清水寺の最奥から清閑寺へと向かう道を走る人





将軍塚 青龍殿から続くトレイル登山道の出口と合流びっくり 進みます。走る人


山側に道標が。



山道へ入ります。



右下に駐車場がありました。



見えてきました。



京都市東山区清閑寺山ノ内町



第79代 六条天皇 清閑寺陵

第80代 高倉天皇 後清閑寺陵



六条天皇陵はもう一段上にあるんですが、行けません。木が茂ってなければ見えるみたいですが、残念ガーン


🙏

第79代 六条天皇

平安後期の天皇(在位1165~68)。名は順仁(のぶひと)。二条(にじょう)天皇の第二皇子、母は伊岐(いき)氏の娘。父二条から1165年(永万1)2歳のときに譲られて即位。在位中は後白河(ごしらかわ)上皇が院政を行っていた。後白河は、病床にあった平清盛(きよもり)が死んだときに天皇支持派の勢力が策動することを恐れ、68年(仁安3)六条の位を奪い、自分の皇子憲仁(のりひと)親王(高倉(たかくら)天皇)を即位させ、六条を太上(だいじょう)天皇とした。安元(あんげん)2年7月17日死去。


第80代 高倉天皇

第80代の天皇(在位1168~80)。名は憲仁(のりひと)。後白河(ごしらかわ)天皇の第七皇子。母は平時信(ときのぶ)の女(むすめ)滋子(しげこ)(建春門院(けんしゅんもんいん))。永暦(えいりゃく)2年9月3日誕生。天皇の時代は、平清盛(きよもり)の権勢盛んなときにあたる。1180年(治承4)、天皇は清盛の女徳子(とくこ)の生んだ皇子言仁(ときひと)親王(安徳(あんとく)天皇)に譲位し、清盛の強請によって上皇として最初の社参を安芸(あき)(広島県)の厳島(いつくしま)神社に行った。これは京都近辺の寺院勢力の反平氏連合をもたらし、それはまた以仁王(もちひとおう)の挙兵と諸国の源氏の蜂起(ほうき)をよび、ここに源平争乱の時代が始まった。そのさなか、治承(じしょう)5年1月14日没した。

高倉天皇は体が弱く、21才で亡くなる。その時の遺言「私が死んだら小督の局がいる清閑寺に葬ってくれ」。






先に、清閑寺の階段があります。



階段の上からの天皇陵。



右上の木、茂ってなければ六条天皇陵が見えるんですが。


歌の中山。

清閑寺〜清水寺の山路。



下の駐車場から。
















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