今回は長岡藩家老の河井継之助が主人公。
数々の幕末小説を読んできましたが今回は西国雄藩ではなく結果敗者となる東国側の物語。
秀才と言われた河井ですが、環境には抗えなかったようです。
・地理的条件
そもそも東日本側は地理的に不利。
特に日本海側の雪と言ったらもう厄介。
動きも取れないし、情報も入ってきません。
そりゃ上杉謙信も武田信玄も中央には進出できなかったわけです。
また、幕末となると外国からの影響を深く受けます。
西日本の方が貿易や戦争を経験し、また列国に支配されている清の悲惨さに危機感を抱いているので革命意識も強かったのです。
・徳川家への感情
明治維新を台頭していく薩摩、長州は関ヶ原の敗者であり、土佐に関しては地元民が敗者。
徳川への恩は薄い訳です。
一方、長岡藩主牧野家は徳川譜代大名。
東北を台頭していた仙台藩は徳川家から厚遇してもらっている伊達、会津藩は徳川秀忠の息子を藩祖としておりゴリゴリの徳川寄り。
・時世
主人公の河井が家老として実権を持ったタイミングは慶喜が大政奉還を行った後でした。
元々長岡藩も門閥主義であり河井は一般武士といった身分なので実力を認めてもらうのが難しかったのです。
その時期すでに新政府の改革はかなり進んでいました。
それでも河井は急いで、東日本では先駆けて西洋の軍事技術を取り入れました。
賢い河井は、幕府、新政府、東北諸藩との対立を避け最後まで中立を守ろうとしました。
しかし、周りがそれを許さず、結果的に新政府と戦うことになります。
決して大きい勢力ではない長岡藩。
もし河井のような秀才がいなければ新政府に早々に屈して会津藩と戦っていたことでしょう。
一方、河井がもっと大勢力のトップであれば歴史は変わっていたことでしょう。
河井の軍略で序盤は勝利するも、続々と人数を増やしていく新政府に圧倒されていく…
会津へ落ち延びると途中に亡くなりました。
西南戦争敗者である西郷もそうですが、何とも言えない気持ちになります。
戦いを途中でも放棄する手段は無かったのか…と。
人間、取り巻く環境という渦からは逃れられないのかもしれませんね…