのかなて感じだった。四日市火力建設所

 

では二年間で偉くなられ本社に栄転されその後従業員2万人余りの大会社取締役までなら

 

れ定年で関連会社の社長になられた。

 

私は事情があり10年半で電力会社にお別れしたけど、大坪様とは今年3月88歳で亡くなら

 

れるまで私とお付き合い頂いた。世界中の名山を登り、世界中の都市を旅され、私にブログ

 

という形で常に交流を頂き、今年二月突如病に伏され亡くなられたことは私にとって師を

 

失った落胆は計り知れない。安らかにお休み下さいこんな私と最後までおつき合い頂き有り

 

難うございました。

 

最後に今年1月に旅されたキューバ旅行記楽しく拝読しました。